第46話 囚われた魂の慟哭
「……ゆる……せ……」
嘆きの聖騎士が漏らした掠れ声は、風に溶けて消えた。
だが、その一言に込められた絶望の重さは、鉛のように場を沈める。
次の瞬間、教会の奥――祭壇側から赤黒い瘴気が噴き上がり、黒い紋様となって聖騎士の鎧へと這い寄った。
黒鉄砂を編んだような鎖が、その胸甲と四肢に深く突き刺さる。
『警告:呪詛供給ライン活性化』
『観測:星喰教団系通信断片』
『内容:「番人プロトコル出力最大」「真の器候補の反応観測開始」』
「……ァァアアアアアアッ!」
嘆きが、苦痛と狂気の悲鳴に反転した。
兜の奥で青白く揺れていた炎が、憎悪を帯びた赤黒い光へと変質していく。
(完全に踏み込ませる気だな、教団)
「構えろ!」
バートンが盾を前に押し出した瞬間――影が弾けた。
重鎧とは思えない速度で、嘆きの聖騎士が突っ込んでくる。
ガァンッ!!
折れた長槍の一撃を受けた盾が、耳をつんざく金属音を立てて軋む。
バートンの足元の石畳が砕け、歴戦の騎士団長の巨体が半歩、後ろに押し込まれた。
「ぐっ……! なんだ、この重さは……!」
ただの一撃。それだけでこの有様だ。
「させん!」
同時に、聖騎士の逆側へ滑り込んでいたエルザが踏み込む。
「【聖刃・星断】!」
浄化の光を帯びた刃が鎧の継ぎ目を正確に捉える。
――はずだった。
刃が触れた瞬間、淡い聖なる光が、じゅう、と音を立てて闇に吸い込まれる。
「……なっ!」
『観測:聖属性エネルギー 吸収→内部呪詛核へ転送』
『構造:祈り(聖)を呪詛(負)に反転する変換機構 作動』
「エルザさん、聖技は駄目です! 奴の燃料になる!」
俺の叫びと同時に、聖騎士がエルザへ向き直る。
さっき吸い込んだ聖の力まで纏い、槍を横薙ぎに払った。
エルザは紙一重で跳躍し、黒い残光が背後の石壁をバターのように抉り取る。
「くっ……! こちらの力が通じないどころか、利用されるのか!」
苛立ちを噛み殺すような声。
その間にも、聖騎士は再びバートンへ突進していた。
動きは機械的だ。
痛みも迷いも介さず、「侵入者排除」の命令だけを遂行する殺戮人形。
だが、その口から漏れ続ける声は、命令とは真逆だった。
「……まも……れ……なかった……」
「……ゆるして……くれ……」
「……こわしたく……ない……」
慟哭。
懺悔。
守れなかった者たちへの謝罪。
その度に、バートンの盾さばきが、エルザの剣筋が、一瞬だけ鈍る。
「惑わされるな!」
バートンが自分を叱咤するように叫ぶ。
「中身がどうあれ、今こいつは俺たちを殺しに来ている!」
「分かっている!」
二人は「殺さず抑える」ための戦いに切り替える。
バートンが盾で正面を受け止め、エルザが急所を外した関節狙いで動きを削ぐ。
だが、消耗しているのは明らかにこちらだ。
聖騎士は呪詛により無尽蔵に強化され、さっきの聖技すら糧にしている。
(このまま削り合っても勝ち目はない)
「アレン!」
エルザが叫ぶ。
「何か分かるか! こいつの弱点は!」
「今、視てます!」
俺は一歩下がり、全神経を胸の奥――【アイテムボックス】に集中させた。
「【価値感知】、最大深度。対象の構造、分解表示」
『命令受諾』
『多層価値解析モード 起動』
視界が色を失い、代わりに“価値”だけが光の糸として立ち上がる。
嘆きの聖騎士は、二色の光に引き裂かれた塊だった。
一つは、教会奥の祭壇から伸びる、どす黒い呪詛の鎖。
星喰教団の呪詛核から供給される「負の価値」が、四肢と心臓を縛り、番人として強制駆動させている。
もう一つは、その中心でなお燃え続ける、澄んだ青白い光。
古き星への信仰、巡礼者を守る誓い――本来の「正の価値」。
その二つが、無理やり結び付けられていた。
聖なる力が呪詛の燃料とされ、呪詛が聖なる魂を歪めて縛る、最悪の二重結合。
『解析:力の源泉=①教団呪詛供給(負)+②残存信仰心(正)の強制結合』
『状態:魂核は解放希求/外部命令により番人プロトコル継続』
『内部ログ断片:「守りたかった」「止まらない」「鎖を断て」』
(やっぱりだ)
聖騎士は、俺だけに聞こえる声で泣き叫んでいた。
『……守りたかった……巡礼者も……教会も……』
『……止まれない……誰か……鎖を……』
ガギンッ!!
