乙女は魔力を試される

「――では、魔力測定を始めます」

そう言ったのは、帝都から招かれた若き魔導士メイジだ。


今日は、アザル公爵家の新たな養女であるアリア=アザルの正式な“魔力認定”の日。

義兄エルヴィンの提案により、帝都魔導院アルカナ・アストラの立会いで行われることになったのだ。


この世界の皇家と貴族はみな契約星セイラスの加護を持って生まれ、どんな魔術が使えるかは、どの星の加護を受けているかで決まる。皇家は、天にひときわ大きく輝く黒曜星オブシディアンの加護を受け“支配と加護”を司る。アザル公爵家は氷星グラキアリスを戴き“封印と停滞”の理を受け継ぐ。それぞれのハウスは固有の契約星と結ばれ、代々その加護を継承しているのだ。


魔力量の大きい者は5~6歳で自然と力が顕現し、遊びの中で魔術を使えるようになっていくらしいけど、そうでない者は16歳になったら魔力測定を受けるのが決まりなんだって。ごくまれに庶民のなかにも契約星を持って生まれる者がいるが、そういう人たちはほぼもれなく帝都魔導院に引き取られていくらしい。


でもアリアの場合、そもそも庶民だし、もしあったとしてもこの年になるまで魔力が自然に顕現してないってことは微々たる魔力量なんだと思う。髪の色も薄いしね。


だから、こんな大げさなことしなくていいって言ったのになぁ……


◇◇◇


――魔力測定の1週間前。


公爵家の藤の間ウィステリアホールのテーブルには、最近すっかり定番になってしまった、二人きりのお茶会のためのティーセットが並んでいる。


「アリア、今日の茶葉は?」

エルヴィンは、薄い金縁のカップを指先で転がしながら穏やかに問いかけた。


「公爵家の茶庫にあった新茶ですわ。香りが軽やかで、とても気に入りましたの」

そう答えながらポットを傾けると、藤の花模様がそっと揺れ、ほのかな香りが広がった。


エルヴィンは、その香りを確かめるように目を細める。

「……やはり、おまえが淹れると一段と味わい深いな」


相変わらず、惜しみなく褒めてくる。いや、惜しむどころか毎回過剰だ。普通の貴族令嬢は義兄にここまで褒められるものなの?


「お義兄様、庶民の出のわたくしに魔力などあるはずがございませんわ。帝都魔導院の皆さまにご迷惑をおかけするだけです」

「アリア、“エルヴィン”と呼ぶように言ったはずだ。――おまえの慎み深さは美徳だが、遠慮しなくていい。おまえのこの美しい薄紫色の髪を見ると、何らかの魔力が顕現していてもおかしくはないのだよ。おとなしく儀式を受けてくれ」


そう言って、彼はそっと私の髪とひと房とると、自分の唇を触れさせた。

エルヴィンの動きにあわせて、その長い濃紫の髪もさらりと動き、光をはらんでゆるやかに揺れる。


うーん。ほんと改めて見てもエルヴィンってとんでもない美形だよね。でも、このところ毎日のようにお茶会してるせいか、もはやその美貌に何も感じなくなっている自分が怖い。ブラック企業もこうやっていつの間に慣れて、それが普通になっていってたんだわ……


――結局、義兄の粘り強い説得に応じて、この日を迎えることになったのだ。


◇◇◇


魔力測定を執り行う魔導士は、柔らかな声で言った。

「セレス=ヴァルナローデンと申します」


淡い光を孕んだプラチナシルバーの髪が肩にかかり、琥珀色の瞳が穏やかに笑う。

帝都魔導院に多くの学匠を輩出してきたヴァルナローデン伯爵家の家彩カラーをまとい、「先詠みの魔導士オーガー・メイジ」として知られる彼は、魔術だけでなく剣をも自在に操るという。

整った所作の奥には、真面目さと人懐こさが同居している。研ぎ澄まされた理性の光に、誠実な温もりがにじむ青年だった。


……この世界の貴族って、イケメンしかいないのかな。


「アリア嬢、緊張するのは無理もありませんが、できるだけ心を落ち着けて臨んでくださいね」

「はい、お気遣いありがとうございます」

「気負う必要はない。結果がどうであれ、お前が誰より愛しい存在であることは変わらぬ。魔力が無ければ縁談の数も減ってちょうど良いやもしれん」


ん?あなた私をさっさと結婚させようとしてませんでしたっけ?縁談減っちゃったら、困らない?


そんなことを考えていると、魔導士が腕を上げ、静かな風が部屋を満たした。

魔導陣の線が青白く脈動し、水晶球がわずかに揺れる。


「アリア嬢、両手をこの球にかざしてください」


地面には古代文字の魔導陣が淡く光り、中央の大きな大理石のテーブルには水晶球が置かれている。


「はい」


手をそっと近づけた瞬間、胸の奥で何かがざわめいた。

次の瞬間、球の中心がぼうっと光を帯びる。

淡い紫、そして淡金色。様々な色が現れ、まるで春の庭のような柔らかな光を放つ。

遠い昔、似た光を見たような――そんな錯覚が走る


「これは……」


魔導士が息をのむ間に、光は瞬く間に膨れあがった。

音もなく、世界が白に呑まれる。

それはもはや光ではなく、奔流だった――

あらゆる影を押し流し、目を開けることさえ許さぬほどの純白。


「魔力が暴走している!」


その瞬間、エルヴィンが私の背中に手をあてて、何やらつぶやいた。

とたん、背中があたたかくなり、そのぬくもりに安心する。


光がふっと静まり、何事もなかったかのように消えた。


……え、今、何が起きたの?


