第42話 忘れられた巡礼路への布石

会議室の扉が閉まり、マルクスと随員の足音が完全に遠ざかった。


 重い沈黙が、一度、二度、部屋を往復する。


「……あの野郎」


 最初に吐き捨てたのはドルガンだった。


「“管理”じゃの“ブランド”じゃの、ようもまあ綺麗な言葉で檻を編むもんじゃ」


「王都とはそういうところだよ」


 バルガスが淡々と眼鏡を押し上げる。


「だが、“星喰い”と“器”の呼称を公式に封じさせたのは悪くない。雑な口実は一枚、潰した」


(その代わり、もっと精密な口実を用意してくるだろうけどな)


 胸の奥で【アイテムボックス】が微かにざらつく。


『更新:王都公文書案/「特別協力員アレン・クロフト」正式呼称候補』

『観測:星喰教団系統 信号→王都貴族経由 侵入試行 継続』

『観測:鍵“リリア”侵蝕度 閾値接近/抑制波【灰の星】出力限界近傍』


(教団も、公爵家も、王都も。俺を“札”として盤に並べたがってる。で、その札のど真ん中に、リリア)


 バルドスが、静かに口を開いた。


「ともあれ、時間は稼げた」


 その一言で、場の意識が揃う。


「王都が正式な介入理由を整える前に、我々の側で“トレス村”について一定の道筋をつけねばならん。作戦会議を続けるぞ」


 卓上に広げられた地図。

 フロンティアの東、赤いインクで囲われた『トレス村』。

 そこから黒い線がグレンデル鉱山、西地区『灰色の路地』へと伸びている。呪詛ネットワークの図解だ。


「教団の中枢拠点はトレス村。これはもはや疑いようがない」


 バートンが指先でトレス村の印を叩く。


「問題は、どうやって叩くかだ。いきなり村に踏み込めば、奴らの思う壺だろう」


「同感だ」


 エルザが腕を組む。


「敵戦力、呪詛の規模、“鍵”であるリリアさんの状態。どれも不明瞭なままでは動けん」


 全員の視線が地図に沈む。


 俺は一度だけ息を整え、口を開いた。


「一つ、提案があります」


 視線が集まる中、俺は地図上の一点を指差した。

 フロンティアとトレス村の中間、細く灰色で描かれた旧街道。


「ここ。“忘れられた巡礼路”の先行調査をさせてください」


「巡礼路……?」


 バルドスが眉をひそめる。


「今はほとんど使われておらん、古い祈りの道のはずだが」


「はい。だからこそ、です」


 指先で線をなぞりながら続ける。


「教団がトレス村とフロンティアを繋ぐなら、人目の多い街道より、監視が薄く忘れ去られた古道を使うほうが合理的です。それと――これは俺のスキル経由の情報ですが」


 巡礼路の終点近くを軽く叩く。


「トレス村の起動を何度か抑制している“第三勢力”――【灰の星】の干渉波は、村外れの紋様石碑、つまり古い星信仰の教会系統から出ていました。その教会の本体が、この巡礼路の終点“古き星の教会”です」


 バルガスの目がきらりと光る。


「つまり、“灰の星”と接触するには最適のポイントだと?」


「はい。敵か味方かを決めつけるのは早いですが、“教団の起動条件”と“鍵”の構造を知っているのは確かです。そこを押さえれば、トレス村の呪詛を解くための別ルートが見える」


 エルザが頷く。


「巡礼路は星喰教団の瘴気と第三勢力の干渉痕、その両方が残っている可能性が高い。現場で確かめる価値はある」


「馬鹿げている!」


 そこへ、机を叩く甲高い音。


 ゲッコーだ。


「功を焦った自殺行為だ! ただでさえ王都の監査官に目を付けられているというのに、これ以上勝手な真似をしてどうする! 追放者如きが作戦の主導権を握ろうなど、思い上がりも甚だしい!」


(来た)


「第一だな、そんな正体不明の“灰の星”などという集団に自ら会いに行ってどうする! 教団と同じ穴の狢かもしれんのだぞ! 危険すぎる!」


「だからこそ確かめる必要が――」


「黙れ!」


 ゲッコーが俺の言葉をねじ伏せる。


「君のその独断専行がどれだけギルドの統制を乱しているか分かっているのか! 特別協力員なら特別協力員らしく、黙ってギルドの決定に従っていればいい!」


 そこに、低い声が割り込んだ。


「……もう、よろしいか」


 壁際にいたバートンが、一歩前へ出る。


「ゲッコー幹部」


「なんだ、バートン隊長。貴様まで――」


「その“追放者”の“非効率な行動”がなければ、昨夜、灰色の路地でどれだけの死人が出ていたか。貴殿は想像したか?」


「なっ……!」


「彼の“眼”と“鼻”は、我々騎士団の剣より先に脅威を捉えた。俺は現場でそれを見た。ゆえに、危険だと言うなら――」


 バートンは俺ではなく、ゲッコーを見据えたまま言い切る。


「その危険を引き受ける監視役として、俺が同行する。責任も、俺が取る」


 ゲッコーの顔が歪む。


「き、貴様、正気か!」


「極めて」


 そこに、エルザが重ねる。


「私も同行する」


「エルザ君まで――!」


「元より私の任務は、彼を監視し、暴走すれば斬ることだ。危険地帯に向かわせるなら、私の剣を付けるのは当然だろう」


『外部評価:バートン/随行意思 固定』

『外部評価:エルザ/監視兼護衛意思 強化』


(……本気で、盾になるつもりだ)


