第47話 価値選別、鎖を断つ器
嘆きの聖騎士の槍が、バートンさんの盾を打ち据える。
ガァンッ!!
鉄と鉄が噛み合う轟音に、石畳が悲鳴を上げた。
盾の縁が欠け、バートンさんの足元に蜘蛛の巣状のひびが走る。
「……っ、まだ来るか!」
続く横薙ぎを、エルザさんの剣が受け流す。
黒い残光が彼女の頬を掠め、白い肌に浅い傷が走った。
普通のアンデッドなら、とっくに粉々にされている。
それでも二人は、一撃も「殺し」に返さない。
殺さず抑える。
その選択が、確実に消耗だけを積み重ねていた。
(時間をかけるほど不利だ。呪詛の供給がまだ生きてる)
胸の奥で【アイテムボックス】がざらつく。
『解析:番人出力=教団呪詛供給+内部信仰心の強制結合』
『提案:源流遮断+拘束鎖の選別収納』
(やるしかない)
「二人とも、聖騎士を抑えてください! 必ず解放します!」
叫びが、崩れた教会前に響いた。
「解放……だと?」
バートンさんが槍を盾で受け止めながら、呻くように問う。
「正気か、アレン! こいつはもう――」
「正気です!」
言い切る。
「あの人は敵じゃない。教団の呪詛に縛られて、泣いてるだけだ!」
『内部ログ断片:「守りたかった」「止まらない」「鎖を断て」』
聖騎士の魂の叫びが、汚れた水みたいに脳裏へ流れ込んでくる。
エルザさんが側面から剣の腹で鎧を打ち、体勢を崩しながら短く問う。
「策はあるのか」
「あります。だから、そのために中枢――教会内部の祭壇を潰させてください」
一拍も置かず、エルザさんは頷いた。
「分かった。時間は稼ぐ。君の言う“解放”を、やってみせろ」
「エルザ君!」
バートンさんが吠える。
「灰色の路地でもそうだった」
エルザさんは振り返らずに言葉を継いだ。
「彼の“眼”は、私たちに見えないものを見ている。今は信じるのが最善だ」
短い沈黙。バートンさんは唇を噛み、結局、腹の底から怒鳴る。
「……ちくしょうが! 死ぬなよ、小僧!」
「ありがとうございます!」
背後でリネの祈りが強まる気配を感じながら、俺は教会へ駆け出した。
◇
崩れかけた大扉を押し開けると、外の戦闘音が一枚の壁の向こうに遠のき、冷たい静寂が押し寄せてきた。
最奥の祭壇。
そこに鎮座するのは、歪んだ黒い心臓。
夢見の銀晶をねじ曲げたような結晶と、黒鉄砂を固めた核が一体化し、脈動する呪詛を吐き出している。
黒い管が床や壁を這い、教会全体へ、そして扉の外――嘆きの聖騎士へと伸びていた。
その手前、フードを被った数人の影が、演劇でも鑑賞しているかのように佇む。
「来たか、“器”候補」
一人が芝居じみた仕草で手を広げた。
どの気配も薄い。分身体、観測用だ。
「番人の魂ごと喰らうか? あるいは教会ごと吹き飛ばすか? 君が選ぶ“価値”を見せてくれ」
その台詞と同時に、二階回廊や柱の陰から黒い矢が放たれる。
ヒュンッ!
