第2話 焦燥の果てで
――届かなかった。
昨日、ブラッド・ウルフの喉元を狙って突き出した刃は、わずかに届かずに弾かれた。
その一瞬の遅れが命取りだった。
牙が目前に迫り、死が喉元を掠めた。
その瞬間――セリアが飛び込んできた。
双剣が赤い閃光を描く。
その刃がウルフの首を断ち切る音を、リアンはただ呆然と聞いていた。
血が飛び散る。
倒れた獣の影。
そして、彼女の背中。
自分よりもずっと強く、美しく、遠い背中。
あの瞬間から、胸の中に黒いものが生まれた。
◆
夜が明けた。
眠れないまま迎えた朝。
ギルドの鐘が鳴っても、リアンはベッドから起き上がれなかった。
頭の中では、何度も昨日の戦いが再生されていた。
振り抜く刃。
ウルフの咆哮。
そして、届かないダガー。
――何が足りなかった?
力か。速さか。勇気か。
全部、違う気がした。
ただ、何かが“決定的に”足りない。
それが分からない。
分からないまま、焦りだけが膨らんでいく。
◆
訓練場の砂地に立つ。
朝日が地平線を染め、風が冷たく頬を撫でた。
リアンはダガーを抜き、構える。
昨日と同じ動きで斬りつける。
一歩踏み出して、振り下ろす。
だが、空を裂く音は弱い。
刃の軌跡が、まるで空気に拒まれているようだった。
「くそっ……なんでだよ!」
叫びながらもう一度振る。
肩が痛む。
息が荒くなる。
足がふらつく。
どれだけ振っても、届かない。
あのとき届かなかった牙の先へ。
セリアが立つ場所へ。
届かない。届かない。届かない。
◆
昼過ぎ、ギルドの酒場。
ざわめきの中で、誰かが笑っていた。
「セリアの奴、また討伐成功だってさ!」
「やっぱり《銀双剣》の名は伊達じゃねえな!」
その言葉が耳に刺さる。
聞きたくないのに、勝手に入ってくる。
あの日、幼い自分が言った言葉が脳裏をよぎる。
――俺、英雄になるんだ。
――セリアと一緒に。
けれど、現実は。
セリアは前に進み、リアンは地面に縫い付けられたまま。
誰も彼を見ていない。
英雄なんて、夢物語だったのかもしれない。
◆
夕方。
再び訓練場に戻る。
太陽が沈む赤い光の中で、リアンはダガーを振り続けた。
掌の皮が裂けても、構わずに。
汗が砂を濡らしても、止まらずに。
“今度こそ届く”
“今度こそ倒す”
そう何度も自分に言い聞かせる。
けれど、胸の奥から小さな声が聞こえた。
(無理だよ)
(お前には才能がない)
(セリアとは違うんだ)
「やめろ……そんなこと、言うな……」
誰もいない。
それでも、リアンは首を振り続けた。
頭の中にこびりつく劣等感が、声になって押し寄せてくる。
「俺だって……俺だって、強くなりたいんだ……っ!」
叫びながら振ったダガーが、手からすっぽ抜けて地面に突き刺さった。
刃が震え、光を反射する。
それはまるで、彼の心が砕ける音のようだった。
◆
夜。
月明かりの下で、セリアが現れた。
訓練場の端で彼を見つめ、静かに言う。
「また練習してるの?」
「……まだ、足りない」
「リアン。無理しても強くはなれないよ」
「無理しないと、俺はお前に追いつけない!」
声が震えた。
焦り、嫉妬、悔しさ、全部が混ざっていた。
「昨日だって……俺がもっと強ければ、お前に助けられずに済んだ。守れたんだ!」
「リアン、それは――」
「お前には分からない! お前は最初から強かったから!」
言ってから、後悔した。
セリアの瞳が痛そうに揺れた。
彼女は何も言わず、ただ微笑んで言った。
「……じゃあ、焦る前に、自分を見つけて」
その言葉の意味が分からなかった。
ただ、胸の奥で何かがざわめいた。
だが、まだ“それ”が何なのかを知るには、リアンはあまりに未熟だった。
◆
月が雲に隠れ、世界が暗く沈む。
リアンは砂地に座り込み、手のひらを見つめた。
ひび割れた皮膚、乾いた血。
それでも、ダガーを手放すことはできない。
焦りは消えない。
むしろ、より深く、より熱く燃え続ける。
届かない背中。
届かない牙の先。
届かない――英雄の理想。
「俺は……まだ、何も掴めてないんだな」
呟いた声は風に溶けて消えた。
夜は静かに、少年の焦燥を包み込む。
覚醒の導はまだ見えない。
だが、確かに――この焦りが、リアンを次の夜明けへと押し出していく。
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