 ゲッコーはなおも食い下がる。


「しかしだな! 巡礼路などという瘴気の巣に、ギルドの切り札を――」


「切り札を出してでも押さえる価値がある」


 エルザが遮る。


「ここで王都の決定待ちに甘んじれば、教団と公爵家の筋書き通りになる。“灰の星”は既に何度かトレス村起動を抑制している第三の干渉源だ。味方か敵かを見極め、利用できるならする。それが合理だ」


 カイが椅子の背に肘を預けて口を挟む。


「おまけにだな、マルクス殿の“ブランド管理”が本格化する前に、こっちの実績を積んどくのは悪くないぜ。あとから『全部王都とギルドの手柄でした』って物語を書き換えられる前にな」


(それも狙いの一つだ)


 バルドスが肘を組み、しばし天井を見上げる。


「王都の介入前に“現場主導の成果”を積む、か。……良い意味でも悪い意味でも、王都は結果に弱いからね」


 俺はその言葉に被せるように、はっきり続けた。


「もう少しだけ補足させてください」


「聞こう」


「巡礼路調査の目的は三つです」


 指を一本立てる。


「一つ。巡礼路に仕込まれた教団の瘴気とネットワークを解析し、可能な範囲で潰すこと」


 二本目。


「二つ。途中の村や遺構に残っている“逆位相の石”――【灰の星】側の遺物を回収して解析し、教団呪詛の対抗手段にすること」


 三本目。


「三つ。そして一番重要なのが、“灰の星”本人かその使者との接触です。トレス村の“鍵”の真相を引き出す」


 間を置いて、付け加える。


「ログ上、“灰の星”は何度もトレス村の起動を抑制している。リリアを守ろうとしている可能性がある。そこに賭ける価値は、俺には十分あります」


 エルザが俺を横目で見て、小さく頷いた。


「個人的感情と合理性が一致しているなら、問題ない」


「問題だらけだ!」


 ゲッコーが叫ぶ。


「もし巡礼路で何かあったらどうする! “特別協力員”が死ねば、王都はこれ幸いと我々を糾弾するぞ!」


「だからこその条件付きだ」


 バルドスが声を重ねる。


「アレン君単独行動は禁止。常にバートン隊長とエルザ君の“二重監視”の下に置く。作戦指揮は現場三名の合議とし、ギルドはそれを追認する。王都には『危険だが有用な協力員を厳重管理のもと現場活用している』と説明できる」


「バルドス殿!」


「それが妥協点だよ、ゲッコー君」


 バルドスは穏やかな口調のまま、目だけを鋭くした。


「ここで全てを王都預かりにすれば、フロンティアは丸裸になる。君はそれを望むのかね?」


 ゲッコーは歯噛みし、椅子の背にもたれた。


(完全に黙らせるより、“管理”の形を残してやるほうが、後々扱いやすいってわけか)


 バルドスが俺に向き直る。


「アレン君。確認したいことが一つ」


「はい」


「君は“灰の星”に接触したいと言った。彼らが、教団や公爵家と同じように君を“器”として囲い込もうとしたら?」


「その時は、まとめて敵です」


 即答した。


「教団でも、公爵家でも、王都でも、灰の星でも。“俺から名前と選択を奪おうとするなら敵”。“鍵を奪わせず、リリアを救うための手札をくれるなら、一時的な味方”。それだけです」


「……一時的、か」


「はい。俺は“器”じゃなくて、アレン・クロフトなので」


 エルザとバートンが、ほぼ同時に小さく頷くのが視界の端に入る。


 ドルガンがにやりと笑った。


「よし。やっと“喰う側”の顔になってきたの」



 数秒の沈黙の後、バルドスが結論を下した。


「よろしい。――ギルド・フロンティア支部として、“忘れられた巡礼路”先行調査を正式に許可する」


「マスター!」


 ゲッコーが立ち上がる。


「条件を繰り返す」


 バルドスは彼を一瞥し、そのまま続けた。


「同行メンバーは特別協力員アレン・クロフト、騎士団長バートン、エルザ・シュタインを基本とする。少数の補助要員は状況に応じて認めるが、大部隊派遣は不可」


「監視兼護衛任務として、拝命する」


 バートンが即答する。


「私も異存ない」


 エルザも頷く。


「作戦目的は先ほどアレン君が述べた通り。巡礼路上の呪詛と教団痕跡の確認と浄化、ならびに第三勢力“灰の星”との接触機会の探索。危険と判断した場合は即時撤退。――これならば、王都にも説明は立つ」


