第49話 灰色の使者、災厄を喰らう星

星屑の光が、古き星の教会と巡礼路を静かに照らしていた。


 嘆きの聖騎士は星となって昇り、禍々しい瘴気は嘘のように消えている。

 代わりに、足元から顔を出した星屑草が淡く瞬き、この場所が本来「祈りの場」だったことを思い出させていた。


「……終わった、のか」


 バートンさんがようやく盾を下ろし、重い息を吐く。

 エルザさんも光を解いた剣を鞘に収め、その横顔には疲労と、解放された魂への敬意が浮かんでいた。


 リネはもう泣いていなかった。

胸の前で静かに手を組み、空へ還った光を見上げている。


 束の間の静寂。


 だが、その沈黙は長く続かなかった。


「アレン」


 エルザさんの鋭い声が、俺を呼ぶ。


 振り向くと、蒼い瞳がまっすぐに俺を射抜いていた。


「さっきの“鍵”とは、何だ」


 嘆きの聖騎士が残した言葉。

 バートンさんも険しい顔で頷く。


「はっきり聞こえたぞ。“鍵を守れ”と。説明してもらおうか」


 胸の奥で、【アイテムボックス】が低く唸る。


『解析タスク:魂ログ「鍵」/星紋石/トレス村二重鍵構造』

『進捗:8%』

『注記:鍵“リリア”との関連性 極めて高』


(まだ断片だ。ここで中途半端に言えば、この人たちまで鎖で縛ることになる)


 言葉を選んでいる間にも、エルザさんは一歩詰めてくる。


「何が見えている。隠すな」


「俺たちは監視役だが、今は君の味方だ」


 バートンさんの声も重い。


「一人で抱えるには、その“鍵”ってやつは危険すぎる」


 リネも不安げにこちらを見つめている。

 信頼されているからこその視線だ。


 覚悟を決め、口を開きかけた、その時だった。


 祭壇の星紋が、静かに灰色の光を放ち始めた。


「っ……まだ何かいるのか!」


 バートンさんが思わず盾を構え、エルザさんも剣の柄に手を掛ける。

 リネが短く悲鳴を漏らしかけ、俺は手で制した。


(この波長……教団じゃない)


『検知:高密度エネルギー反応』

『識別コード:第三種【灰の星】』

『状態:外部接続要求→顕現プロセス移行』


 浄化された祭壇の上、古い星紋と淡い灰の抑制紋が共鳴し、光が人の形を結んでいく。


 やがてそこに、一人の少年が立っていた。


 十代半ばほどの姿。

 短く刈った灰色の髪。

 灰色のローブには淡い星紋。

 足は地面からわずかに浮き、その輪郭は半透明に揺らめいている。


 霊体。

 だが、その瞳だけは底なしに深い灰色で、まっすぐ俺を射抜いていた。


「……やはり来たか」


 澄んだ低い声。


 少年は星紋の上で手を背に組み、値踏みするように俺を見た。


「“災厄を喰らう星(カラミティ・イーター)”」


(また増えたな、呼び名)


「その呼び方、流行ってません?」


 反射で返すと、少年の口元が僅かに動く。


「名は外側が貼る札だ。君が拒もうと、物語は走る」


 言葉と同時に、重圧が襲ってきた。


 空気が絞り上げられ、胸に見えない手が乗るような圧迫。

 魂そのものを掴まれている感覚。


「エルザさん、バートンさん、下がって――」


「断る」


 俺の言葉を、エルザさんが即座に切る。


「彼に害意があるなら、まずは私が斬る」


「同じくだ」


 バートンさんが一歩踏み出し、盾を半ば掲げる。


「監視役だろうが今はこいつの盾だ。妙な真似したら叩き落とす」


 リネも震える足で立ち上がり、胸元の星を握りしめて俺の横ににじり出る。


「アレン様は、この道と教会を救ってくださいました。どなたであろうと、傷つけさせません」


(いや君は下がっててほしいんだけど)


 少年は、その光景をじっと見つめた。


 霊的な圧が、ほんの僅かに和らぐ。


「……なるほど」


 灰色の瞳が細められる。


「“器”としてではなく、“中心”として盾と剣を集めているか」


「器じゃありません」


 俺は三人を背に庇うように一歩前へ出た。


「アレン・クロフトです。特別協力員で、追放農民で、勝手に聖人にされて困ってる、ただの人間です」


「ただの、ね」


 少年は小さく肩をすくめる。


「君は教団の呪詛を“選別して”喰い、本来の祭壇と祈りを残した。喰う側の中でも、特に厄介な選び方をする」


『観測:第三種識別コード【灰の星】/敵対意図 低/評価プロセス進行中』


(実況やめろ)


