7話 結婚しちゃう?
事件当日、学校が昼休みに入る頃
たろうは“例のDVD”を渡すために石田ユウタの家へ寄っていた。
ユウタの家は生活感のある大きな家で窓から差し込む陽射しがリビングいっぱいに広がり、玄関を開けた瞬間から温かい匂いが漂ってくる。
たろうは毎回、ユウタの家に行くたびに2歳の子供(ユウタの弟)に少年漫画を読み聞かせするという英才教育を施している。
特に、敵キャラへの心情表現にはかなり重きを置いており、演技派俳優顔負けの独演に観客も涙が止まらない。
「なぜだぁ……オレは……守りたかっただけなのにぃ……!」
「ぎゃははははは!」
観客は涙が止まらなかった。
「たろうくん、お茶入れたわよ〜」
ユウタの母親が、冷蔵庫で常備してあった麦茶をコップに注いでテーブルに置く。
たろうは今日もいい英才教育だった。と満足してテーブルに座ってお茶を飲む。
「う〜む…コレは…口いっぱいに広がる市販の茶葉の風味…ほのかに感じる水道水の名残り…そして中途半端に冷やされたことも相まって…まさに『お茶』って感じですね!」
たろうは褒めてるのか貶してるのかわからない感想を語る。
「あらまぁ〜、ありがとう〜」
ユウタの母親はたろうの小さな毒に気付いていなかった
「はぁぁ〜、ユウタ(親友(嘘))の母さんみたいな素敵な親の元で生まれたかったなぁ〜」
「やだもう〜!私なんてもうおばさんよ〜!」
「いえいえ、壇蜜に似てて綺麗ですよ」と答えようとした瞬間スマホから通知が届く。
『すずめちゃんマイちゃんに連れていかれちゃった!』
『今からすずめちゃんマイに体育倉庫に連れていかれそうだけど大丈夫そ?』
──ごぶっ!?
『協力者』からの切羽詰まったLINEのメッセージと協力関係にある真谷ヨウマのどこか他人事のように楽しんでいるようなメッセージが同タイミングで届き、
麦茶を吹き出しそうになる。
──嘘だろ!?
“実行”するのは休日か、せめて放課後だと思ってた…!
たろうは自分の読みの浅さに少し反省した
──ここから走っても学校まで10分はかかる…!持ち堪えられるか…!
たろうはヨウマに『自販機寄るとかなんか時間稼ぎしろ!!!』 とLINEを送る
たろうは勢いよく席を立ち、ランドセルには目もくれず、もともと一緒に持ってきていた空のリュックサックだけを背負う。
玄関へ急ぐ途中、
ふと視界の端に映るヨウマの家に立てかけてあるバットと野球ボールを見つける。
──バットは走るのにかさばる
──じゃあ野球ボールは?
──ヨウマからのLINEでは体育倉庫に移動すると言っていた
──体育倉庫はたしか鉄扉だったはず…
──“人間がノックする規則的な音”よりも“硬い球の不規則な衝突音”の方が絶対に注意を引く…!
たろうはその第六感で瞬時に判断してボールだけ片手に持った
たろうは「じゃあな!おばさん!」と言うと玄関から飛び出し学校に走る。
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「(ライブ感でなんとかここまでやってきたけど、本当にギリギリだった…)」
たろうは心の中でぼそりと呟き、息を整える。
「さて、と」
「ひっ…!」
たろうはここまでの過程を思い出し、安藤マイに向かって歩き出す。
「…ったく…」
「なに…!?なんなの…‼︎もういいじゃん‼︎」
「ったくよぉ…」
「来ないでよ!女の子を殴る気!?」
「ったくよぉ〜!!!!」
「きゃあっ!…あっ」
安藤マイはこちらに迫り来るたろうに対して徐々に後ろに下がっていったが、背中が体育館裏の壁に触れた
血に濡れた拳が、マイの顔のすぐ横に伸びていく
ドン!
「ひっ!」
たろうの血に濡れた右手がマイに“壁ドン”する形で壁に突き立った。
「あんなんでもなぁ…、一応、俺の幼馴染なんだわ」
幼馴染…!?