 ゲッコーはなおも食い下がろうと口を開きかけたが、


「何かあれば俺が責任を取る」


 バートンが切り捨てる。


「俺とエルザが同行する。彼の暴走も、外部からの襲撃も、まずこの二枚の盾を突破しなければ届かん」


「必要とあらば、ギルドにも騎士団にも、私の首を提出しよう」


 エルザまでさらりと言い切ったので、ゲッコーは完全に言葉を失った。


(この人たち、そこまで言うかよ)


『外部評価:バートン/忠誠度 上昇』

『外部評価:エルザ/共闘姿勢 強化』


「出発は三日以内だ」


 バルドスが机を軽く叩く。


「王都からの正式返書が届き、“管理”が強化される前に、我々の“既成事実”を積んでおきたい」


「了解しました」


 深く一礼する。


(巡礼路で“灰の星”と会う。教団の外縁を削り、鍵の真相を引きずり出す。これは、トレス村とこの街とリリアのための布石だ)



 会議室を出て廊下を歩くと、カイが壁にもたれてニヤニヤしていた。


「よぉ、旦那。見事に自分から地雷原に踏み込んでいくじゃねぇか」


「見てたんですか」


「面白いとこ全部聞いてたさ」


 肩をすくめる。


「王都の犬の鎖を片手で受け流して、もう片方の手で“灰の星”に手を伸ばす。マジで、追放された農民って設定どこいったんだ?」


「ただ、自分のやり方でやりたいだけですよ」


「それが一番厄介なんだよなぁ」


 楽しそうに笑って、俺の肩を叩く。


「巡礼路から戻ったら、王都側の“編集”動向、まとめて教えてやるよ。向こうも黙ってねぇだろうしな」


「助かります。情報は、いつでも歓迎です」


「任せときな」


 ひらひらと手を振り、カイは去っていった。



 その足で、灰色の路地――対呪詛窓口へ向かう。


「アレンさん!」


 ミリーが駆け寄りかけ、後ろの二人に気づいて一礼する。


「エルザさんに、バートン隊長さんも……」


「今日は業務連絡だ」


 バートンが短く告げる。


「アレン、説明しろ」


「はい」


 俺は簡潔に話す。


「“忘れられた巡礼路”の瘴気と教団の痕跡を調べに行くことになりました。数日、この街を離れます」


「数日……」


 ミリーの顔が曇る。


「危ないところ、なんですよね?」


「危険です。でも、放っておいたらもっと危ない場所です」


 言葉を選びつつ続ける。


「ここでやってる浄化の手順とポーションは全部置いていきます。足りないものはギルドを通じて補充してもらってください。しばらくは隊長さんたちが警戒を強めてくれます」


「もちろんだ」


 バートンが頷く。


「灰色路地は、もう教団の“実験区画”じゃない。この街の“盾”だ。俺たちが守る」


 ミリーが、小さく拳を握る。


「戻ってきて、また一緒にここで……ですよね?」


「もちろん」


 迷わず答える。


「だから、その時までここを頼みます」


「はい!」


 祖父も深く頭を下げた。


「アレン様はアレン様の戦場へ。ここは、わしらが守りますじゃ」


 戦場、か。


(そうだ。巡礼路も、トレス村も、“選ばされた場所”じゃなくて、俺が選ぶ戦場だ)



 夜。借家に戻り、荷を整えながら【アイテムボックス】のログを開く。


『準備:対瘴気ポーション/浄化用触媒/封印容器/妨害具 一式』

『優先目標:忘れられた巡礼路調査/教団外縁の解析/灰の星との接触/鍵構造の取得』


 そこへ、冷たい文字列が滲んだ。


『観測:星喰教団系統 信号/「巡礼路終点 通信拠点」「真の器候補 誘導」の語を含む断片』

『観測:同行騎士団長データ取得 試行』

『注記:巡礼路終点=教団&第三種 干渉点 可能性 高』


(終点は、教団と灰の星の綱引き場か)


 続けて、胸を締め付ける通知。


『鍵“リリア”侵蝕度:+3%(前日比)』

『抑制波【灰の星】:僅少低下』

『推定:抑制限界まで残り日数=約30未満(誤差含む)』


 奥歯を噛みしめる。


「……間に合わせる」


 その瞬間、灰色の文字が重なった。


『――忘れられた巡礼路で待つ。“鍵”の真実に触れる覚悟があるなら』


 【灰の星】からの、明確な招待。


 ほぼ同時に、赤黒い行が走る。


『星喰教団系統:巡礼路周辺「観測者」配置完了』

『目的:真の器候補および護衛騎士のデータ取得/誘導成功率観測』


(こっちの一手は、とっくに読まれてる)


 教団と灰の星、王都、公爵家。

 それぞれ違う思惑で、同じ細い道に視線を向け始めていた。


『警告:対象区域 危険度「実験区画」超/多重干渉予測』


「知ってる」


 天井を見上げ、小さく息を吐く。


「だから行く」


 忘れられた巡礼路。


 そこに敷かれた罠と、差し出された手。

 どちらを掴み、どちらを喰うかは――


 俺が決める。

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