「自己紹介が遅れた」


 少年は胸に手を当て、淡く一礼する。


「我らは【灰の星】。災厄に喰われた星々の残り火だ。この身は、その使者――“第三の星喰い”と呼ばれている」


「星喰い……」


 エルザさんが剣に添えた手に力をこめる。

 バートンさんの視線も鋭くなった。


 少年は首を振った。


「星を喰らうのではない。“喰われ過ぎた結果の灰”を束ねているだけだ」


 淡々と告げ、もう一度俺を見る。


「アレン・クロフト」


「はい」


「問う。君は、その箱で何を喰う?」


 静かだが逃げ場のない声。


「価値あるものを貪り、世界と人の心をも札束のように積み上げる支配者となるか」


 闇の気配が背中を撫でる。


「それとも、“災厄だけを選んで喰い”、遠回りで、非効率で、愚かな救済者となるか」


 答えは、とっくに決めてある。


「愚かなほうです」


 考えるより先に声が出ていた。


「世界なんて喰ったら胃もたれします。俺は、邪魔してくる災厄と鎖だけ喰って、自分の席を守る」


「席?」


「リリアと約束した畑と、この街と、今ここにいる人たちです」


 少年の灰色の瞳が、じっと俺を射抜く。


「効率が悪い」


「ですね」


「トレス村の鎖を最短で断つ方法も、君は既に見ている。“鍵”ごと呑み込めばいい」


 胸がちくりと痛む。


『内部選択肢提示:①鍵“リリア”ごと吸収→即時浄化/②星紋石を用いた多段浄化→高難度・被害最小』


(見えてる。だからこそ最初に捨てた)


