第48話 解放の一撃、託された言葉

俺が祭壇の呪詛を喰らい尽くした瞬間、古き星の教会の外で戦っていた嘆きの聖騎士の身体から、黒い鎖が音もなく剥がれ落ちた。


 教団からの供給線は、完全に切れた。


 その巨体がガクリと膝をつく。

 折れた槍が石畳に突き刺さり、かろうじてその身を支えていた。


「……終わった、のか……?」


 バートンさんが盾を構えたまま、荒い息をつく。

エルザさんも剣を下ろさず、まだ一歩も気を抜かない。


『観測:教団呪詛供給ライン 完全断絶』

『残存エネルギー:高純度聖属性+魂核フラグメント』

『状態:拘束解除/自律暴走リスク 小〜中』


(鎖は切った。けど――まだ終わりじゃない)


 鎧の隙間から、今度は純粋な光が溢れ出す。

 黒ではない。澄んだ、青白い聖なる光。


 けれど、その揺れ方は危うかった。


「……まも……れ……なかった……」


 掠れた声。

 地面がびり、と震える。


 守れなかった者たちへの悔いと、自分を赦せない憎悪。

 行き場を失った力が、魂ごと軋ませている。


「アレン、まだ戦えるか?」


 バートンさんが、条件反射で問う。


「戦う、じゃないです」


 俺は首を振った。


「ここから先は、“解放”です。敵じゃない」


『提案:残存聖属性エネルギーを昇華に誘導』

『方法:外部からの正しい一撃+祈り/対象の望む終端に同調』


(つまり――鎖を断つのが俺。送り出すのが、騎士と巫女)


 エルザさんが小さく息を吐き、剣を構え直した。


「……やはり、そうか」


 その横顔は、いつもの硬さよりも静かで柔らかい。


「君が鎖を断った。なら、騎士として魂を送るのは、私の仕事だ」


「待て、まだ暴れるかもしれん」


 バートンさんが唸る。


「暴れたら、その時は俺が止めます」


 即答した。


「“災厄”ごと喰いますよ」


「お前な……簡単に言うな」


「簡単じゃないです。だから、暴れないほうを選んでもらいます」


 そう言って、一歩前へ出る。


 嘆きの聖騎士と、真正面から向かい合った。



 鎧の隙間から溢れる光が、微かに揺れる。


「……おまえ……」


 兜の奥で、小さな火が灯った。

 さっきまで全てを薙ぎ払っていた殺意とは違う。迷子みたいに頼りない炎だ。


『内部ログ:自己断罪/巡礼者への謝罪/守護者としての義務感 過飽和』


(守れなかった自分を責め続けて、ここに縛られてた)


「聖騎士さん」


 自然と、敬意が口調に滲む。


「あなたの守っていた教会は、もう呪いの巣じゃありません。教団の装置も鎖も、全部、俺が貰いました」


 胸を軽く叩く。


「残ってるのは、あなた自身の“守りたい”って気持ちだけです」


「……まも……る……」


 声が揺れる。


「もう、守るべき巡礼者はいません。けど――」


 振り返る。


 巫女のリネが、胸元の星のチャームを握りしめていた。

 震える足で、それでも一歩前に出る。


「わ、わたくし……!」


 涙を堪えながら顔を上げる。


「古き星の巫女として誓います。この道で何が起きたか、この教会を守ろうとした聖騎士様のこと、必ず伝えます。もう、忘れさせません」


 青白い光が、かすかに大きくなった。


『観測:自己断罪値 減少傾向/安寧への遷移フラグ』


(届いてる)


「だから、もう休んでいいんですよ」


 俺は一歩退き、エルザさんへ視線を送る。


「エルザさん」


「任せろ」


 彼女は剣を胸の前で立て、瞼を閉じた。


「古き星々よ。この者を責めず、その誓いと矜持を受け取り給え」


 短い祈り。

 刃に宿った光は、さっき吸われたものとは違う。穏やかで、温かい。


「バートン」


「分かってる」


 バートンさんは、今度は「攻撃」ではなく、「誰も邪魔させないため」の盾として立つ。


 嘆きの聖騎士が、ぎこちなく頭を垂れた。


「……ゆるされる……とは、思わぬ……」


 掠れた声。


「だが……おまえたちが……道を護るというのなら……」


 兜の奥の光が、まっすぐ俺たちを見る。


「この身は……不要だ……」


『内部傾向:解放要求 確定/暴走フラグ 消失』


(決めたな)


