第41話 王都の枷と、アレンの盾

第二会議室の空気は、夜明けの冷たさとは別種の冷気で満ちていた。


 窓から差し込む朝日を背に、一人の男が立っている。

 上質な濃紺の上着、銀の鎖で留められた懐中時計、片目に掛けた銀縁の単眼鏡。笑みは柔らかいが、冷たい銀の瞳だけが、精密な器具のようにこちらを測っていた。


「初めまして、アレン・クロフト殿。“聖人”と呼ばれているそうですね――いえ、その呼称についても、本日ご相談に伺った次第ですが」


 整った所作で一礼する。


「王都監査局より派遣されました、マルクス・ハロルド・フォン・クライネルトと申します。並びに、公爵家より本件に関する監査権限と“ブランド管理”の責務を一部委任されております」


 肩書きが多いな。


 卓を挟んで向かい側には、ギルドマスター・バルドス。

 左右にバルガス、ドルガン。

 壁際にエルザ、バートン、ゲッコー。

 隅の席にカイも肘をついている。


 全員の視線が、俺とエルザへ集まった。


「特別協力員アレン・クロフト。灰色の路地での対処、ご苦労だった」


 マルクスが形式的に頭を下げる。


「王都としても、深く感謝を――」


「本題は?」


 エルザがぴしゃりと遮った。


 マルクスは一瞬だけ目を細めるが、すぐ笑顔を貼り直す。


「迅速ですね。では端的に」


 卓上に封蝋付きの書状を広げた。公爵家の紋章。


「ここ最近、“星喰い”という言葉がこの街で無秩序に流通している。“星喰いポーション”“星喰教団”“星喰いの器”……そして、一部ではアレン殿ご自身を指す俗称としても」


 銀の視線がこちらを刺す。


「これは由々しき事態です。“星喰い”の名は古来より異端の伝承と結び付き、民衆の恐怖と好奇心を過剰に煽る。結果として星喰教団の宣伝にすらなり得る。王都として看過できません」


 理屈だけ見れば通っている。

 だが。


「そこで、公的通達案です」


 マルクスはさらりと続けた。


「今後、公式の場において、アレン・クロフト殿に関連する一切の事案で“星喰い”の呼称を使用することを禁じます。“星喰いポーション”という俗称も不許可とし、昨夜の偽薬事件も“星喰教団関連呪詛事案”として整理されるべきだと」


 視線が横から割り込む。


「その通りだ!」


 勢いよく立ち上がったのはゲッコーだ。


「そもそも追放者ごときに“星喰い”など不穏な名が結びつくこと自体が間違いなのだ! 監査官殿の通達は正しい! ギルドは即時受理すべきだ!」


(分かりやすく尻尾を振るな)


「だいたい昨夜の騒動だって、元はと言えば――」


「黙れ」


 地を這うような低い声が、甲高い怒鳴り声を叩き斬った。


 バートンだ。


 壁際から一歩踏み出し、兜の奥からゲッコーを射抜く。


「ゲッコー幹部。昨夜の現場に、貴殿はいたか?」


「なっ……わ、私は本部で――」


「なら黙れ。見ていない者が語るな」


 容赦ない一言に、ゲッコーは口をぱくつかせて沈黙する。


 バートンは、今度はマルクスへ向き直った。


「監査官殿。失礼を承知で申し上げる」


「……何でしょう、騎士団長殿」


 笑みがわずかに引き攣る。


「呼称が問題なのではない。事実が問題だ」


 バートンの声が会議室を満たす。


「昨夜、星喰教団の術式が灰色の路地を“実験区画”として起動させ、住民を怪物に変えようとした。それを止めたのは、そこにいるアレン・クロフトだ」


 胸の鎧を拳で叩く。


「彼が“非効率”と嘲られながら受信機を潰し続けていなければ、今この街は死体と炎で溢れていた。これは、この俺がこの目で見た事実だ。ゆえに、その功績を“単なる呪詛事件”と矮小化する提案は、騎士として受け入れられん」


(……ガチだな、この人)