「時間停止収納フィールド、起動。飛んでくる矢だけ、全部喰え」
『命令受諾』
『限定防御フィールド 展開』
矢は俺の体に触れる寸前でふっと消え、無音の虚空へ吸い込まれた。
『収納:呪詛矢×12』
『状態:時間停止/解析待機』
「なっ……防御スキルだと……?」
「【アイテムボックス】の範疇を超えている……!」
「どっちもですよ」
足を止めずに祭壇へ直進する。
矢は次々飛んでくるが、結果は同じ。
「無駄ですよ。お前らの“負の価値”は、俺の箱の大好物なんで」
観測者たちの狼狽を無視し、黒い心臓の目の前まで進む。
『警告:高濃度呪詛波 接触圏内』
『提案:即時吸収』
(待て。まとめて飲むのは“器”の仕事だ)
震えそうな右手を、結晶の直前で止める。
フードの男が鼻で笑う。
「愚かだな。直接触れれば、その魂ごと呪詛に――」
「【価値感知】、フル。層を分けろ。“本物”と“ゴミ”を丁寧にな」
『命令受諾』
『多層価値解析モード 起動』
視界が色を失い、「価値」のレイヤーだけが立ち上がる。
基底には、静かな銀灰色の光。
古き星への祈り、巡礼の年月が積もった、本物の祭壇の「正の価値」。
その上に、分厚く塗りたくられた黒。
夢見の銀晶と黒鉄砂、教団術式が編んだ「負の価値」の層。
そして縁に沿って、かろうじて走る淡い灰色の線。
【灰の星】と同系統の抑制紋。暴走を少しでも遅らせようとしている。
(ちゃんと分かれてる)
「分離など――」
「条件指定【収納】」
男の言葉を踏み潰す。
「教団の呪詛構造と黒鉄砂、夢見の銀晶由来の“負の価値”だけ、根こそぎ俺に寄越せ」
一拍置き、釘を刺す。
「本来の祭壇と、この土地の祈り、灰の星の抑制紋には、一切触るな」
『特殊命令受領』
『選別収納モード 起動』
『ターゲット:負の価値層→100%抽出』
『保護:基底星祭壇/第三種抑制紋/環境正値』
教会全体が、低い唸りを上げた。
黒い管にひびが走り、祭壇上の結晶から黒煙が噴出し――すべてが一斉に俺の掌へ引き込まれてくる。
「なっ……!」
「分離している……そんな馬鹿な……!」
観測者たちの声が裏返る。
焼けた鉄と泥を一度に飲み込むような激痛が胃から喉へ込み上げ、頭蓋の内側を針でひっかかれる。
「っ……!」
『負荷:高』
『処理:吸収呪詛=内部封印層へ退避/段階的浄化プロセス割当』
(吐くな。ゴミは全部、俺が持ってく)
黒の膜が床や壁から剥がれ、星のレリーフを覆っていた塗料がはがれ落ちる。
祭壇と教会を繋いでいた供給ラインも、一本、二本と焼き切れていく。
最後に、歪んだ聖遺物そのものが砕け散り、ただの石と鉄砂のガラクタに戻った。
『結果:教団呪詛変換装置 無力化』
『外部供給ライン 断絶』
『第三種【灰の星】抑制紋:露出/一部再活性』
「ほら。“呪いだけ”喰うなんて、できるんですよ」
「やはりだ、“真の器”――」
「その呼び方をするなって何回言わせる」
吐き捨てると、観測者の足元の紋が赤く光る。
「データは得た。次はトレス村だ。“器ではない”星喰い」
「待て!」
掴みかかるより早く、分身体たちは霧散した。
残ったのは、焼け焦げた紋と嫌な余韻だけ。
『解析:高位転移術式/ログ送信先=王都方面/教団中枢ネットワーク』
(逃したか。でも、“どう喰うか”は見せてやった)
祭壇には古い星紋と、その縁で静かに光る灰の線が残る。
『取得:浄化済み星紋石(小)×1』
『タグ:第三種【灰の星】/鍵情報との関連性 高』
(後で話を聞こうか、“灰の星”)
「外!」
踵を返し、教会の外へ飛び出した。
◇
そこにあったのは、さっきと違う光景。
嘆きの聖騎士は両膝をつき、折れた槍を支えにしてうなだれている。
黒い鎖の大半は消え、鎧の隙間から淡い青白い光が漏れ出ていた。
エルザさんは剣を構えたまま動かず、バートンさんは盾を上げて距離を保ち、リネは膝をついて祈り続けている。
「鎖は、喰いました」
息を整えながら言う。
「教団の呪詛供給も切った。今残ってるのは、この人自身の“守りたい”って気持ちだけです」
