第8話 谷の魔女

「グルル……」


 ルドルフの口から出たのは言葉とは呼べないものだった。狼と恐れられることはあっても、意思疎通はできていたのに。


「どうしたの、ルドルフ!? まるで昔に戻っちゃったみたい!」

「僕達のことがわからないのかい?」


 エマとカイはルドルフと同じ孤児院出身だ。ルドルフの方が二人より後に入ったから、エマ達は彼が来た当時のことを覚えているのだろう。


「ガウッ!」


 ルドルフは二人の声に反応することなく、大剣をカイが持つ盾に押し当てた。体格のいいルドルフが相手では分が悪い。そもそも、カイの本領は受け流すことにあるのだ。正面からぶつかったらカイの方が力負けする。


「土の壁」


 私も加勢しなければ、と魔力を込めた杖で地面を叩いたけれど、魔力が見えない壁に当たった感触がして変なところに土壁がせり上がった。もう一度やっても同じ位置に土壁ができる。腕を前に伸ばして歩いたら、ちょうど魔力を阻まれた辺りで突然様々な色が交じった壁が一瞬見えた。叩くともう一度現れる。これは何だろうか。


「ソフィ、助けて!」


 エマが駆け寄ってきたけれど、壁にぶつかって頭を強打する。


「いてて……何これ? どうしてソフィのところに行けないの!?」


 エマが力強く叩くけれど、壁はびくともしない。どうやら分断されてしまったようだ。

 壁は恐らく魔法によるもの。ルドルフは魔法を使えないし、どこかに術者が隠れているに違いない。魔力感知をしながら周りを見渡すと、暗がりに黒衣を着た人がいた。


 黒髪に藍色の瞳、ヴェラットだ。

 よく見ると剣の柄の部分に緑と黒の二つの魔石が填まっている。黒い魔石から指を離さないのは、魔法を行使しているからだろうか。


「ヴェラット、何をしたの?」

「結界魔法だ。主がお前との対話をお望みだからな」

「……主?」


 誰かに従うような人間には見えないけれど、本当に主なんているのだろうか。少し疑問に思ったけれど、唐突に感じた膨大な魔力に呼吸が止まる。


 竜巻のように全てを呑み込み吹き荒れる風、禍々しいほどに鋭利な刃。そんな印象を与える魔力は初めてグラオヴォルフと戦ったときに感じたものに他ならなかった。

 ヴェラットが口を歪める。


「お出ましだ」


 渦巻く風が周囲の木々をなぎ払いながら近づいてくる。どこにも逃げ場がないのは一目見てわかった。


「土の壁!」


 半球状の土壁を作って体を縮こませる。必死に魔力を流して強度を高めたけれど、私の努力なんて無駄だと嘲笑うように一瞬で崩壊した。そのまま私も風に巻き上げられる。


「っ!」


 竜巻から外に放り出されても地面に激突しなかったのは、当たる直前に上昇気流が発生したからだ。またしても私の体は宙を舞い、地面に近づいていく。それを何度か繰り返しようやく地面に落とされたときには、服は刃物で裂かれたようにボロボロで、全身に切り傷があった。


 渦巻く風は次第に小さくなっていき、やがて人をかたどる。渦が飛散して姿を現したのは、白髪が交じった黒髪の女だった。私を嘲笑うように見る瞳は乾いた血のようにくすんだ赤色だ。


「やぁ、魔女ソフィ。アタシは谷の魔女さ」


 谷の魔女。それは最も忌み嫌われる魔女の名で、最恐と呼ばれる魔女だ。災厄から大陸を護った放浪の魔女を殺した人物、王国北部では今も谷の魔女による被害が後を絶たないらしい。得意な魔法は風。

 自ら名乗ったのだし本人で間違いないのだろうけれど、今私を何と呼んだのだろう。そもそも、名前を言った記憶もない。


「魔女ソフィって誰のこと?」

「勿論アンタのことさぁ。自分が魔女だっていう自覚、ないのかい?」

「私が魔女? 何を言ってるの?」


 確かに私は女で黒髪で魔力の扱いにも自負がある。けれど、それだけで魔女と名乗れるわけではない。災厄の魔女の血を引いていて、かつ魔女の娘である必要があるのだ。


「アンタの誕生には大陸に棲む全ての魔女が驚いたさ。これほど災厄の血を引いた魔女は現代ではありえないとね。優秀な魔女に引き取られたから、誰も手を出すことができなかったけど」


 でも今は違う、と谷の魔女は乾いた唇を三日月の形にした。


「アンタは自ら安全な場所を去った。外に出てすぐ襲われなかったのは、気配が他と見分けがつかないほど薄れていたからさ。それが今やかつての輝きを取り戻しつつある。生まれたばかりの頃と比べれば薄いが、アンタが魔女であることを自覚すればすぐに覚醒するだろうねぇ。赤子でもアタシを超えてたんだ、一人前の魔女になるのが今から楽しみだよ」


 何が楽しいのかさっぱりだし、何を言っているのかもわからない。言語が同じでも話が通じない人だ。

 谷の魔女の周りに魔力が集まり始め、風が吹き荒れる。私は立っているのがやっとで、風に押されて徐々に後退した。木を背に踏み留まったけれど、風は木ごと私を空へ運ぶ。あまりの勢いに手から杖が離れた。


「さぁ、どうやってこの危機を乗り越えるんだい? アンタの底力を見せておくれ」


 杖も風に乗って空を飛んでいる。空気の渦を足場にして杖を手に取った。

 土魔法は地面に直接魔力を流した方が威力も精度も高い。けれど、それでは街中や建物の中で使えなくなる。だから、魔力が余分に必要だけれど遠隔操作や土の生成も可能だ。


「土の槍」

「おっと」


 まずは槍を谷の魔女の足元から生やして術者の注意を引く。


「土の板」


 風が弱まったところで自分の足元に厚めの板を生成し、重さを利用してゆっくりと地面へ。


「土の矢」


 邪魔されないよう、牽制するのも忘れない。しかし……


「甘いねぇ」


 谷の魔女が手をかざす。たったそれだけで槍と矢は一瞬で粉々になり、私は足場から転落した。渦に呑まれて回転しながら空高く登っていき、不意に落とされる。もう抵抗するほどの魔力も気力も残っていなかった。辛うじて動く口を開く。


「だれか、助けて」


 エマとカイとレオは結界の内側でルドルフと向き合っている、谷の魔女とヴェラットは敵、他に山にいる人はいない。私の声は誰にも届くことなく消えると思っていた。


「はい、勿論です」


 けれど、返答と共に両腕で抱きしめられるのを感じた。驚いて目を開けると、黒髪を結った女が私を見て微笑む。


「あなたを助けに参りました。後はお任せください」

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