見ると、水晶球に大きな亀裂が入っている。


「す、すみません!わたくしのせいです!大事な水晶球を壊してしまって申し訳ございません!」

「いや、おまえのせいではない」


エルヴィンは短く答えた。その声は低く、冷静で、それでいてどこか震えていた。


セレスをはじめ、帝都からやってきた魔導院の人たちが信じられないといった目で私を見てくる。

うわ~ごめんなさい。きっと私の馬鹿力で水晶球が壊れちゃったんだ。毎日重い資料とPCを持って通勤してた前世の私、そういえば何にも鍛えてないのにけっこう筋肉ついちゃってたもんなぁ。


「測定はこれで終わりだ」

「しかし、このような前例のない状況は!帝国に報告が必要です!」

「必要ない」

「いえ…これは、由々しき事態です。この家彩カラーは失われた聖女のものとあまりに…」

「それ以上言えば皇家への侮辱罪に問われることになるぞ。貴殿はそのようなことを軽々しく言えるような立場にないはず。セレス=ヴァルナローデン殿」


ああ、美形二人が不詳の妹のせいでなんだか揉めている。本当にごめんなさい。それに聖女がどうのとか、なんだか不穏すぎませんか。庶民のアリアがそんな力持ってるわけないんだから、何かの勘違いです。


あまりの深刻な雰囲気に、私はおろおろとその場に立ち尽くしたのだった。



◇◇◇



エルヴィンが魔導士たちを追いたてるように退出させ、気が付けば2人きりになっていた。


「……お義兄様、わたくしは失敗したのでしょうか」

「いいや。お前のせいではない」


エルヴィンは私の両手を取り、そっと掌を開かせた。

そこには、淡く輝く紋章が浮かんでいた。

まるで光の蔓草が指先に絡みつくように、金と紫の模様が淡く瞬いている。


「これは……」


「私が、ほどこした。と言っても”停滞”させただけで、気休めにしかならん」


「停滞?」


「大きすぎる力は、抑えることはできない。私にできたのは、氷星グラキアリスで、おまえの魔力の流れを一時的に停滞させ、あの場をおさめることぐらいだった」


言葉の意味がすぐには理解できなかった。

でも、義兄の瞳が静かに揺れているのを見て、ただ事ではないことだけはわかった。


「……危険な力なのですか?魔導士の方が言っていた聖女様の力と何か関係が?」

「今は私の口から何も言うことはできない。だが、その力が暴れれば、この国のことわりすら歪むだろう」


えっ、国が歪むって、そんなスケールの話なの!?


黙っている私に、エルヴィンは真剣な顔で続けた。

「アリア、これからは魔力があることを人に言ってはならぬ。たとえどのような人間に聞かれてもだ。そなたが魔力のない娘と、無能な娘とそしられようとかまわぬ――約束できるな?」


その声があまりに静かで、“命令”ではなく“懇願”に聞こえたので、私は思わず頷いた。


「はい、約束します」


ん?思わず約束しちゃったけど、ってことは私、対外的にも「無能な娘」決定?貴族で魔力が無いのってかなりイレギュラーだし、落ちこぼれ感あるよね?――いや、そのほうが縁談が少なくなって、スローライフが近づくのか?


頭の中をぐるぐるさせていると、エルヴィンが目を閉じ、短く息をついた。

彼の指先が、まだ私の手を包んでいる。いつのまにか紋章が消えているのに気づく。義兄がまた何かしたのだろうか。その掌の温かさだけが、あの暴れた光を鎮めているように感じた。


どうしてだろう。

この人のそばにいると、いつの間にか安心している自分がいる。



「エルヴィン…」

思わず名前を呼んでいた。顔をあげるとエルヴィンの顔が赤くなっている。あ、やっぱりいざ平民の娘に呼び捨てにされると気分は悪いよね。ごめんなさい。無能の庶民がちょっと調子に乗ってしまいました。


「ごめんなさい!お義兄さ…」

「エルヴィンで良い!――ただ、時と場所を考えて口に出すように…急に呼ばれると心臓に悪い…」


え?もしかしてエルヴィンって心臓が生まれつき悪いとか!?何かの病気だったりする!?義妹のためにも長生きしてくれないと困るよ。あなたに負担をかけないよう、私もこれから淑女としてしっかりやりますからね!


「わかりましたわ。私もあなたにふさわしい女性になるよう努力いたしますわ。エルヴィン」


私は、エルヴィンお義兄様の手をぎゅっと握りしめてにっこりと笑ったのだった。


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