『外部評価:バートン/対外的“盾”として機能中』


「ほう……」


 マルクスは初めて笑みを薄め、バートンを観察する。


「騎士団長殿は、随分と彼を高く評価しておられる」


「彼は“追放者”ではない。この街を救った英雄であり、俺の監督下にある特別協力員だ。異論があるなら、この俺が聞こう」


 はっきりと、「アレンの前に立つ」と宣言した。


 ゲッコーは蒼白、バルガスとドルガンは口元を吊り上げ、エルザは腕を組んだまま目だけ誇らしげだ。


(さて、俺の手番)


 ここで感情的に噛みつけば、「やはり危険思想」と札を貼られる。

逆に、うまく飲み込めば――。


「監査官殿のお話、よく分かりました」


 椅子から立ち上がり、穏やかに口を開く。


「その通達、俺は基本的に受け入れます」


「……何?」


 一番驚いたのはバートンだ。


 マルクスも眉をわずかに上げる。


「正直、“星喰い”だの“聖人”だのと呼ばれるのは好きじゃありません。俺はアレン・クロフトであって、札じゃない。公式の場でその呼び名を使わないというなら、むしろ助かります」


「……話が早い」


 マルクスの声に、想定外の色が混じる。


(あんたの“枷”は、角度次第で盾になる)


『評価:命名統制=星喰教団文脈からの切り離し/一部安全保障効果』


「ただ、一点だけ」


 軽く指を立てる。


「“星喰い”という言葉を危険視するなら、王都発の公文で『俺は星喰教団と無関係で、この街の協力者である』と明記してもらえればありがたいです。変な噂で処分されたら、困るのはそちらも同じでしょう?」


 マルクスが単眼鏡の奥で目を細めた。


「……検討に値します。少なくとも、本通達には“器”呼称の抑制も含めましょう」


 バルドスが書状に目を通す。


「ふむ。“星喰いポーション”“星喰いの器”等の俗称禁止、代わりに『特別協力員アレン・クロフト』を正式呼称とする……か」


「あなたの名を前面に出し、“器”扱いを避ける意図もあります」


(そこ、大事だからもっと言っててくれ)


「では」


 バルドスは頷いた。


「フロンティア支部として、この通達を受理しよう。以後、“星喰い”呼称は公式記録から外す」


「賢明なご判断です」


 マルクスが満足げに微笑む。


 ……と、そこで手を一つ打った。


「さて、一つ目の懸案は片付きました。ですが、実はもう一件、アレン・クロフト殿個人への“ご提案”がございまして」


(本命)


「提案、ですか?」


「ええ」


 先ほどより甘い笑み。


「昨夜の対処で、あなたのスキルと知見の価値は、王都にも明白となりました。つきましては、公爵閣下より――あなたを正式に王都へ“招致”したいとのご意向が」


 豪奢な封蝋の書状が卓上に置かれる。

 空気が凍った。


「これは命令ではありません。あくまで、あなたと王国全体の安全を考えた“保護”の申し出です」


(鳥かごへの招待状。きたな)


『提案:王都移送案』

『効果:自律性 大幅低下/一部対外防御力 上昇』


(保護の名札を貼った首輪。教団と発想が変わらない)


「恐れながら、フロンティアは辺境です」


 マルクスは続ける。


「あなたほどの力を地方支部だけで扱うのは荷が重い。王都直轄の管理下に置く方が、合理的では?」


 口を開こうとした瞬間――机が鳴った。


「待て」


 再びバートン。


「監査官殿。王都は“灰色の路地の件”を数字でしか知らんようだな」


「報告書は拝見しています」


「一行では足りん」


 バートンは低く言う。


「教団は灰色路地を“実験区画”にして燃やそうとした。アレンはその“非効率な治療”で受信機を潰し、不発弾に変え、暴走した者たちからも根だけを抜いた。死者ゼロだ」


「……」


「俺は現場にいた。あれはこの街の防壁そのものだった。そんな人間を、今ここから引き剝がす合理性を、王都は示せるのか?」


「彼を守るためでも――」


「なおのことだ」


 エルザが切り込む。


「今、彼を王都へ移せば、この街の対呪詛防衛線に穴が開く。星喰教団はそこを突く。あなたはそのリスクをどう補う?」


 マルクスはエルザへ視線を向けた。


「感情論では――」


「理屈だ」


 エルザは淡々と言い切る。


「灰色路地を救ったのは王都ではなく彼だ。トレス村もまだ動いている。最大の干渉点を現場から外し、“管理しやすい棚”に並べようとする行為は、教団が“器”と呼んで鎖をかけるやり方と同じだ」