ひときわ鋭い金属音。
バートンの盾が弾き飛ばされ、体勢が崩れる。
「隊長!」
エルザが庇おうと飛ぶが、聖騎士の槍のほうが速い。
(間に合え)
俺は【アイテムボックス】から即興錬成した鉄塊を射出し、槍の側面にぶつけた。
カッ、と軽い音を立てて軌道がわずかに逸れ、穂先はバートンの胴を掠めて地面に突き刺さる。
「……助かった!」
バートンが後退し、盾を拾い上げたが、肩で荒く息をしている。
「アレン、策は!」
「ある!」
まだ形になっていない答えを、あえて即答する。
「二人とも、そのまま“殺さず抑える”を続けてください! あれは敵じゃない、囚われてるだけです!」
「何を――」
「聴こえるんです、あの人の声が!」
エルザが一瞬だけ訝しげに眉をひそめるが、すぐに剣を構え直す。
後方ではリネが膝をつき、震える声で祈り続けていた。
「聖騎士様……どうか……!」
その祈りに、聖騎士の動きがほんの僅か、揺らぐ。
『観測:内部聖属性エネルギー 微増/呪詛束縛への抵抗反応』
(届いてる。まだ届く)
同時に、教会内から黒い矢の気配。
「上!」
俺は手を突き出し、飛来する呪詛矢を【収納】で刈り取った。
矢は俺の前でふっと掻き消え、そのまま時間停止空間へ。
『収納:呪詛矢×複数』
『解析キュー追加』
(外野は黙ってろ)
胸の奥で、箱がもう一段階、冷たく点滅する。
『提案:エネルギー源の分離/教団由来の負の価値のみ選択収納』
『リスク:負荷高/失敗時 対象暴走のおそれ』
(暴れさせるくらいなら、最初から全力で縛り続けてる。隙があるってことは――やれる)
「バートン!」
「なんだ!」
「正面から思いっきり受け止めてください! “抑えてる”って分かるくらい派手に!」
「簡単に言う!」
それでも隊長は迷わない。
全身で盾を構え、嘆きの聖騎士へ突っ込む。
「来い、番人殿ッ!」
槍と盾が正面衝突し、火花が散る。
バートンの足がさらに石畳にめり込みながらも、押し返した。
「エルザさんは脚と関節! 急所外して動きだけ落としてください!」
「了解!」
エルザが低く潜り、非聖属性の斬撃で膝裏と関節を叩く。
金属片が飛び、聖騎士の動きがわずかに鈍る。
「リネ!」
「は、はい!」
「そのまま祈って。あなたの声は“守りたい方”に届いてる」
「……はい!」
涙声の祈りが続くたび、鎖がほんの僅かに軋んで緩む。
『観測:内部聖属性エネルギー+/呪詛拘束 緩み』
(よし。じゃあ、こっちもやる)
俺は嘆きの聖騎士に一歩近づく。
槍が唸るが、バートンが盾で押さえ、エルザが柄を叩いて逸らす。
「【価値感知】、正と負を完全分離。教団の汚れと、聖騎士さん自身の誓いを分けろ」
『命令受諾』
『価値分離モード:正/負 レイヤー表示』
黒い鎖が、はっきりと“異物”として浮かび上がる。
その下に、淡い銀灰の光――古き星と巡礼者を守る誓い。
「条件指定【収納】」
俺はその鎖に手を伸ばした。
「この人の誓いと守る意志、本来の祭壇、それから“灰の星”の抑制紋は残す。教団の呪詛と鎖だけ、全部俺の箱に寄越せ」
『特殊命令:選別収納モード 起動』
『ターゲット:星喰教団由来呪詛構造』
『保護:対象固有信仰心/基底星祭壇/第三種抑制紋』
世界が、ぐらりと揺れた。
聖騎士の胸と四肢から、黒い鎖が一本ずつ、悲鳴を上げるように剥がれ落ち、渦を巻いて俺の掌へと吸い込まれていく。
教会内部の祭壇へと繋がっていた黒い管も、蜘蛛の巣が焼き切れるように解けていった。
「なっ……」
「分離している……だと……?」
遠くで、観測している教団側の狼狽が、断片的に伝わる。
胃の中に、焼けた泥と鉄を流し込まれるような激痛。
「ッ……!」
『負荷:高』
『処理:内部封印層へ一時退避/段階的浄化プロセス開始』
(文句は後で聞く。今は喰え)
