第43話 瘴気の道と、星屑の奇跡

忘れられた巡礼路は、地図の上ではただの細い灰色の線だった。


 実物は、もっとみすぼらしい。


 砕けた石畳がところどころ顔を出し、枯れかけた木々がまばらに影を落とす。

 かつては祈りの歌と灯火が絶えなかったという道も、今は誰にも顧みられず、薄い瘴気に煙っていた。


「ここから先が、“巡礼路”か」


 重い鎧を鳴らして、バートン隊長が足を止める。


「確かに忘れられているな。街道としての役割はとうに終わっている」


「だからこそ、教団には都合がいい」


 エルザが静かに言う。


「監視も手入れもない道。汚しても、誰も気づかない」


「気づかれ始めてますけどね」


 俺は肩をすくめ、一歩、瘴気の中へ踏み込んだ。


 冷たい膜が肌を撫でる。

 胸の奥、【アイテムボックス】が反応した。


『観測:瘴気濃度 レベル2〜3』

『構成:星喰教団系呪詛粒子(微)+自然腐敗』


(想像より“薄い”な。だからこそ、嫌な感じだ)


『提案:周辺瘴気の選択吸収モード 起動』

『注意:同時に教団系タグの解析可能』


「やれ」


 短く命じる。


『命令受諾』

『限定広域吸収フィールド 展開/対象:低濃度呪詛粒子・瘴気』


 世界が一瞬だけ色を失い、すぐ戻る。


 空気に混じっていたざらつきが、するりと胸の奥に流れ込んできた。

 苦く、かすかに鉄の匂いのする冷たい泥水を飲み込むような不快感。


『吸収中……完了』

『内部処理:吸収瘴気 無害化プロセス移行』


「……なっ」


 バートンの驚愕が漏れる。


「空気が……軽くなった……?」


「瘴気が、消えたのか?」


 エルザも目を細め、周囲を見渡す。

 さっきまでまとわりついていた重苦しい圧力が嘘のように引き、森本来の澄んだ空気が戻っていた。


「お掃除、完了です」


 軽く言いながらも、腹の底で蠢く瘴気の後味に顔をしかめる。


「君は、本当に……」


 バートンは言葉を失い、エルザはじっと俺を観察している。


「アレン。負荷は?」


「まあ、ちょっと胸焼けする程度で」


「そうか」


 短い返事。だが、その声にはわずかな気遣いが滲んでいた。


 その時だった。


「……あれは?」


 エルザが振り返り、俺たちの歩いてきた道を指さす。


 さっき瘴気を吸った石畳の隙間や、道端の土くれから、小さな芽が顔を出していた。

 みるみるうちに茎を伸ばし、小さな白い花を咲かせる。

 一つ、また一つと。


 その花弁は夜空からこぼれた星屑のように、淡い青白い光を放っていた。


『新規対象:星屑草』

『性質:浄化済み瘴気領域に自生/微弱な聖属性』


「星屑草……?」


 エルザが低く呟く。


「古い伝承にある花だ。聖なる力が満ちた場所にのみ咲くとされているが……」


 俺が瘴気を浄化した範囲にだけ、星屑草の帯が広がっている。


「……聖なる力、ね」


 バートンが、俺と花とを交互に見て、複雑な声を漏らす。


「アレン。君のスキルは、瘴気を“消す”だけではないのか?」


「みたいですね」


 内心でログが続く。


『解析:負の価値(瘴気)解体時、微量の生命エネルギー(正の価値)散布』

『結果:周辺土壌の浄化および星屑草の開花を促進』


(喰ったゴミが肥料になる、ってことか。便利すぎるだろ)


 二人の騎士は、言葉を失って星の道を見つめていた。



 その後も、瘴気の濃い場所では俺が吸い上げては無害化し、道を押し開いていく。

 振り返れば、灰色だった巡礼路に星屑草の光が点々と続き、細い星の帯のように伸びていた。


「このまま行けば、巡礼路は“星の道”になるな」


 バートンがぽつりと言う。


「悪くないですね、それ」


「だろう?」


 ほんの少しだけ誇らしげな声。


(この景色を、誰がどう語るか。そこまで含めて“武器”にできる)