マイは初耳だった
「決めろよ安藤、鈴木すずめから手を引くか──
───────俺と結婚するかだぁ‼︎」
たろうは最後の嫌がらせを行った
が、これがいけなかった
「───────じゃあホントに結婚しちゃう?」
「えっ?」
安藤マイの目から、光が失われる。
穴の開いたみたいな焦点の合わない虚さ。
鈴木すずめのような、黒く、暗い、深い瞳。
「今なに言って…どわ!?」
マイが、たろうの身体に――“抱きついた”。
腕だけじゃない。
腰も、脚も、全部を巻きつけるように。
逃がさないように、絡みつくように。
たろうは反応が遅れ対応できず、バランスを失った。
背中から地面に倒れ込む。
「なぜお前まで鈴木眼を開眼してるんだ!?」と言おうとしたがそれは叶わなかった。
マイが上に乗っかってきたからだ。
スカートの中が見えそうになり、たろうは慌てて視線をマイの体の上のほうへ逸らす。
「ちょっ…!?“安藤さん”なにしてんすか!
…うおっ!?」
血で濡れた右手がマイの左手にきゅっと結ばれる。
たろうの頭上で湿った声が囁かれた。
「“たろうくん”言ったもんね?
“俺と結婚するか”って。
“俺が好きなのは安藤だよ”って。
あれ、冗談で言ったんじゃないよね?
だって、あんな顔で…あんな目で……
私の前に立って、言ったんだもんね?
私、わかってるよ…?
たろうくん、すずめちゃんを守るために、
いろんなことしてきたんでしょ?
でもね?
“守る”なんて簡単に言うけど
本当に守れるのは “隣にいる人” だけなんだよ?
だからね…
私の隣にいればいいじゃん。
あんな無口なすずめちゃんより
ずっとずっとずーっと……
私のほうが、たろうくんのこと、
好きになれるよ?一緒にいられるよ?
…結婚しよ?しちゃお?しちゃおっか?」
た… “たろうくん”…!?
なにが…おこってるんだ…!?
たろうは、頭上で起きた突然の出来事に完全に困惑してしまった。
───あんなあからさまな告白、嘘ってわかるだろ…!
───いや…
小学生の女の子なんてこんなモノなのか!?
───それに不良の女の子は純粋な子が多いって父さん
の本で読んだことがある…!
───いやいや待てよ、流石におかしいだろ…!
たろうは冷静にこの“状況”を考察することにした。
まず…ただの“不良の子”ならともかく
奴はクラスの空気そのものを支配する…
気に入らない相手を“空気”だけで孤立させて
利用価値のある相手は仲間に引き入れて自らの力を付けていく…
表向きはただの不良のフリをしてるが、
本質はいつでも相手より有利な場所に立とうとする策士
“賢い女”だ。
そうか…そういうことか!
コイツは自分が今、
圧倒的不利な状況に立たされていると理解した!
だから今度は“敵”である俺を逆に取り込もうとしてるんだ!
落としにきたんだ…!自分の“魔性”を理解して…!
危なかった…!別に“寝返る”気とかは毛頭無いが、
本当に俺のことが好きなのか騙されるところだった
魅せてくれたな‼︎安藤マイ‼︎
───ドン!
「ごはっ!?」
空いていたマイの右手が、たろうの腹を殴る。
は…腹殴られた…!?
「なに黙ってんの?」
たろうが習った格闘術の基礎に、愛の寝技に対処するための項目は存在しなかった。
「…あー、
あ〜!そっかぁ!
ごめん!ごめんねたろうくん!
答えるのはわたしのほうだったね!
…『はい』 」
「は…『はい』…?」
マイは、まるで“正しい答えを当てた子ども”みたいに嬉しそうに目を細めた。
「そうだよ?
だって、たろうくん言ったよね!?
“俺と結婚するかだぁ!!”って!
いきなり言われたから私も混乱しちゃってたぁ〜汗
…返答は『YES』だよ!
おめでとう!よかったね!