鎖が千切れるたび、嘆きの聖騎士の動きが荒れた。
一瞬、暴走しかける。
槍がバートンの肩口を掠め、エルザの頬を裂きかねない軌道を描く。
「退くな! 今こそが“鎖を斬っている時”だ!」
「分かっている!」
二人は踏みとどまり、「殺さない範囲」で受け続ける。
やがて――最後の鎖が、ぷつりと切れた。
重苦しい沈黙。
嘆きの聖騎士の黒い紋様が消え、ボロボロの鎧の隙間から、淡い青白い光が滲み出る。
『結果:教団呪詛核との接続 完全断絶』
『残存:聖属性エネルギー+自我断片』
「……ぁ……」
槍ががらりと落ち、聖騎士が膝をつく。
兜の奥で小さな光が揺れ、今度ははっきりと、俺たちにも届く声となった。
「……ゆるして、くれ……」
それは俺たちへの言葉ではない。
巡礼路を歩いた者たち、守れなかった祈りの主たちへの懺悔。
リネが涙をこぼす。
「聖騎士様……!」
エルザが静かに息を吐き、剣を構え直す。
「アレン。ここから先は――」
「ああ」
鎖は俺が喰った。
だが、このままでは縛るものを失った強い力が、行き場をなくして暴走する。
『提案:解放プロセス』
『方法:残存聖属性の核を、外部から“正しい形”で断ち、昇華させる』
(それは、剣の人たちの役目だ)
「二人とも」
俺ははっきりと言う。
「聖騎士さんはもう敵じゃない。残った力ごと、この場で“解放”してあげてください」
「命令するな」
エルザが短く笑った。
「それは最初から、私の仕事だ」
バートンが頷く。
「動きは俺が押さえる必要もない。もう斬れる」
エルザは一歩進み、剣を胸の前で立てて目を閉じる。
短い祈りの後、刃に宿した聖なる光を、今度は“救いの一撃”として定めた。
「……ありがとう。そして、行け」
震えのない声。
光の刃が、嘆きの聖騎士の胸を貫いた。
同時に――胸の奥で、別の警告が閃く。
『警告:星喰教団系統 高出力信号検知』
『発信源:実験区画「トレス村」』
『内容断片:「起動条件調整」「巡礼路実験結果反映」「第二鍵負荷増幅」』
(今、このタイミングで……!)
嘆きの聖騎士の身体が星屑となってほどけ、巡礼路と教会の上に光が降る。
その光の中で、ほんの一瞬だけ、別の光景が重なった。
村外れの木の根元。
白い衣を汚しながら、必死に何かを抱きしめて耐えている少女。
リリア。
彼女の足元に絡みつく黒い鎖が、わずかに太さを増す。
『更新:鍵“リリア”侵蝕度 +4%』
『注記:古き星教会浄化データ→トレス村二重鍵装置へ反映』
『推定:教団、巡礼路観測をもとに二重鍵プロトコルを調整中』
(こっちの一手を、即座に次の鎖に変えてきやがる)
最後に残った聖騎士の光が、俺の胸へと細い糸を伸ばす。
教団の妨害針が途中でそれを断とうとするが、一瞬だけ、それを焼き切るほどの純粋な輝き。
『……感謝する……災厄を喰らう星よ……“鍵”を……守れ……』
その声だけが、はっきりと届いた。
そして嘆きの聖騎士は、安らいだ気配と共に、完全に星屑へと還っていった。
星屑草の光が一層強まり、教会周辺の瘴気は目に見えて薄れていく。
『観測:教会周辺瘴気 レベル3以下へ低下』
『星喰教団呪詛核:除去済』
『第三種【灰の星】抑制紋:一部再活性』
『新規:魂ログ「鍵」関連情報取得/解析キュー登録』
(ひとつ、鎖を断った。けど――)
胸の奥では、別の鎖のざわめきが消えない。
(リリアを“鍵”にしているやり方ごと、全部ぶっ壊す。器でも札でもなく、“守る側”として)
浄化されつつある古き星の教会を背に、俺は遠くトレス村の方角を睨んだ。
星屑草の淡い光は優しい。
だが、その光の届かない場所で、教団は次の一手を、確かに動かし始めていた。
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