『内部処理:低濃度呪詛 解体/パターン解析』

『断片情報:「巡礼路終点=観測拠点」「真の器候補 誘導」』


(案の定、“器候補”の反応を見る実験ラインか。反応してやるよ。ただし、筋書きは書き換える)



 昼過ぎ、小さな集落に辿り着いた。


 巡礼路沿いの寂れた村。

半分崩れた石壁、色褪せた祈りの旗。

 そこかしこに咳き込む気配と、重い空気。


『観測:局所汚染 レベル4』

『人体への慢性的悪影響 推定』


 村の入口で、痩せた男がこちらを睨むように見てきた。


「旅の方か。悪いが、この村に泊まるのはすすめん。病が流行ってる」


「フロンティア支部所属、騎士団長バートンだ」


 バートンが名乗る。


「異常について、少し聞かせてもらえないか」


「騎士様が……?」


 男は戸惑いつつも答える。


「咳が止まらん者が増えた。悪夢にうなされる子供もいる。神父様は“試練だ”って言うが、祈っても良くならん」


(“夢見”って言葉が頻出しないだけマシか。銀晶じゃない、巡礼路の瘴気が溜まってる)


「少し診せてください。治療に金はいりません」


 前に出ると、バートンが腕を掴んだ。


「アレン。我々の任務はあくまで――」


「隊長さん」


 俺はその手をそっと外し、広場で身を丸める老婆を指した。


「あの人を見殺しにして進んだ先で、誰を救うんですか?」


「……っ」


「俺の“非効率”は、誰かのための最短距離なんでしょう?」


 以前、彼自身が口にした言葉を返す。

 バートンはぐっと詰まり、やがて深いため息をついた。


「……時間はかけられん。手短にやれ」


「ありがとうございます」


 エルザは黙って頷き、周囲警戒に回った。



 村長の許可を得て、広場に病人を集めてもらう。

 十数人。皆、瘴気による浅い呪詛で肺を汚され、衰弱している。


 【価値感知】を滲ませると、薄い黒い糸が絡みついているのが見えた。


『判定:低濃度呪詛/深層根 未形成』


(今なら一息で抜ける)


「皆さん、少しだけ楽になります」


 俺は一人一人の胸に掌をかざし、命じる。


「限定抽出。浅い汚れだけ、“根”になる前に抜け」


『命令受諾』

『限定抽出:低濃度呪詛粒子』


 冷たい煤のようなものが、掌を通じて胸の奥へ吸い込まれていく。


「……あ……」

「息が、楽に……」

「体が、軽い」


 ざわめき。

 仕上げに【自動錬成】で用意しておいた薄めの滋養回復薬を飲ませると、顔色が目に見えて戻っていく。


「なんだ、これは……」

「神様の、いや……」


 その時、村の外から駆け込んだ若者が叫んだ。


「村長! 大変だ! 巡礼路が、あの人たちが歩いた跡だけ、星みたいな花で光ってる!」


 広場にざわめきが走る。


 回復したばかりの老婆が、震える手で俺を指さした。


「星屑の……星屑の花……。古い伝承に……“灰の道に星が降りる時、災いを喰う者が来る”と……」


 村長が、膝をついた。


「おお……古き星の御言葉は真実だった……! 瘴気に閉ざされた巡礼路を、聖なる方が浄めに来られると……!」


 次々と村人たちがひざまずき、祈りを捧げる。


「聖人様……!」

「灰色の聖人様が……!」


「いや、俺はアレン・クロフトで――」


 訂正は、歓喜と祈りの声にかき消された。


『外部評価:巡礼路の村/信頼→崇拝へ移行』

『呼称:「灰色の聖人」 浸透開始』


(また“聖人”か。便利だから否定しきれないのが腹立つ)