「それは、暴走の危険もあるということだな」
エルザさんが確認する。
「はい。でもそれは、もう“自分の意思”に近い」
『提案:残存聖属性エネルギー=解放対象として昇華推奨』
『方法:外部からの正しい一撃で魂核を断ち、安寧へ導く』
(ここから先は、剣と祈りの仕事だ)
「二人で、終わらせてあげてください」
「命令するな」
エルザさんが、かすかに口元を緩める。
「だが――それが、私の役目だ」
「お前が鎖を断った。なら、騎士として見送るのは俺たちだ」
バートンさんも頷いた。
嘆きの聖騎士が、ゆっくりと顔を上げる。
空洞だったはずの兜の奥に、小さな光の粒が灯り、まっすぐ俺たちを見た。
「……まもれなくて……すまなかった……」
それは、侵入者である俺たちへの言葉じゃない。
巡礼者たちへ、教会へ、守れなかった者たちへの懺悔。
リネが泣きながら首を振る。
「いいえ……あなたは、今も守ってくださっています……!」
青白い光が微かに揺れ、聖騎士の肩から力が抜けた。
「エルザさん」
「分かっている」
エルザさんは一歩進み、剣を胸の前で立てて目を閉じる。
短く祈りを捧げ、刃に静かな聖なる光を宿した。
「……ありがとう。そして、行け」
震えのない声で告げ、その胸を迷いなく貫く。
光が弾けると同時に、胸の奥で別の警告が閃いた。
『警告:星喰教団系統 高出力信号検知』
『発信源:実験区画「トレス村」』
『内容断片:「巡礼路データ取得」「二重鍵調整」「鍵“リリア”負荷増幅」』
(今このタイミングで……!)
『更新:鍵“リリア”侵蝕度 +4%』
『抑制波【灰の星】:維持/余力減少』
『推定:教団、こちらの選別方法を二重鍵プロトコルに反映』
(俺のやり方を、そのまま次の鎖に組み込んできやがったか)
視界の端で、トレス村方向の座標タグが不穏に脈動する。
嘆きの聖騎士の光が揺れ、俺をまっすぐ見据えた。
「……災厄を……喰らう……星よ……」
(その呼び方、本当に流行らせないでほしい)
「“鍵”を……守れ……」
かすかな声と同時に、空から黒い針のような妨害信号が降りかかる。
『警告:教団通信「余計なログは遮断しろ」』
『防御:第三種【灰の星】抑制紋 逆位相干渉』
灰色と黒の火花が、俺と聖騎士を繋ぐ細い光の糸の上で弾ける。
一瞬だけ、青白い輝きがそれらを焼き切り、最後の言葉を押し込んできた。
『……“鍵”の真実は……』
そこまでで、光はぷつりと途切れた。
嘆きの聖騎士の身体は星屑となってほどけ、巡礼路と教会の上に降り注ぐ。
星屑草が一斉に揺れ、柔らかな光で場を包んだ。
『観測:教会周辺瘴気 レベル3以下』
『星喰教団呪詛核:消失』
『第三種【灰の星】抑制紋:再起動』
『新規:魂ログ断片「鍵」取得/解析タスク開始』
(ひとつ、鎖を断った。けど――)
胸の奥では、別の鎖のざわめきがなお続いている。
「アレン」
エルザさんが静かに問う。
「今の“鍵”とは、何だ」
バートンさんも険しい目でこちらを見る。
リネは祈りを解かないまま、不安げに俺の答えを待っていた。
【アイテムボックス】が低く鳴る。
『解析タスク:魂ログ「鍵」/星紋石/トレス村二重鍵構造』
『進捗:5%』
『注記:鍵“リリア”との関連性 極めて高』
(言うべきか、まだ断片の段階で口にすべきじゃないか)
口を開きかけた、その瞬間――視界の端が灰色に染まった。
『――第三種識別コード【灰の星】より緊急アクセス要求』
『内容:「教会浄化を確認」「今なら“鍵”の深層を見せられる」』
同時に、赤黒いノイズが走る。
『星喰教団系統:「巡礼路終端での接触阻害」「器候補誘導継続」』
浄化されたはずの古き星の教会の静寂の下で、
異なる二つの手が、同時に俺へと伸びてきていた。
どちらの鎖を、どの順番で喰い破るか。
猶予は、確実に削られ始めている。
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