8話 ランサー、襲撃
――事件があった四日後の金曜日、生活指導室
校舎は夕方の光に染まり始めていて、下校した児童の姿はもういない。
たろうは深く息を吸い、机の前に立ち生活指導主任――五十代の小太りの男性に向き直った。
「…この四日間、たいへんお世話になりました。
主任様のご指導は、まるで砂漠に降る一滴の雨のようにボクの心に沁み渡り、人としての在り方を取り戻せたような気がします。このご恩、一生忘れません。」
頭を下げるその所作は妙に丁寧で、主任は目を丸くした。
「……佐藤。
お前みたいなのが、そんな礼儀正しいとは思わなんだよ。
うん……まぁ、その、気持ちは受け取っておく」
主任は目頭が熱くなったのか、鼻を啜ってごまかした。
窓から射す夕陽の色彩に部屋が茜色に染まる中、
たろうは頷いてから小さく微笑み、扉に手をかける。
ギィ……と音を立てて一礼してから扉を出る。
ひょこっ。
扉の隙間から、たろうの顔が戻ってきた。
主任が「なんだ?」と目を細めると、
「二度と来るかよ、ば〜〜〜〜〜〜か!」
たろうは悪戯っぽい顔で舌を出し、ひらひらと手を振った。
バタンッ!!
扉が閉まる。
……ギィ。
…が、一回閉められた扉が再び開く
「…あと、ちょっとハゲかけてますよ。注意してください」
バタンッ!!
主任の「こらぁぁ!!!」という怒声が爆発する前に、
たろうは廊下を全力ダッシュする。
──あの日
体育館裏での“騒ぎ”のあと、俺はすぐ職員室に行き
安藤マイらの鈴木すずめへの一連の虐めを報告した。
そして、仕掛けた録画データや証拠もすべて提出した。
自分としては、もっと学校全体を巻き込んだ大騒ぎになると思っていたのだが、
被害者側(鈴木総業)は被害届を出さず、学校内での処理を選んだらしい(それはそれで彼女らのあとを思うとちょっと怖いのだが)
安藤マイ始め、高木レオと小久保タイチは自宅謹慎。
石田ユウタと真谷ヨウマは生活指導室での一日指導。
今まで見て見ぬ振りしてた担任教師は担任交代する予定で次年度は他校へ異動するという噂もある。
…だが、その場で問題になったのは虐めだけではない
高木レオと小久保タイチに対して行った“過剰暴力”
あれも教職員の会議で大いに問題視された。
結果として、
俺は、その週の金曜日まで四日間、
生活指導室での校内謹慎を命じられた。
たろうは、廊下をひとつ曲がったところでようやく足を止めた。
「よし…ここまで来れば大丈夫か」
軽く息を吐いた、そのとき
「佐藤くん…大丈夫?」
前から、控えめな声がした。
「おっ、前園」
そこに立っていたのは、前園アヤカだった。
──前園アヤカ
教室での虐めを机の影からこっそり撮り続けてくれていた『協力者』
…そして、今回の事件の発端でもある。
あの日、教室で最初にすずめを糾弾して虐めが始まる“きっかけ”になってしまった女の子。
その後、事態が想像以上の方向へ転がってしまい、
彼女は誰よりも深く、静かにうつむくしかなくなっていた。
誰も止めない。
担任すら見て見ぬふりをする。
自分だけが声を上げた“正義”が、結果として最悪の火種になってしまった。
前園自身、そのことを誰よりも理解している。
だからこそ、
すずめに向かって伸びていた安藤マイの手、
その手を止めようとしたあの瞬間のたろうの声
前園アヤカの目が、一瞬だけ……
ほんの一瞬だけ“希望”みたいな光が瞳に映ったのをたろうは見逃さなかった。
だから、頼んだ。
“教室の様子だけでいい、撮ってほしい”と。
「前園、ありがとな。助かった」
「……ううん、私…そんな……」
そう言うと、アヤカはびくりと肩を揺らし
小さく首を横に振った。
声は蚊の鳴くように弱く、
まだ負い目が喉の奥に詰まってて抜けないみたいだ。
たろうは、
「そっか、じゃあな」とだけ返し、
そのまま下駄箱へ向けて歩き出そうとした。
が、
「……ま、待って!」
アヤカの声が呼び止める。
アヤカは裾をぎゅっと握りしめ、
必死に何かを押し出そうとしていた。
顔は俯いたままだが、
喉が震え、言葉が滲む。
「……わたし…ずっと……佐藤くんのこと……応援したかったの…」
「え?」
たろうは、思わず瞬きをした。
「わたし……ずっと、ずっと、佐藤くんのこと……応援したかったの。ほんとは、『がんばれ』って言いたかった…言いたかったのに……」
アヤカはかぶりを振る。
「なのに……言えなかった。
だって…わたし……まだ、すずめちゃんのパパのこと……悪い人だって、思ってるから……」
必死に言葉をしぼり出すように続ける。
「だって……お父さんが言ってたもん。
“鈴木さんちはヤクザだ”って。
“街の人たちを不幸にしかしない奴らだ”って。
“ああいうのと関わっちゃだめだ”って。
わたし……怖かった。
すずめちゃんも……すずめちゃんの家も……全部、怖かったの……!」
アヤカの肩が小さく震える。
「……でもね」
顔を上げた。
涙は落ちていないのに、まるで泣きそうな目。
「でも……虐めは、絶対にダメだって……わかってた。
わかってたのに……何もできなかった。
止めたら……わたしも狙われるって……考えちゃって……」
唇を噛み、ぎゅっと拳を握る。
「最初に……すずめちゃんのこと、あんなふうに言ったのに……
正しいことだって……勇気出したつもりだったのに……