「最短ルートは、論外です」


 はっきりと言う。


「リリアを代価にする終わり方は、全部ありえない。そんな選択肢を提示するスキルなら、俺のほうから疑います」


 エルザさんとバートンさんが、わずかに目を見開く。

 リネは胸元を強く握りしめた。


少年は短く息を吐く。


「……巡礼路でも同じ選び方をしたな」


 視線が、光の道をなぞる。


「瘴気の濃い場所を踏み、魔物の巣を先に潰し、遠回りに見えるルートで後続の安全を買った」


「癖みたいなものですよ」


「君のその癖は、多くを救い、多くを敵に回す」


 冷然とした評価。


「教団も、公爵も、王都の官僚も。君を“器”と見なし、ラベルを貼り替え、自分たちの物語に組み込もうとする」


「押し込ませません」


「根拠は?」


「物語を、先に自分で使うからです」


 自分でも驚くほど冷静な声だった。


「“聖人”だの何だの勝手な札ですけど、それで救われた人たちが俺を守ったほうが得だって思うなら、その分だけ俺に手出ししにくくなる」


「偶像を、自分の盾にするか」


 少年の口元が、わずかに上がる。


「やはり厄介だ。――合格だ」


「……試験官でしたか」


「この教会は、我ら【灰の星】が教団術式に割り込み、抑制していた点の一つだ。君が“器”に堕ちるなら、この段階で切り捨てるつもりだった」


 バートンさんが低く唸る。


「勝手な真似を」


「勝手でなければ、星は守れない」


 少年は即答し、再び俺を見る。


「だが君は、呪いだけを喰い、祈りと道を残した。嘆きの番人も排除ではなく解放を選んだ。ならば――」


 灰の瞳が深く沈む。


「君になら、“鍵”の真実を託せるかもしれない」


 空気が、わずかに張り詰めた。


「鍵とは?」


 エルザさんが問う。

 バートンさんも真顔で続ける。


「トレス村の“起動待機”に関わる核だな」


「そして、おそらくは――」


「リリアです」


 俺は、自分で言った。


 隠されるぐらいなら、自分の口で出す。


 少年はゆっくり頷く。


「その呼び名は好きではないが、事実として、トレス村の二重鍵の一端は彼女だ」


 リネが息を呑み、エルザさんの眉が僅かに寄る。

 バートンさんの拳が握られる。


「説明を」


 エルザさんの声は落ち着いていた。


 少年が口を開きかけ――顔を僅かにしかめる。


『警告:星喰教団系統 妨害信号 強度上昇』

『内容:「第三種接触阻害」「器候補観測継続」』


 祭壇の縁に、黒いノイズのような紋様がじわりと滲む。

 少年の輪郭がノイズを帯びた。


「時間がない。要点だけ言う」


 袖を払う仕草と共に、少年の手から一片の光が落ちる。


 小さな「浄化済み星紋石」の欠片。

 さっき俺が手に入れたものより、刻まれた紋が深く複雑だ。


「トレス村の装置は二重鍵だ」


 少年の声が鋭くなる。


「一つは教団の呪詛核と黒鉄砂のネットワーク。もう一つは、“その内側から暴走を押さえ込む聖なる楔”」


『解析補助:該当候補=対象“リリア”』


「その役目を押し付けられているのが、君のリリアだ」


 胸の奥が焼ける。


「彼女は聖女としての素質と、君への強い想いを、抑制の燃料として使われている。今も、村を爆弾にしないために一人で耐えている」


 リネが小さな悲鳴を漏らし、口元を押さえる。

 エルザさんが歯を食いしばり、バートンさんの目が険しくなる。


「だが燃料には限りがある。教団は君の行動を観測し、その“想い”を術式に組み込み、負荷を増やして調整している」


『更新:鍵“リリア”侵蝕度 上昇傾向』

『抑制波【灰の星】:維持/出力限界接近』


 ノイズが強まり、少年の輪郭が揺らいだ。


「君なら、最短を選べば彼女ごと呑み込み、全てを終わらせられる」


「選びませんって言ったでしょう」


 遮る。


「そんな終わり方するくらいなら、この力ごと折ったほうがマシです」


 少年の灰の瞳が、短く柔らぐ。


「……だから試した」


 低く呟き、今度はエルザさんとバートンさんに視線を向ける。


「君たちもだ。器を恐れるだけの腰抜けか、甘やかすだけの愚か者か、それとも“止めるための剣と盾”か」


 エルザさんは顎を引く。


「彼が間違えば、その時は私が斬る」


「俺もだ。そんときゃ全力で殴り飛ばす」


 バートンさんが鼻を鳴らす。


「だが今は、彼がいないと守れない場所が多すぎる」


「それでいい」


 少年は短く言う。


 黒いノイズが教会の壁を走り、石に細い亀裂を刻む。


『警告:教団妨害層 侵入中』

『第三種【灰の星】出力:低下』


「詳細はここでは話せない」


 少年は星紋石の欠片を指先で示し、そのまま俺を指差した。


「それを君の箱に入れろ。【灰の星】と繋がる“鍵の深層”への窓になる」


「罠だったら?」


「その時は、君の箱ごと道連れにすればいい」


「軽いですね」


「我らはもう灰だ。失うものは少ない」


 自嘲めいた色を滲ませながら続ける。


「最後に、もう一つ」


 少年は黒いノイズの方向を睨みつける。


「暴走を防ぎ、彼女の記憶も守るには、“もう一つの欠片”が要る」


「もう一つ……“浄化の星紋石”の本体か」


「一つはこの教会で君が掬い上げた。残る最後の欠片は――」


 言葉が、ノイズに削られていく。


『星喰教団妨害信号:強制遮断シーケンス起動』


 少年の輪郭がぐしゃりと歪む。


 それでも無理やり声を押し出した。


「――王都。クライ……ネル……」


 そこまでで、音が断ち切られた。


 灰色のローブの少年は強制的に引き裂かれ、霧のように消える。


 足元には、光を宿した星紋石の欠片だけが残った。


『取得:星紋石フラグメント(灰の星)』

『新規タスク:二重鍵構造解析/浄化ルート探索』


 同時に、別の文字列が叩きつけられる。


『星喰教団系統:実験区画「トレス村」信号更新』

『断片:「巡礼路干渉失敗」「鍵負荷補正」「器候補誘導先=王都」』


 星紋石の微光にかぶさるように、黒いひびが「王都」の方角を指し、歪んだ紋章の影が滲んだ。


(公爵家……クライネルト)


「アレン!」


 エルザさんが詰め寄る。


「今のは何だ。聞こえた名は」


「話は――後です!」


 俺は星紋石の欠片に手を伸ばし、【収納】を発動した。


「【アイテムボックス】、灰の星フラグメントを最優先で保護。教団由来の干渉は全部弾け」


『命令受諾』

『収納:灰星紋石フラグメント×1』

『リンクチャネル:準備中/教団シグナル遮断フィルタ適用』


 深呼吸して、三人を見る。


「“鍵”はトレス村の呪詛核と、リリアです」


 はっきりと言った。


「教団はリリアを“内側からの抑制装置”として組み込み、俺たちの動きに合わせて負荷を変えてる。暴走させないためには、この星紋石と、もう一つ――王都側の欠片が必要らしい」


 リネが震えながら祈りの手を握りしめる。

 バートンさんが低く息を吐き、エルザさんが短く目を閉じた。


「つまり」


 バートンさんが言う。


「トレス村を救う鍵を追えば、そのまま王都と公爵家の盤上に上がる」


「そうです」


 喉の奥が焼けるように熱い。


「でも、だからって“鍵”ごと喰って終わり、って道は選ばない。第三勢力の札も、教団も、公爵家も、全部利用して――リリアも村も、生きたまま取り戻すルートを探します」


 エルザさんは真っ直ぐ俺を見た。


「無茶だ」


「知ってます」


「だが、君がそれを選ぶなら――私たちはそのために剣を振るう」


 バートンさんも盾を叩いた。


「王都が何を言おうが、現場の判断は俺たちだ」


 リネは涙を滲ませながら、必死に頷く。


「聖騎士様も、鍵を守れと……アレン様に託されました。私も、この道で見たことを全部伝えます」


 星屑草の光が揺れた。


 古き星の教会は、ようやく本来の静けさを取り戻しつつある。


 けれどその下で、トレス村と王都、教団と公爵家、そして“灰の星”を巡る盤上は――確かに形を取り始めていた。

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