 単眼鏡の奥で、銀の目がわずかに光を失う。


「ギルドマスターとしては?」


 マルクスはバルドスに水を向ける。


「難しいところだね」


 バルドスは組んだ指を揺らす。


「上の気持ちも分かるが、ここで彼を手放せばフロンティアは丸裸だ。教団相手に、その選択はできん」


「……」


「発言、いいですか」


 俺は息を整え、一歩前に出た。


「まず、“星喰いポーション”の呼び名と情報の扱いについて」


「はい」


「さっき言った通り、名称規制は構いません。その代わり、王都名義で『俺は星喰教団とは無関係で、この街の公式協力者だ』と線を引いてください。それを条件付きで飲みます」


「検討に値します」


「次。本題の王都移送ですが」


 会議室の視線が一点に集まる。


「行きません」


 きっぱりと言った。


「俺は“器”じゃない。今はフロンティアとトレス村の呪詛を止めるために動いてる。ここを離れて王都の檻に入ったら、その隙を教団に突かせるだけです」


「しかし、王都直轄の庇護は――」


「代わりに、こうしましょう」


 マルクスの言葉を制して続ける。


「俺が持っている呪詛ネットワークの情報と浄化技術。それを王都と共有する。その代わりに、三つ条件をください」


「……聞きましょう」


「一つ。俺の身柄を“強制的に”移送しないこと。王都に行く時が来るなら、“俺自身が選ぶタイミングと条件”で行く」


 マルクスは無言。


「二つ。トレス村を正式に“国家レベルの呪詛中枢”として共有すること。鉱山や灰色路地と同じネットワーク上にある“実験区画:トレス村”を、無視しないでください」


 バルガスが静かに頷く。


「解析結果としても賛同する。トレス村は明らかにハブだ」


「三つ」


 視線を外さずに続ける。


「トレス村奪還作戦の実働権限をこちらに。少なくとも、現場を知らない机上判断で止められない枠組みをください」


「ふ、ふざけるな!」


 ゲッコーが椅子を蹴りそうになって立ちかけ――


「座れ、ゲッコー君」


 バルドスに一言で沈められる。


 マルクスは唇に指を当て、俺をじっと見つめた。


「大胆な要求ですね」


「でも合理的です」


 俺は淡々と告げる。


「さっきの強制起動は“予行演習”でした。灰色路地ルートが潰れた今、教団はトレス村と“鍵”への依存を強める。それを潰すのは王都にとっても利益でしょう」


『補足:教団通信断片=灰色路地切断/トレス村依存度上昇』


「俺はそのための“盾”にも“刃”にもなれる。だから、“札”として棚に並べるんじゃなく、交渉相手として見てほしい」


 会議室に重い沈黙が落ちる。


 ドルガンがぽりぽりと髭を掻いた。


「王都さんよ。今ここで小僧を檻に入れりゃ、お主らの敵も味方もまとめて失うだけじゃぞ。あやつは呪いを喰うが、同時に街も守っとる」


「術式構造とリスクで考えても、ここから動かすのは悪手です」


 バルガスも淡々と追い打ちをかける。


「……了解しました」


 やがてマルクスは口を開いた。


「ここで即答はできません。王都への正式報告と協議が必要です。ただし、あなたが“条件付き協力”の意思を示したことと、強制移送案に反対していることは、そのまま伝えましょう」


「助かります」


「誤解なきように」


 マルクスは表情を引き締めた。


「我々はあなたを“敵”に回したいわけではない。“使えるなら使いたい”と考えているだけです」


「知ってます」


 即答すると、彼は薄く笑う。


「率直ですね。こちらも率直に言えば――あなたが扱いやすい札であればあるほど、王都にとって好都合だ」


「あいにく、札扱いはもう飽きました」


「でしょうね」


 短く笑い、先ほどの通達文をバルドスへ差し出す。


「ひとまず“星喰い”呼称禁止は正式に。『特別協力員アレン・クロフト』が公的呼称です。あなたが望むなら、“器”呼称を避けることは王都の利益にも合致します」


(言質、いただき)


