日常への帰還と、風景のアップデート

 衝突と没収

警察署から連れ戻された雫を待っていたのは、想像を絶する厳罰だった。


 母親は泣き崩れ、父親は激怒した。


「契約」を破った代償は重く、翌日、リベロ号は鍵を没収され、親戚の家のガレージに移動されることが決まった。


 バイクに乗るという、雫の唯一の自由は、あっけなく奪われた。


学校でも、二人の行動は瞬く間に広まった。


 蓮は謹慎処分を受け、雫も学年主任から厳重な説教を受ける。


二人は、学校生活において完全に孤立した。


クラスメイトの視線は、「憧れ」から「好奇の目」と「冷たい軽蔑」に変わっていた。


(これが、私たちが選んだ道の、代償)


 雫は、自分の判断ミスが蓮をさらに追い詰めてしまったことに、激しく後悔した。


数日後


蓮が雫にメッセージを送ってきた。


>蓮  バイクは、手放すことにした。親ももう限界だ。


>雫 ……ごめん。私のせいで。


>蓮  お前のせいじゃない。俺が背負うべきものだ。お前は、俺にトスを上げてくれた。それだけで、俺はもう一人じゃない。


 蓮のバイクが手放されることが、彼が過去の罪と向き合い、「バイクという逃避行」から卒業しようとしている証だと、雫は悟った。


 しかし、それは同時に、二人の秘密の絆が、日常の現実に引き裂かれる瞬間でもあった。


  美咲のトス

 雫が最も辛かったのは、友人たちとの断絶だった。


 特に幼馴染の美咲は、雫を避け続けていた。


ある放課後、雫は意を決して、美咲を呼び出した。

「話を聞いてほしい」


 雫は、秘密のツーリングのこと、蓮が背負っている過去、そして自分がなぜそこまでバイクに夢中になったのか、全てを正直に話した。


 美咲は、黙って聞いていたが、最後に涙を流した。

「バカ… 雫は本当にバカだよ。どれだけ私たちが心配したか知ってる? でもね…」


美咲は、雫の手を強く握りしめた。

「私、知ってるよ。雫がバイトの休憩中に、小さな道の駅の写真を嬉しそうに見ていたこと。私たちと違う道を選んで、それでも必死に頑張っていること。私たちにとっての恋バナが、雫にとってはバイクだった。それを、私たちは憧れて、妬ましく思っていたんだ」


 美咲は、雫が撮り溜めていたローカルグルメや絶景の写真を、こっそり保存していたのを見せた。

「あのね、雫。セッターだった雫が、私たちにトスを上げなくなった時、私たちが次のトスを上げる番だったんだよ。逃げるな。一人で背負うな。」


 美咲の言葉は、蓮とは違う、日常に引き戻すための、温かく力強い「トス」だった。


 雫は、初めて友人の優しさと、自分が日常から逃げていた事実を自覚し、号泣した。


 和解と、自由の真の意味

数週間後、雫は母親に頭を下げた。

「バイクを取り上げられたのは当然です。契約を破った私が悪いです。でも、お母さんが恐れているのは、私があのバイクに乗って、また『危ないこと』をすることですか?」


母親は、静かに頷いた。

「わかった。私は、もうリベロ号を返せとは言いません。でも、お母さん。バイクは、私にとって逃げ場所じゃない。 私が、誰にも頼らず、自分で頑張った証。そして、私だけの『風景』を見つけるための道具です。私はこの夏、自分の責任と、蓮の罪の重さ、そして、美咲の優しさ… 人生の全てを学びました。だから、どうか私を信じてほしい」


 雫の真摯な決意に、母親は長い沈黙の後、ついに頷いた。

「リベロ号は、まだ預けたままだ。だけど、次の冬休みまでの間、もう一度、私と新しい契約を結びなさい。今度は、あなたの成績だけじゃない。乗る場所、帰宅時間、全てにおいて、あなたが自分で自分の自由を律すること。 それができたら、私はあなたに、再び鍵を渡す」


 母親は、バイクに乗る自由そのものを否定したのではなく、「その自由に見合う責任と自立」を求めていたのだ。雫は、涙を拭い、新しい契約書にサインした。それは、もう反逆ではない、未来への約束だった。


  アップデートされた風景

秋風が吹き始めた頃、雫は蓮と学校の裏門で再会した。

「元気か、セッター」


「蓮こそ。もう大丈夫なの?」


「ああ。俺は、バイクを手放した代わりに、自分の過去と向き合う時間を持つことにした。今度は、自分の足で、あいつの分まで歩く」


蓮は少し寂しそうに笑ったが、その目には以前のような深い影はなかった。

「雫。お前は、またバイクに乗れるようになる。その時、俺の分まで走ってくれ。お前の風景を、俺にも見せてくれ」


 蓮との関係は、かつての恋仲には発展しなかった。しかし、二人は、互いの人生の困難な道に、トス(希望)を上げ続ける、魂のパートナーとして、強く深く結ばれていた。


 雫は、いつもの通学路を歩きながら、ふと空を見上げる。リベロ号はまだガレージの中だが、彼女の視界は、もう以前とは違っていた。


景色は変わっていない。しかし、彼女は知っている。


 この日常のどこかで、自分が命懸けで勝ち取った「自由の道」が、いつでも彼女を待っていることを。


 彼女の人生は、もう誰かのトスに頼るものではなく、自分でハンドルを握り、自分の意志で速度を決める、自由なツーリングの旅となった。


(大丈夫。次のトスは、私が決める。)

 雫は、いつかまた愛車に跨り、蓮の分まで、そして自分のために、隣の隣の県のさらに遠くを目指すだろう。


「セッターの隣の風景は、これからも、私自身の手でアップデートされ続ける。」




   物語はここで完走


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セッターの隣の風景 比絽斗 @motive038

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