第6話 倒木と、不穏な足跡
朝、広場に出ると、昨日より明らかに人が多かった。
鍬をかついだ男。
縄と斧を持った女。
桶や板を抱えた若者たち。
視線が一斉にこちらへ向く。
「……ずいぶん集まったな」
思わず口にすると、隣のマリアが小さく笑った。
「水が戻り始めたと聞けば、皆動きます。
“本当に変わるのか確かめたい”という気持ちもあるでしょうけれど」
視界の隅に、淡い文字が浮かぶ。
『参加可能人数:二十八名
計画進行速度:一日短縮の余地あり』
悪くない数字だ。
俺は広場の真ん中に立ち、地図を広げた。
「今日は、二箇所目の倒木撤去を行う。
ここだ」
指先が山の斜面をなぞる。
「大木が水路をふさぎ、その下に土砂が溜まっている。
これをどかせば、流れはさらに二割は戻る」
ざわ、と小さな声が広がる。
「二割……」
「本当にそんなに……?」
疑いというより、実感のない驚きだ。
俺は続けた。
「倒木は斧で切り分け、縄で引き出す。
斜面が崩れないよう、足場はアズベルが確認する。
マリアとドランは人員の割り振りを頼む」
アズベルが一歩前に出て、短く答える。
「了解した。危ない場所には近寄らせん。
俺の指示には必ず従え。命あっての作業だ」
その声に、村人たちの表情が少し締まった。
俺は最後に一言だけ付け足した。
「昨日も言ったが、無理はさせない。
だが今日一日で終わらせるつもりで動く」
その方が、皆の心も折れにくい。
視界にまた文字が浮かぶ。
『方針:妥当』
◇
山道に入ると、空気がひんやりとしていた。
朝の湿り気が残り、土の匂いが濃い。
昨日も通った道だが、今日は人の数が違う。
前後に人の気配があり、掛け声も飛ぶ。
「足元、気をつけろ」
「その枝、どかしてくれ」
アズベルが先頭で道の確認をし、危険な場所には印をつけていく。
ドランは後ろから全体を見渡し、遅れそうな者に声をかけている。
二人とも、役目を理解して動いている。
やがて、水音が聞こえ始めた。
昨日見た倒木の場所に近づく。
視界が反応する。
『原因:根腐れによる倒木
改善:根元から二箇所で切断。安全な方向へ引き倒すこと』
倒木は、水路の上に斜めに倒れていた。
幹は太く、人の腕二本分はありそうだ。
マリアが小さく息を飲む。
「……本当にこれを、どかせるのでしょうか」
「どかす」
俺は即答した。
「根元は軽くなっている。腐りが進んでいる。
切り方と引き方さえ間違えなければ、崩落は起きない」
アズベルが倒木に手を置き、質量を確かめるように押した。
「……確かに、見た目ほど重くはないな。
だが、斜面側に倒したら全員巻き込まれる。
谷側に流す形で引く必要がある」
視界には、同じ内容が淡く表示されていた。
『安全な倒し方:谷側へ誘導。支点三箇所。』
俺は縄を持っている男たちを呼んだ。
「三人ずつ四組。
この位置に縄をかける」
幹の上、少し高い位置を指差す。
アズベルが補足する。
「斜面側に力がかからないように、引く方向を揃えろ。
掛け声は俺が出す。勝手に引くな」
準備に取りかかると、空気がぴんと張りつめた。
木の軋む音と、縄が擦れる音だけが聞こえる。
俺は一歩下がり、全体を見渡した。
視界の文字が少し変化する。
『準備状況:許容範囲
崩落リスク:中 → 低(縄配置により軽減)』
よし。
アズベルが声を張り上げる。
「全員、構えろ!
