鶏が先か、卵が先か、

水鳴諒(猫宮乾)

第1話  あるいは因果性のジレンマ

 その昔は、人間は男女の営みにおいて、子宮で生を受けて出産されていたらしい。あるいは、その際は、天使による告知が行われた例もあったのだろうか。


 今私が見ている絵画のタイトルは、『Annunciazione』の模写だ。元々は、レオナルド・ダ・ヴィンチとアンドレア・デル・ヴェロッキオの作だという。日本語では、受胎告知と訳されるらしい。


 現在は、グレゴリオ暦でいうと2525年だ。

 地球に未知の物質を飛来させる隕石が観測されたのは、2300年代のことだという。以来、地球には青い雪が降るようになった。色は青、冷たくて、触ると溶ける。だから本当は未知の物質だが、皆、青い雪と呼んでいる。


 それに触れた結果、何故なのか人間の体は生殖機能を失った。その上、十七歳程度までしか外見年齢が成長しなくなった。老化が止まると、その後は三十年くらいその姿で過ごした後、肉体は巻き戻る。どんどん若返っていく。


 そして一歳程度まで年齢が戻ると、コウノトリ機関がその赤子を引き取りに来て、約二年後に乳幼児の姿でまた外界へと戻ってくる。コウノトリ機関がなにをしているのかは不明だが、人間は死なず、成長してはまた子に戻り、そして生まれてくるようになった。だから、事故や病気以外では死は無く、ほとんど人口は減らない。また、両親や家族というものも存在しない。


 ただ時々コウノトリ機関は、新しい『子』も生み出している様子だ。なお、十七歳になると、コウノトリ機関に保管されていた巻き戻る前の人生の記録を閲覧できることになっている。


 私が今いるのは、日本の第十四号ドームだ。通称、会津ドームだ。旧福島県に位置している。鶴ヶ城址公園のそばに、今日から私が暮らすことになる、第三あかべこ寮が存在している。


 私は現在、十六歳。第三あかべこ寮から、入寮案内が届いたのは、私が芸術アカデミアの絵画専攻学科に合格してすぐのことだった。


 寮に一人いるガヴァネスが、新入生の中から選んで案内状を送付してくる。全員の元に複数届くから、選ぶのは自分で、私はアカデミアに一番近い第三あかべこ寮を選択した。


 寮には大体五名ほどが暮らす。礼儀作法を指導するガヴァネスと、家事を担うハウスキーパーの他に三名程度が暮らすと定められている。今のご時世一人暮らしは、少なくともこのドームでは存在しない。人間は皆、寮に入る。あるいは、ここで暮らす人々が、一種の家族というくくりだという論説もある。


 なお、このドームには、女性しか存在しない。男女はそれぞれ別れてドームで暮らすようになっており、人生で一度も異性とは遭遇しないことが多い。遭遇するのは一部のドーム外交の担当者程度だ。たとえばこの絵を展示するために、他所のドームに掛け合った誰か、だとか。


「どんな人がいるんだろう? 楽しみだなぁ」


 私はそう呟いてから、キャリーカートを引っ張った。車輪がゴロゴロと音を立てる。季節は秋だ。紅葉している木々、銀杏の葉で黄色い絨毯がアスファルトの上に広がっている。秋という季節は、何故なのか毎年、もの悲しく思える。一年の終わりが近づいているからなのか、単に寒暖差で肩が重くなるからなのか。ただ不思議と、そんな時は脳裏に過る人がいる。名前は分からず顔もおぼろげなのだが、笑顔が優しい人だと私は知っている。空想上の友達というものなのかもしれないが、そこまでの具体性はなく、会話が出来るわけでもない。だが秋になると、その『彼女』の姿が過っては消える。


 第三あかべこ寮に着いた私は、建物を見上げた。三階建てで、共通のリビングやキッチンは一階にあり、二階がガヴァネスとハウスキーパーの部屋、三階が入寮者の部屋だとパンフレットには記載されていた。灰色の四角い建物は、まだ新しいように見える。三階の内二部屋には、カーテンがあった。黄色と緑だ。なにもない部屋が、私の新しい家なのだろう。ここに来る前の私は、十三歳から十五歳までが通う学校のそばの、遠方の寮にいたから、物珍しい。


 エントランスへと向かい、インターフォンを押す。一つ一つのこうした文明の利器は、昔のまま……いいや、少し退化していると聞いている。超科学技術と呼ばれるような代物は、それこそコウノトリ機関や一部の科学アカデミアの中にしかないようだ。


「はい」


 するとドアが開いた。押し開かれたドアの先には、ガヴァネスの証である桜の花びらをもした記章を付けた女性が立っていた。ゆったりとした私服姿だ。私はなんとなく既視感を抱いた。端正な顔立ちの女性で、アーモンド型の瞳に長い睫、長い真っ直ぐな髪を垂らしていて、柔らかな線の持ち主だ。見た目は私とそう変化のない十七歳程度で成長は止まっているので、実年齢は不明だが、落ち着いた雰囲気をしている。


 あちらも虚を突かれたように目を丸くしていた。視線が合った私たちは、暫く無言で相手を見ていた。私は、見られていた。しかし私のような凡庸な容姿で、取り柄はといえば若干背が高く百六十八センチの身長があることくらいの人間を、まじまじと見るなんて、変だ。私が茶色に染めている髪も、後ろで緩くふんわりまとめている髪型も、別段物珍しいものではないだろうし、黒のデニムにパーカーという姿なんてラフすぎるだろう。もしかして、だらしないと思われたのだとか?


音琉ねる……さん」

「は、はい。今日からお世話になる音琉と言います」


 現在の命名制度では、基本的に戸籍上は二文字の名前となる。私の音琉という名前は誰が元々つけたのかは、コウノトリ機関で十七歳で情報開示をしないかぎり不明だが、こうして生まれなおして十六年間、私は音琉という名前で生きてきた。


「私を覚えている?」

「え?」


 不意な言葉に、私は目を丸くした。じっくりと見てみる。確かに、どこかで見たような覚えはある。だが、それが何処なのかは――それこそ、秋に思い出す顔が分からない女性と同じくらい曖昧な感覚に思えた。


「あ、その……昔、義務教育アカデミアに見学に行ったことがあるのよ。その時にあなたの名前を覚えていて、入寮案内を送らせてもらったの。さぁ、中に入って。今年入寮するのはあなただけなの。カーテンは持ってきた?」

「そうだったんですね。はい、ピンクの花柄のカーテンを買ってきました」

「そう。ベッドや机は備え付けのものがあるから、他のものは少しずつ揃えてね」


 にこりと笑った彼女は、それから頭を下げた。


「私がこの第三あかべこ寮のガヴァネスで、萌恵もえと言います。よろしくね」

「よろしくお願いします」


 私も笑みを返してお辞儀をした。

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