第7話 崩れない岩と、読めない“誤差”

翌朝。

三箇所目──山肌が大きく崩れた地点に戻ってきた。


昨日よりも空気が重い。

理由は分かっている。


ここだけは、他とは規模が違う。


アズベルが斜面に近づき、慎重に石を拾い上げた。


「……思った以上に固いな。

 昨日の雨で緩むかと思ったが、逆に締まっている」


視界に淡い文字が浮かぶ。


『改善予測:人員十五名×四〜五日』


昨日見たものと同じだ。


ただし、その文字の端に、

今まで見たことのない小さな表示が揺れていた。


『誤差発生の可能性:中』


誤差──。


昨日から感じていた、能力の“限界”が

ここでは目に見える形で現れている。


マリアが岩壁を触りながらつぶやく。


「この色……表面だけでなく、奥も固まっています。

 普通の土砂崩れとは違うような……」


ドランも険しい顔だ。


「八年前の地震の後、

 ここは一度も手がついていなかった。

 雨と風で固まって……もはや岩だ」


アズベルが腕を組む。


「ここを三日で掘るのは無理だな。

 視える力がどうであれ、現場は現場だ」


その言葉に、俺は頷くしかなかった。


視界の文字は原因を示す。

改善も示す。


だが──

“どれだけの誤差が出るか”は視えない。


誤差の範囲まで示せば万能になる。

能力がそこを描かないのは当然だ。


「作業を始めるぞ」

俺は皆に告げた。


「ただし、予定より慎重に進める。

 危険箇所はアズベルが判断する。

 無理はしない」



午前中の作業は、ほとんど前進しなかった。


つるはしは弾かれ、

岩がわずかに欠けるだけ。


村人たちの息が荒くなり、

斜面に響く金属音が、やがて弱くなっていく。


ドランが汗をぬぐいながら言った。


「……これは、五日でも足りないかもしれん」


視界の表示も変わっていた。


『作業進行:想定以下

 崩落リスク:上昇

 改善:作業方法の変更推奨』


方法を変えるべきだ。


俺は岩壁を近くで見た。

硬化した層が分厚く、通常の掘削では歯が立たない。


そのとき、セラが息を切らしながら走ってきた。


「レオン様! ちょっと……いいですか。」


彼女は岩壁に近づき、表面を触った。


「やっぱり……水が流れなくなったせいで、

 土の養分が抜けて固まってるんです。

 本来の地層じゃありません」


マリアが驚いた顔を向ける。


「分かるの?」


「土の匂いが違います。

 本来の崩落土ならもっと柔らかいはずです」


セラが視線をこちらに向けた。


「これ、下の層だけ削ったら危ないです。

 上の重みで崩れます。

 ……順番を変えた方がいいです」


視界に新しい文字が浮かぶ。


『改善案:

 ① 上層の軽い岩を先に崩す

 ② その後で下層の硬化部分に着手

 崩落リスク:低下』


さっきまで視えなかった選択肢だ。


セラの観察で“必要な前提情報”が満たされたのだろう。


俺は即座に判断した。


「作業方針を変える。

 上層の軽い岩から崩す。

 セラ、位置を教えてくれ」


「はい!」


アズベルも納得した様子で頷く。


「確かに、この順番なら崩落を防げる。

 感覚が鋭い子だな……」


午後の作業は一転して捗った。


軽い岩を取り除くだけで、

斜面全体の負担が減り、崩落の危険が低くなる。


視界にも進行の変化が出た。


『進行:安定

 崩落リスク:低

 必要日数:五〜六日へ変更』


──誤差が生じた。

だが、それでいい。


予定が狂うのは当然だ。

原因と改善が分かっても、

現場は常に想定外を生む。


それに対応するのは、

能力ではなく“判断”と“協力”だ。



夕方。

今日は無理をせず、撤収することにした。


斜面を降りる途中、アズベルが声を潜めて言った。


「……領主様。

 気になるものを見つけました」


彼は、小さな靴跡を示した。


「盗賊にしては小さすぎる。

 子どもか、あるいは女だ」


「なぜここに?」


「それが分からん。

 ただ──」


アズベルは周囲を見回し、声をさらに落とす。


「足跡の方向は、ハイレン側の山道から来ている」


風が、ひやりと山肌をなでる。


視界には何も浮かばない。

人間の意図は視えない。


だが、嫌な予感だけははっきりしていた。


「明日は崩落作業を続ける。

 ただし、警戒を強めろ」


アズベルは短く頷いた。


「了解した」


水は戻った。

畑も息を吹き返し始めている。


だがその裏で、

静かに“別の不協和音”が鳴り始めている。


明日、何かが起きるかもしれない。


そう思いながら、

俺は領主館へと歩みを進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る