第6話 倒木と、不穏な足跡

朝、広場に出ると、昨日より明らかに人が多かった。


鍬をかついだ男。

縄と斧を持った女。

桶や板を抱えた若者たち。


視線が一斉にこちらへ向く。


「……ずいぶん集まったな」


思わず口にすると、隣のマリアが小さく笑った。


「水が戻り始めたと聞けば、皆動きます。

 “本当に変わるのか確かめたい”という気持ちもあるでしょうけれど」


視界の隅に、淡い文字が浮かぶ。


『参加可能人数:二十八名

 計画進行速度:一日短縮の余地あり』


悪くない数字だ。


俺は広場の真ん中に立ち、地図を広げた。


「今日は、二箇所目の倒木撤去を行う。

 ここだ」


指先が山の斜面をなぞる。


「大木が水路をふさぎ、その下に土砂が溜まっている。

 これをどかせば、流れはさらに二割は戻る」


ざわ、と小さな声が広がる。


「二割……」

「本当にそんなに……?」


疑いというより、実感のない驚きだ。


俺は続けた。


「倒木は斧で切り分け、縄で引き出す。

 斜面が崩れないよう、足場はアズベルが確認する。

 マリアとドランは人員の割り振りを頼む」


アズベルが一歩前に出て、短く答える。


「了解した。危ない場所には近寄らせん。

 俺の指示には必ず従え。命あっての作業だ」


その声に、村人たちの表情が少し締まった。


俺は最後に一言だけ付け足した。


「昨日も言ったが、無理はさせない。

 だが今日一日で終わらせるつもりで動く」


その方が、皆の心も折れにくい。


視界にまた文字が浮かぶ。


『方針:妥当』



山道に入ると、空気がひんやりとしていた。

朝の湿り気が残り、土の匂いが濃い。


昨日も通った道だが、今日は人の数が違う。

前後に人の気配があり、掛け声も飛ぶ。


「足元、気をつけろ」

「その枝、どかしてくれ」


アズベルが先頭で道の確認をし、危険な場所には印をつけていく。

ドランは後ろから全体を見渡し、遅れそうな者に声をかけている。


二人とも、役目を理解して動いている。


やがて、水音が聞こえ始めた。

昨日見た倒木の場所に近づく。


視界が反応する。


『原因:根腐れによる倒木

 改善:根元から二箇所で切断。安全な方向へ引き倒すこと』


倒木は、水路の上に斜めに倒れていた。

幹は太く、人の腕二本分はありそうだ。


マリアが小さく息を飲む。


「……本当にこれを、どかせるのでしょうか」


「どかす」


俺は即答した。


「根元は軽くなっている。腐りが進んでいる。

 切り方と引き方さえ間違えなければ、崩落は起きない」


アズベルが倒木に手を置き、質量を確かめるように押した。


「……確かに、見た目ほど重くはないな。

 だが、斜面側に倒したら全員巻き込まれる。

 谷側に流す形で引く必要がある」


視界には、同じ内容が淡く表示されていた。


『安全な倒し方:谷側へ誘導。支点三箇所。』


俺は縄を持っている男たちを呼んだ。


「三人ずつ四組。

 この位置に縄をかける」


幹の上、少し高い位置を指差す。

アズベルが補足する。


「斜面側に力がかからないように、引く方向を揃えろ。

 掛け声は俺が出す。勝手に引くな」


準備に取りかかると、空気がぴんと張りつめた。

木の軋む音と、縄が擦れる音だけが聞こえる。


俺は一歩下がり、全体を見渡した。


視界の文字が少し変化する。


『準備状況:許容範囲

 崩落リスク:中 → 低(縄配置により軽減)』


よし。


アズベルが声を張り上げる。


「全員、構えろ!