……引け!」
掛け声と同時に、一斉に縄が引かれた。
ギギッ、と幹が軋む。
斜面側の土が少しだけ崩れる。
一瞬、村人たちの顔に緊張が走った。
だが、倒木はゆっくりと回転し、谷側へと動いていく。
仕上げに、根元の切り口から“バキリ”という音が響いた。
次の瞬間、木は谷側へと滑り落ち、水路から完全に外れた。
「やった……!」
誰かの声を合図に、周囲から歓声が上がる。
しかし、まだ終わっていない。
「喜ぶのは後だ。
土砂をどかすぞ」
俺の言葉に、すぐに皆の表情が引き締まる。
視界には、新たな表示が浮かんでいた。
『土砂量:中程度
必要作業:掘削と側壁の軽補強
人員:二十名×半日』
十分、今日中に終わる量だ。
◇
昼過ぎ、土砂はほとんど取り除かれていた。
水路の底が見え、流れが太さを増していく。
「おお……さっきより勢いが全然違う」
「下流の畑、かなり楽になるぞ」
村人たちの顔に、はっきりとした笑みが浮かぶ。
視界の文字も変わる。
『流量:前日比+二割
農地回復見込み:五割以上』
数字だけ見れば順調だ。
だが、領地全体から見れば、まだ始まりに過ぎない。
少し早めの休憩をとることにした。
皆、斜面から少し離れた平らな場所に腰を下ろす。
水の音を聞きながら、パンと干し肉をかじる。
汗に塩気が混ざり、喉の渇きが逆に食欲を呼ぶ。
そのとき、アズベルが声を潜めて近づいてきた。
「領主様。少し、気になることがあります」
「盗賊のことか」
俺が先に言うと、アズベルは目を細めた。
「やはり、気づいておられましたか」
視界の端に、今度は視覚情報ではない“抽象的な表示”が浮かぶ。
『領地治安:悪化傾向
原因候補:複数』
原因候補は視えない。
人の動きは、数字では出てこないらしい。
アズベルは周囲を一度見回してから、静かに続けた。
「ここ最近、街道沿いで妙な話が多いんです。
ただの盗賊にしては、動きが整いすぎている」
「整いすぎている?」
「襲う場所の選び方が妙に効率的でしてな。
荷物の中身を見抜いているような襲い方をしている。
しかも、被害に遭うのは決まって“グレイスへ向かう荷”が多い」
それは、単なる偶然では済まない。
「盗賊同士で情報を回している、という可能性は?」
「あります。
……が、嫌な話も聞こえてきています」
アズベルは声をさらに落とした。
「隣のハイレン領から、妙な連中が出入りしている、と」
ハイレン。
隣領の名だ。
視界には何も浮かばない。
人に関する情報は、やはり“視えない”。
「ただの噂かもしれませんが」
アズベルは肩をすくめた。
「グレイスが弱っているこの数年で、
ハイレン側の商人が妙に勢いを増しているのは事実です。
交易路も、向こうに流れる荷が増えた」
グレイスから奪われた流れが、
ハイレンに移っている、ということか。
因果関係はまだ見えない。
だが、構造としては筋が通る。
「今すぐ手を打つか、と聞かれれば……」
アズベルは言葉を選んだ。
「まだ早いと思います。
兵の数も乏しく、ここから警戒を強めると作業に支障が出る」
視界の隅に、判断材料が浮かぶ。
『兵力:不足
水路作業:継続優先
治安対策:限定的な警戒のみ推奨』
能力は、こういうときでも“構造”だけは示してくれる。
俺は決めた。
「まず、水路だ。
水が安定しなければ、守るべきものもない」
アズベルは一度うなずく。
「では、兵は最小限の警戒に留めましょう。
街道沿いに目を配らせます」
「必要になれば、そのときは優先順位を入れ替える。
今は、その前段階だ」
◇
午後、残っていた細かな作業を終えた頃には、
水の音がはっきりと変わっていた。
細い流れではなく、
“川”と呼べるほどの連続した音。
「……戻ったな」
ドランがしみじみと呟く。
「昔、この音を聞きながら畑を見回ったもんだ。
まさか、もう一度聞けるとはな」
視界には、淡い文字が浮かんでいる。
『主水路復旧率:七割
農地回復の土台:形成完了
次の課題:土壌と農業構造』
最初の山は、越えた。
村人たちの顔には、汗と土と、それからはっきりとした安堵があった。
「水がこれだけ流れれば……」
「今年は、飢えずに済むかもしれない」
「他所に出ていった連中も、戻ってくるだろうか」
その声を聞きながら、俺は一つだけ意識して口を開いた。
「これは始まりに過ぎない。
水が戻れば、今度は畑をどう使うかが問題になる。
麦だけではなく、土地に合う作物を探す必要がある」
セラの顔がちらりと浮かんだ。
土と植物をよく見ている、あの少女のことだ。
「帰ったら、農地の状態を見に行く。
今日の成果を、次に繋げる」
視界の文字が、静かに色を変える。
『領民感情:期待 → 行動 → 信頼への移行始まり』
その変化を確かめるように、
俺は流れ続ける水の音を、しばらく黙って聞いていた。
水は戻った。
だが、盗賊の噂と、ハイレンの影は消えていない。
順番を間違えずに、一つずつ崩していく。
それが、今の俺の役目だ。
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