結婚できたね‼︎たろうくん‼︎
これからいっぱい“仲良く”しようね!」
「ふぇぇ…」
たろうの喉から漏れたのは、
先程までの頭脳戦はなんのやら、
もはや言葉にならない情けない鳴き声だった。
「(あ…こ…これ多分作戦とかじゃない!安藤、恐怖で頭おかしくなっちゃったんだ!)」
「り…離婚!こんなん離婚だ!離婚しまァすッ‼︎」
「却下します♡」
「裁判長!?」とたろうは言いかけたがその言葉を言い切らずして、
マイの身体が、唇が、
たろうの頭へと近づいていく
垂れ下がっていく髪が、
たろうの顔を“世界”から隠していく
「ちょちょちょちょちょ!?!?」
鈴木すずめ
あなたは恵まれている
あなたにはこんなにも素敵でカッコいい幼馴染がいるのに
さも自分が世界で一番不幸みたいな顔で生きている
そんなにいらないなら…私が貰うから
安藤マイは…
佐藤たろうを…
鈴木すずめの、幼馴染を…食べて──────
「────いい加減にしろ!」
「きゃっ」
たろうがマイを突き飛ばす。
マイの身体が軽く回転し、地面へ崩れた。
…数秒の静寂
ゆっくりと顔だけがたろうに向けられる。
乱暴に血で染まった右手で引きはがしたせいでマイの頬には薄く血が滲んでいた。
指の形がそのまま残ったみたいに赤く染まり、
彼女の白い肌の上でじわりと広がっていく。
たろうはその狂気にぞくりとしたが、
恐怖を断ち切って叫ぶ。
「…いつまでも妄言に浸るのはやめろ!あんなの嘘に決まってるだろ!俺も流石にちょっと言い過ぎたと思うけど…だからってここまでやるのはちょっとおかしい!
お前みたいなのと付き合うならまだ…
まだ、『鈴木』と付き合った方がマシだ‼︎ 」
マイの黒い瞳が、ぱちん、と音がしそうなほど大きく見開かれた。
「………………………そう」
マイは地面に置いていた手をゆっくり拾い上げ、
ふらつく足取りで体育館裏を後にした。
春の風だけが、何も知らない顔で通り抜けていった。
…もう一度、辺りを見渡す。
顔面血塗れで気絶した高木レオ
唸るのをやめて静かに頭を下げている大久保タイチ
真谷ヨウマはきっとことの成り行きを傍観していて、
石田ユウタはユウタの母親に渡した『ユウタが本屋でエロ本を立ち読みしてる顔をドアップしていく』映像が記録されたDVD (俺が撮った自信作)を回収している頃だろう
安藤マイだってあの様子じゃ鈴木を虐めるなんてもはやできないはずだ
そこにはもう、“不良の子”も“怪物”もいない。
等身大の“少年少女”だけだった。
しかし…いや、やはりというべきか
「…安藤、やっぱりお前が一番つえーよ」
たろうは小さくため息をついた。
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ん…?なにか忘れてるような…?
「あ!鈴木!」
たろうはビクリと肩を震わせ、そのまま体育倉庫へ駆け出した。
埃の匂いが薄く残る扉を勢いよく開く。
「鈴木!無事か!」
すずめは、うつろな瞳のままこちらを見ていた。
泣いてもいない、怒ってもいない、何も映していない
──それでいて、ずっとたろうを見ていたような目。
その足元に、小さなリボンが落ちている。
──あのリボン…まさか
嫌な予感が、脊髄のあたりを冷たく撫でる。
たろうは跳び箱の段を上から順に勢いよく開けていく。
四段目。
影になった底の部分に、いつも通りの不格好な養生テープで貼られたカメラがあった。
「……あった」
俺がここのところリュックサックを背負って毎日深夜に回収しにいく、
安藤たちの会話と映像を記録するためのカメラ。
俺は先週の金曜日の放課後、安藤とタイチがすずめに対して“強行”をする計画を話していたのをこのカメラの存在で知っていた。
本当なら今日の放課後か明日の昼、
今まで手に入れた教室と体育倉庫での虐めとその企みの記録をまとめて教職員に報告する予定だったのだ。
たろうは跳び箱からカメラを引き抜き、再生をタップして“こと”が行われたのかどうか確認する。
「(よかった…いや、よかねーけど、とりあえず“無事”と言える範疇だ)」
安心して胸の奥がじわりと熱くなる。
「(一応、このあと『協力者』に安藤らが鈴木を教室から連れ出すとこも撮ってあるか確認しに行くか)」
たろうは空のリュックサックにカメラをしまいながら、そんなことを考えた。
たろうはゆっくりとマットの上でしゃがみ込んでいるすずめへ視線を向けた。
その手には、落ちていたはずのリボンがいつの間にか握られていた。
「(鈴木すずめ…安藤もおかしいけど、コイツもホント変な奴だ)」
──だが、とりあえずは
たろうはすずめの目線に合わせるように膝をつき、
血で汚れていない左手を差し出した。
「とりあえず、助けにきたよ」
その日初めて、
鈴木すずめの瞳と佐藤たろうの視線が
まっすぐと交差した。
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