第1章 消えた面影 -4
4 INSTABILITY
その日は大した仕事もなく、私は文書をファイリングしながらぼんやり考えていた。
「凛子、今日のあなたは心拍数が上がっているようです。疲労、もしくは緊張の兆候が見えます」
ナナが心配してくれる。
「少し休憩を入れてください。体調不良の傾向にあるようです。または、悩み事でしょうか?」
彼女の、いかにも機械らしい気の使い方にはホッとする。
「うん、ありがとう」
私は、デスクの引き出しを開けて、用意してあるチョコレートに手を出す。
疲れているのかもしれない。
あまりにもリアルな夢を見てしまって。
田村さんが内線電話を受けている。
「はい、ええ……僕でよければ見ますが……」
なにか、戸惑っているように見える。瞬きが多い。
「はい、分かりました、伺います」
電話を切ると、彼は室長に耳打ちをした。
「情シスからだったんですが、システムの挙動が変なんだって話で……」
室長が首を傾げる。
「なんだって連中が、お前さんに?」
そしてニヤリと笑う。
「バレちまったかな、超優秀なエンジニアがここにいることが」
「やめてくださいよ」
田村さんが手を横に振る。
「とにかく見てくれって言われちゃって、行ってもいいですか?」
「まぁ、行ってやれ。それで済むなら」
そして、室長が私を見る。
「秋元くんも連れて行ってやって」
「私?」
ふたりの視線が私に集中する。
「秋元くんも、庁内に友達とか少ないから、少し顔を売っておいで。暇なんだし」
室長の粋な計らい、か。
意図を汲んで、田村さんが笑う。
「じゃあ、一緒に来て」
確かに、暇だ。ありがたく話に乗ることにした。
気晴らしもしたかった。頭が痛い。
情シスでは、ひとり、職員さんが首を傾げていた。
「はじめまして、田村係長。自分、飯島充喬といいます」
飯島さんは、私くらいの年齢かな、青白い顔に黒縁の眼鏡をかけた、ベストがちょっとおしゃれなお兄さんだった。
「はじめまして。田村です」
田村さんはぺこりと頭を下げた。こういう時の彼は、少し緊張感がある。あんまり社交的な人じゃないからね。
私も挨拶をする。
「はじめまして、秋元です。特別対策室の職員です。暇だから来ました」
「暇だからって」
飯島さんが笑う。田村さんは、慌てて
「いや、あの、見学にね」
とフォローを入れてくれる。
それから、ふたりはPCに向かう。
「これが、〈FORTUNA〉っていうシステムなんですが、朝から軽微な同期ズレが生じていて」
飯島さんは、少し困った様子だ。
「これ、国のシステムだから、国に問い合わせてるんですけど……サポートに繋がらなくて」
田村さんがデスクに座り、マウスを握る。
その瞳にPCの光が映り込む。
こういうときのこの人は、お世辞抜きで、本当に素敵だと思う。普段の、のほほんとした優しい顔とは違う、仕事をする顔。
「大丈夫」
彼は、少しキーを叩くと、飯島さんに向かって首を縦に振った。
「今、情報をアップデートしてるところだから、ちょっとだけ時間かかるけど……」
そうして、画面を覗き込む。
その時。
プログラムを見ていた田村さんが、目を止めた。
読み上げる。
「If stability < threshold THEN DELETE souce-of-instability」
「……なんだろう、これ」
飯島さんが首を傾げる。
「なんだろうね」
田村さんも、同じようにして飯島さんを見る。
なにが「なんだろう」なのか、私には分からなかったけど、どうやらそれは不思議な一文であるらしい。
彼らはしばらくプログラムを眺めていたけれど、やがて不調が直ったようで、ホッと胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます、田村さん。さすが、噂のエンジニア」
「な、なんか噂されてるんですか、僕?」
相変わらず、腰が低い。というか、自己評価低すぎなんだよな、田村さんは。すごい人なのに。
そして、飯島さんが私を見る。
私は、咄嗟に前髪で左目の上のケロイドを隠す。
「秋元さん、今度、うちの同期と飲みませんか?」
オシャレメガネの奥の目が柔らかく笑う。
「多分、同じくらいの歳だよね、27とか8とか……自分、28歳」
「あ、私、27歳……」
同じ年くらいの人と話すなんて、ありさちゃんと話したのくらいだ。
ありさちゃんは「会ってない」って言ったけど──
「帰るよ!」
田村さんが、私の手首を握って引っ張った。
「じゃ、失礼します!」
……どうした?
そのまま私を情シス室から出して、田村さんは少し怒ったような顔でこっちを見ていた。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない!」
なんでもなくはないだろう、顔が少し赤い。
「んー?まさか、妬いた?」
「なんてことを言うんだ!」
やっぱ怒ってる。冗談は通じなかったみたいだ。
「ごめん」
「謝ることはないけどさ!」
じゃあ、何が悪いのよ?
変なの。
私が見たものは、本当に夢だったんだろうか──
鮮明に胸に残る、田村さんの車の中で聞いたラジオの音。「かせこうへいさん、27歳」と言っていた。
背筋から虫が這い上がってくるように、ゾワゾワと何かが私に訴えている。
その日の仕事を終えて、私は家に帰って布団に潜り込んでいた。
調子が悪い。気持ち悪い。
あんな夢があるものか。
枕元に置いたのは、パパの腕時計。遺品として私が引き継ぎ、使っている。
丸いグラスが可愛い。
1970年代に作られていたものらしい。昔パパが言ってた、おじいちゃんから貰ったものだって。
コチコチと、いい音を立てる。
これのおかげで、左手首が埋まってしまっているので、スマートウォッチがつけられない。
両手首に時計つけるのは流石に変だ。今どきスマートウォッチをつけてない人を探すのは大変だと思うくらいみんなつけてるけど、私はこの時計がいい。
これは、私のお守りだ。
時を刻む音が、胸に響く。
気がおかしくなりそうなざわつきを、この音だけが現実に引き戻してくれる。
頭の中は混乱しているけれど、きっとパパが助けてくれる。
時計の音に誘導されて、私はやっと目を瞑ることができた。
少し休みたい。
身体中の血液がドクンドクンと脈打って、私を重力に沈めようとしていた。
私は夢を見たのかな。
あの優しい田村さんが、今の私の状況を知っててあんな普通の態度をとるわけがないもの。
やっぱ、加瀬くんが死んだのは夢だったんだ。
──加瀬くん自体も夢だったのかもしれない──
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