 エルザさんが静かに歩み寄る。


「あなたの罪は、あなた一人のものではない」


 穏やかで、揺れのない声。


「呪いに縛られながら、それでも守ろうとし続けたあなたを、私たちは見た。だから――」


 真正面に立ち、剣を構える。


「その魂、私が責任を持って解き放つ」


「……ありがとう」


 今度ははっきりと、その言葉が聞こえた。


「行け」


 一言と共に、光の刃が胸を貫く。


 爆発はない。

 断末魔もない。


 嘆きの聖騎士の身体は、内側から静かにほどけていった。

 煤けた鎧も、長い嘆きも、すべてが細かな光の粒になり、夜空へ昇っていく。


 優しく、神聖な景色だった。



 ひときわ強く輝く青い光だけが、その場に残り、ふわりとこちらを向く。


『……感謝する……』


 風のような声が頭の中に響いた。


(俺じゃなく、エルザさんたちに――)


 そう返そうとした瞬間、空から赤黒い針のようなノイズが降り注ぎ、青い光と俺を繋ぐ細い糸に突き刺さる。


『警告:星喰教団系統 遠隔妨害信号』

『内容:「余計なログは切れ」』


(まだ邪魔しに来るか)


 黒い針が糸を焼き切ろうとし、バチバチと火花が散る。


 だが、青い光が一際強く瞬いた。

 聖騎士は、最後の力を絞るみたいに輝きを増し、妨害の針を焼き払う。


『……災厄を……喰らう……星よ……』


(だからその呼び方は本当にやめてほしいんだけど)


『……“鍵”を……守れ……』


 その一言だけを、ねじ込むように届けて――光は満足したようにほどけ、星屑となって消えた。


 同時に、教会の上空で別の干渉がぶつかり合う気配。


『第三種識別コード【灰の星】抑制波:教団妨害信号を逆位相処理』

『結果:聖騎士魂ログ一部 保護/鍵関連情報 断片取得』


 星屑草が一斉に揺れ、教会周辺の瘴気は目に見えて薄れていく。


『観測:教会周辺瘴気 レベル3以下』

『星喰教団呪詛核:消失』

『第三種【灰の星】抑制紋:再活性化』

『新規インプット:魂ログ「鍵」関連断片』

『解析キュー登録/進捗:3%→8%』


「……解放、完了だ」


 エルザさんが小さく息を吐き、剣を下ろした。


 バートンさんは静かに敬礼し、リネは涙を拭いながら祈りを続けている。


(ひとつ、きっちり片づけた)


 だが、すぐに別の文字列が浮かび上がる。


『警告:星喰教団ネットワークが巡礼路浄化データを取得』

『発信源:実験区画「トレス村」』

『断片:「巡礼路データ反映」「二重鍵プロトコル調整」「鍵“リリア”負荷増幅」』

『更新:鍵“リリア”侵蝕度 +4%』

『第三種【灰の星】抑制波:維持/出力限界近傍』


(……ここでそれを弄ってくるか。俺の“選別して喰う”やり方を、真似して組み込んでやがる)


 喉の奥が焼けるように熱くなる。


「アレン」


 エルザさんが真剣な目で問う。


「今の“鍵”とは、何だ」


「さっきから妙な顔をしているな」


 バートンさんも険しい視線を向けてくる。


「トレス村か。リリアか」


 名前を出され、胸が微かに疼いた。


 リネも、不安げに俺を見つめている。


 【アイテムボックス】が低く唸る。


『解析タスク:魂ログ「鍵」/浄化済み星紋石(小)/トレス村座標タグ』

『進捗:8%』

『補足:第三種識別コード【灰の星】より 外部接続要請』


 視界の端が、淡い灰色に染まり始めた。


『――教会浄化を確認。災厄喰らい、今なら“鍵”の深層を見せられる』


 同時に、赤黒いノイズが侵食してくる。


『星喰教団系:「巡礼路終端での干渉阻害」「器候補観測継続」』


(“灰の星”が鍵を見せると言い、教団が遮りに来る。ここが分岐点ってわけだ)


 中途半端な断片をここで口に出せば、彼らまで余計な鎖に巻き込む。

 だからといって黙っていれば、あいつらの調整がリリアを削っていく。


「アレン?」


 エルザさんの声が鋭くなる。


「何が見えている。隠すな」


「俺たちは監視役だが、今はお前の味方だ」


 バートンさんも一歩近づく。


「共有しろ」


 胸の奥で、灰と黒の光が衝突する。


『【灰の星】:鍵構造の開示提案』

『星喰教団:遮断シーケンス起動』


 浄化された祭壇の中心が、淡く灰色に輝いた。

 そこから伸びた光が一本、まっすぐ俺の足元に触れる。


 同時に、ログが一行、はっきりと書き換わる。


『緊急選択:第三種【灰の星】との接続を許可するか? Y/N』


 選び損ねれば、教団に上書きされる。

 選べば、別の鎖に手をかけることになる。


 星屑草の光が揺れる中、俺は息を吸い込んだ。


(どっちの“鎖”を、先に喰う)


 意識が胸の奥、灰色の光と黒いノイズが渦巻く中心へと、深く沈んでいく。


 灰色の光が一度、静かに瞬いた。

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