 ……引け!」


掛け声と同時に、一斉に縄が引かれた。


ギギッ、と幹が軋む。

斜面側の土が少しだけ崩れる。


一瞬、村人たちの顔に緊張が走った。


だが、倒木はゆっくりと回転し、谷側へと動いていく。

仕上げに、根元の切り口から“バキリ”という音が響いた。


次の瞬間、木は谷側へと滑り落ち、水路から完全に外れた。


「やった……!」


誰かの声を合図に、周囲から歓声が上がる。


しかし、まだ終わっていない。


「喜ぶのは後だ。

 土砂をどかすぞ」


俺の言葉に、すぐに皆の表情が引き締まる。


視界には、新たな表示が浮かんでいた。


『土砂量:中程度

 必要作業:掘削と側壁の軽補強

 人員:二十名×半日』


十分、今日中に終わる量だ。



昼過ぎ、土砂はほとんど取り除かれていた。

水路の底が見え、流れが太さを増していく。


「おお……さっきより勢いが全然違う」

「下流の畑、かなり楽になるぞ」


村人たちの顔に、はっきりとした笑みが浮かぶ。


視界の文字も変わる。


『流量:前日比+二割

 農地回復見込み:五割以上』


数字だけ見れば順調だ。

だが、領地全体から見れば、まだ始まりに過ぎない。


少し早めの休憩をとることにした。

皆、斜面から少し離れた平らな場所に腰を下ろす。


水の音を聞きながら、パンと干し肉をかじる。

汗に塩気が混ざり、喉の渇きが逆に食欲を呼ぶ。


そのとき、アズベルが声を潜めて近づいてきた。


「領主様。少し、気になることがあります」


「盗賊のことか」


俺が先に言うと、アズベルは目を細めた。


「やはり、気づいておられましたか」


視界の端に、今度は視覚情報ではない“抽象的な表示”が浮かぶ。


『領地治安:悪化傾向

 原因候補:複数』


原因候補は視えない。

人の動きは、数字では出てこないらしい。


アズベルは周囲を一度見回してから、静かに続けた。


「ここ最近、街道沿いで妙な話が多いんです。

 ただの盗賊にしては、動きが整いすぎている」


「整いすぎている?」


「襲う場所の選び方が妙に効率的でしてな。

 荷物の中身を見抜いているような襲い方をしている。

 しかも、被害に遭うのは決まって“グレイスへ向かう荷”が多い」


それは、単なる偶然では済まない。


「盗賊同士で情報を回している、という可能性は?」


「あります。

 ……が、嫌な話も聞こえてきています」


アズベルは声をさらに落とした。


「隣のハイレン領から、妙な連中が出入りしている、と」


ハイレン。

隣領の名だ。


視界には何も浮かばない。

人に関する情報は、やはり“視えない”。


「ただの噂かもしれませんが」

アズベルは肩をすくめた。


「グレイスが弱っているこの数年で、

 ハイレン側の商人が妙に勢いを増しているのは事実です。

 交易路も、向こうに流れる荷が増えた」


グレイスから奪われた流れが、

ハイレンに移っている、ということか。


因果関係はまだ見えない。

だが、構造としては筋が通る。


「今すぐ手を打つか、と聞かれれば……」

アズベルは言葉を選んだ。


「まだ早いと思います。

 兵の数も乏しく、ここから警戒を強めると作業に支障が出る」


視界の隅に、判断材料が浮かぶ。


『兵力:不足

 水路作業:継続優先

 治安対策:限定的な警戒のみ推奨』


能力は、こういうときでも“構造”だけは示してくれる。


俺は決めた。


「まず、水路だ。

 水が安定しなければ、守るべきものもない」


アズベルは一度うなずく。


「では、兵は最小限の警戒に留めましょう。

 街道沿いに目を配らせます」


「必要になれば、そのときは優先順位を入れ替える。

 今は、その前段階だ」



午後、残っていた細かな作業を終えた頃には、

水の音がはっきりと変わっていた。


細い流れではなく、

“川”と呼べるほどの連続した音。


「……戻ったな」

ドランがしみじみと呟く。


「昔、この音を聞きながら畑を見回ったもんだ。

 まさか、もう一度聞けるとはな」


視界には、淡い文字が浮かんでいる。


『主水路復旧率:七割

 農地回復の土台:形成完了

 次の課題:土壌と農業構造』


最初の山は、越えた。


村人たちの顔には、汗と土と、それからはっきりとした安堵があった。


「水がこれだけ流れれば……」

「今年は、飢えずに済むかもしれない」

「他所に出ていった連中も、戻ってくるだろうか」


その声を聞きながら、俺は一つだけ意識して口を開いた。


「これは始まりに過ぎない。

 水が戻れば、今度は畑をどう使うかが問題になる。

 麦だけではなく、土地に合う作物を探す必要がある」


セラの顔がちらりと浮かんだ。

土と植物をよく見ている、あの少女のことだ。


「帰ったら、農地の状態を見に行く。

 今日の成果を、次に繋げる」


視界の文字が、静かに色を変える。


『領民感情:期待 → 行動 → 信頼への移行始まり』


その変化を確かめるように、

俺は流れ続ける水の音を、しばらく黙って聞いていた。


水は戻った。

だが、盗賊の噂と、ハイレンの影は消えていない。


順番を間違えずに、一つずつ崩していく。


それが、今の俺の役目だ。

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