『更新:王都公文書による「器」呼称抑制/政治的防壁候補』


「最後に一つだけ」


 マルクスは扉の方へ向きかけて、振り返る。


「あなたが“聖人”や“星喰い”として民衆を動かす潜在力を持つことを、王都もギルドも忘れません。その力をどう使うか――我々は注視しています」


「王都が俺をどう札として切ろうとするか、こっちも見てます」


 視線が交差する。


銀の瞳が、楽しげに細まった。


「ええ。盤上でまた会いましょう」


 マルクスは護衛を連れて部屋を出て行く。

 扉が閉まる音が、やけに鋭く響いた。



「……疲れる男だな」


 ドルガンがぼそっと漏らす。


「けどまあ」


 カイが肩をすくめた。


「“星喰い”って札を王都の文書で禁止させるなんて、さすが旦那。器扱いを避ける公式のお墨付きじゃないか」


「その代わり、王都と真正面から駆け引きだがね」


 バルドスは苦笑しつつも、目は笑っていない。


「だが、悪くない落とし所だ。“勝手に連れ出すな”と彼らに言わせる余地もできた」


「俺からも言っておく」


 バートンが前に出る。


「監視役として、正式に記録に残す。アレン・クロフトはこの街を救った協力員であり、灰色の路地の防壁だ。王都がどう言おうと、“現場判断”として、勝手な移送命令には従わん」


「私もだ」


 エルザが短く告げる。


「君がさっき口にした条件を、外からねじ曲げようとする者がいれば、剣を取る」


「物騒な比喩はほどほどに」


 と言いつつ、バルドスも否定はしない。


「ゲッコー君」


「は、はい!」


「君の“統制”の懸念も一理あった。“聖人様”などの呼び名が暴走すれば問題だ。ただ、今夜の件で、彼が街を救った事実を歪めることもまた問題だ。以後、感情的な発言は慎みたまえ」


「……承知しました」


 押し殺した声で、ゲッコーは引き下がる。



 やがて会議は解散となり、部屋に残ったのは俺とエルザとバートン、そしてバルドスだけになった。


「無茶をさせているね、アレン君」


「まだ準備段階ですよ。これからが本番です」


「そうか」


 バルドスは小さく笑い、すぐ真顔に戻る。


「王都への正式返答まで時間が要る。その間に、こちらでトレス村奪還作戦の骨子を組んでおこう」


「お願いします」


「俺も根回しをする」


 バートンが言う。


「王都筋にも、“灰色の路地の英雄を勝手に連れ出すのは得策ではない”と伝えられるだけ伝える」


「助かります、隊長さん」


「その呼び方はまだ慣れん」


「すぐ慣れます」


 エルザがわずかに口元を緩める。


「君は本当に、人を自分の側に引き込むのが上手い」


「褒め言葉として受け取っておきます」


「そうだ。褒め言葉だ」


 その時だった。


 胸の奥で、冷たいざわめき。


『警告:座標タグ「トレス村」脈動パターン変動』

『星喰教団系統信号:強度上昇』

『内容断片:「灰色路地ルート切断確認」「第二鍵への負荷増幅開始」』


(第二鍵……)


 半透明の文字列が重なる。


『鍵“リリア”侵蝕度:閾値接近』

『抑制波:第三種【灰の星】より送信 継続』

『注記:抑制限界に接近/早期介入推奨』


 喉が焼けるように痛んだ。


(こっちが王都と駆け引きしてる間に、向こうはもう一段階ギアを上げてきたか)


 さらに別の行が走る。


『観測:星喰教団本体、王都貴族ルート経由で「特別協力員移送案」に干渉の兆候』


(……繋げてきやがったな)


「どうした、アレン」


 エルザが眉をひそめる。


「また顔色が悪い」


「トレス村のログが少し。教団が“王都移送案”にも手を伸ばしてきてるみたいです」


「なに?」


 バートンの目が鋭くなる。


「つまり、あいつら――」


「“王都の枷”すら、自分たちの実験区画の一部にしようとしてる」


 苦く笑う。


「盤上、だいぶ窮屈ですね」


 その瞬間、【アイテムボックス】の奥で、別の色の文字が灯った。


『――第三種識別コード【灰の星】より通達』

『次回アクセス時、トレス村“鍵”の真の構造を開示する。備えよ、“器ではないほうの星喰い”』


 廊下の向こうから、鐘の音が響く。


 朝を告げる軽やかな鐘ではない。

 王都からの新たな書状――次の一手の到来を告げる、重く乾いた音だった。

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