わたしがきっかけで……みんながすずめちゃんを見下し始めて……
わたし……わたしが……!」
声が震える。
「…背中を向けることしかできなかった。
佐藤くんが助けようとしてるのを見て……“よかった”って思ったのに……自分は動かないで……ただ、見てるだけで……!」
胸元を押さえた手が震える。
「わたし……やっぱり、ひどい奴だよ……!」
「ううん、わたしのほうが……すずめちゃんよりよっぽど…ひどい奴かもしれない……」
「わたしは……わたしは!『佐藤くんがんばれ』って
言葉さえ言えなかったひどい奴なの………!」
廊下の蛍光灯が、アヤカの影を細く落とす。
小さな身体で、必死に、誰にも言えなかった気持ちを吐き出している。
「……別に、いいんじゃねーの?」
「え……?」
「前園が言ったこと……全てが間違いってわけでもないだろ」
「ヤクザはどう考えても悪い奴らだし、
だからといって鈴木(すずめ)がどうとか、あの時言ったこと全てを肯定するつもりもないけどな。
鈴木だってあいつ自身は、誰か人間に首輪かけたり脅したりしてるわけじゃあるまいし…
……ただ、まあ」
少しだけ視線をアヤカに向ける。
「誰もが怖くて言えなかったことを、勇気を出して震えてでも言葉にしたのは……ちょっとだけカッコよかったかもよ、前園」
「あと、『がんばれ』って思ってくれてありがとう」
たろうはそれ以上何も言わず、ランドセルの肩紐をぐっと握り直した。
「……じゃあ、帰るわ」
踵を返し、廊下を歩き出す。
数歩進んだところで背後から、
風に紛れるような小さな声がいた。
「──── 佐藤くんは、強いんだね」
たろうはそのまま校舎の出口へ歩いていった。
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昼食後の5限目。
ぽかぽかとした陽気と満腹感のせいで、教室はどこか緩んだ空気に包まれていた。
不良5人組のうち、真谷ヨウマを除き四人の席が空いている。
石田ユウタは自宅謹慎を食らっていないはずだが、転校でもするつもりなのだろうか。
たろうは机に突っ伏し、半分夢の中みたいな意識でぼんやりしていた。
──安藤の席、今日も空いてる…
──レオも、タイチもいねぇな……
──ヨウマは不良じゃねぇ奴ともう仲良くなっててすげーな……
──俺なんか殴ったせいで誰も話しかけてこなくなったのに…くやしい
──鈴木は…あいつどこ見てんだ…ドア…?
──……まただ…また思い出しちまう
断片的に、ここ数日の出来事が頭の奥でぐるぐると巡る。
体育館裏、血、叫び声…
安藤マイの赤く染まった左頬。
鈴木すずめが握りしめていたリボン。
前園アヤカの泣きそうな声。
意識が揺らぐ。
まぶたが重くなる。
……と………………さい……
耳の奥で、かすれた声が聞こえた気がした。
……と………………なさい……
夢の中の音のようにぼやけている。
「…………?」
それでもどこか切迫している、ような気がする。
「と……なさい……ッ」
なんだ、これ……先生……?
遠くのほうで、椅子が倒れる音がした。
誰かの小さな悲鳴が混じる。
「……とまりなさい……!」
徐々に近づいてくる。
次第に、張り詰めた空気が教室全体にざわりと広がり始める。
「 止 ま り な さ い !!!!
安 藤 マ イ !!!!」
──────────── 安藤マイ!?
意識が一気に覚醒する。
ガシャァァァァャァァァァァァンッッッ‼︎‼︎‼︎
窓ガラスの割れる甲高い音が教室中を貫く
振り返る暇もなく、
ドォン!!!!
強引にスライドドアが蹴り開けられた。
「────逃げて!!!!佐藤くん!!!!」
前園アヤカの悲鳴にも似た叫び声が聞こえた
────ブンッ
廊下から
椅子が、
宙を舞って、
たろうの頭上に───
「───ッ!!!!」
────ガッシャァァンッ!!ガアンッ!! ガラリ……ンッ!!ギャリンッ!! ガラガラッ……!!
たろうは間一髪、自分の机と椅子を蹴飛ばすように床に転げ落ちて、飛んできた“脚の尖った鉄の塊”を回避する。
教室全員の息が止まる。
たろうは視界が揺れる中、
廊下を見る
そこには───
───安藤マイ が立っていた。
髪は乱れ、汗に濡れてひどく生々しい。
頬にはうっすら赤みが差し、息は震えるように早い。
だが、それ以上に目を引いたのは顔だった。
笑っている
いや、笑っているように“歪んでいる”
その黒い瞳が――
まっすぐ、たろうだけを刺すように見つめている。
彼女の右手には………『リコーダー』が握られている。
彼女の表情が“変化”する。
怒りとも、悲しみとも、悔しさともつかない。
どれか一つに定まることを拒んだまま、
その全部が、耐えてきた感情が溢れすぎて
ぐしゃりと混ざり合って滲み出ている。
まるで…泣く代わりに誰かを傷つけずにはいられない子どものような顔をしていた。
そして彼女は
リコーダーを
振りかぶって
は…?
たろうは言葉を失う。
空気が歪む。
泣き声が聞こえる。
教室の誰かが逃げようとする。
また、椅子が倒れる音が響く。
「佐藤くん!!!!!!!!!」
ヨウマ「ファーw」
槍は、投げられた
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