 バートンは呆れ顔でため息を吐き、エルザはどこか遠くを見るような目で光る道を眺めていた。



 治療が落ち着いた頃、古い巫女服を身にまとった少女が、きちんとした礼で頭を下げた。


「この村の巫女、リネと申します」


 年は十七、十八。胸元には擦り切れた星のチャーム。


「“聖人様”――いえ、アレン様。巡礼路と村を浄めてくださり、ありがとうございます」


「いえ、通り道なので、ついでですよ」


 正直に言う。


「ですが、この道は長く見捨てられていました。あなたが歩かれた跡にだけ星屑草が咲いている。それは伝承にございます」


 リネは巡礼路の方を見やり、震える声で続ける。


「『いつか灰の道に星が降りる。その者は災厄を喰らい、道を正す』と。……私は、あの星を見て、勝手に“来てくださった”のだと思ってしまいました」


(星喰教団と灰の星、両方の伝承が混ざったような言い回しだな)


『注記:巡礼路周辺伝承=「星が降りる灰の道」』

『既知タグ:星喰教団/灰の星 系譜と一部一致』


「お願いがございます」


 リネはきゅっと拳を握りしめる。


「この先の巡礼路は、もっと深く汚れております。終点には“古き星の教会”があり、その星紋と祈りの道筋を知る者は、もう私たちくらいしか残っておりません。どうか、その先までの御案内役を、私にお任せいただけませんか」


「駄目だ」


 即座にバートンが遮る。


「ここから先は危険地帯だ。非戦闘員は置いていく」


「ですが、このままでは、いずれ村ごと瘴気に呑まれます。それなら……」


 迷いのない目だった。


(この子、本気だ)


 エルザが俺を見る。


「アレン。どうする」


「危険です。最悪、死にますよ」


「覚悟は、あります」


 即答。

 灰色路地の住民と同じ、「ここが自分の場所だから前に出る」という目だ。


「バートン隊長」


 俺はバートンへ向き直る。


「条件付きで同行許可を。代わりに三つ、約束してください」


「言ってみろ」


「一つ。絶対に俺より前に出さないこと」


「当然だ」


「二つ。戦闘が始まったら即座に下げること。“切り捨てる”んじゃなくて、“守る側”として動いてください」


「……重い注文だな」


「隊長さんならできます」


 正面から言うと、彼は小さく舌打ちした。


「勝手にハードルを上げるな」


 エルザが小さく笑う。


「三つめ」


「まだあるのか」


「彼女に、“ここで見たことを物語る役”をやってもらうこと」


「物語?」


 エルザが眉をひそめる。


「王都があとで“公式記録”を書き換えても、この道で何が起きたかを語れる人が現地にいれば、それは別の力になる。灰色路地と同じです」


 バートンの表情がわずかに和らぐ。


「……なるほどな。“聖人”だろうが“特別協力員”だろうが、この目で見た者の声は消しづらい」


『評価:リネ/伝承者適性 高』

『政治的価値:巡礼路ルート証言者として有効』


「決まりだ」


 バートンは折れた。


「リネ。お前の同行を認める。ただし、我々の指示には絶対に従え」


「はい……!」


 リネは瞳を潤ませ、深々と頭を下げる。


「アレン様のお導きに、祈りを添えさせてください」


「だからアレンで」


 反射で言いかけて、飲み込む。


(今はその呼び名で、この子とこの村が守れるなら、利用しておく)



 四人で巡礼路を再び進む。


 村を過ぎると、瘴気は露骨に濃くなった。

 さっきまで薄い煙だったものが、糸のように絡まり霧となって漂う。


『観測:瘴気濃度 レベル5』

『構成:星喰教団呪詛+第三種干渉波 混在』


(教団と“灰の星”、両方の手が入ってるな)


「リネ。先導は?」


「ところどころに星紋の石柱がございます。それが本来の巡礼の“安全な道”です。ただ……近年、そのいくつかが黒く塗り潰されていて……」


「教団の上書きか」


 エルザが視線を細める。


「あるいは、第三勢力が逆に塗り替えようとしたか。どちらもあり得る」


「アレン。見分けはつくか?」


「やってみます」


 胸の奥に集中する。


「“価値感知”、フィルタ切り替え。教団呪詛は黒、灰の星系の浄化紋は別レイヤー表示」


『命令受諾』

『負の価値(教団系)/中立〜正の価値(第三種系) 分離表示』


 視界がわずかに二重にぶれ、黒いねじれと淡い灰色光がそれぞれ浮き上がる。


「あれが教団の印」


 道端の石柱を指さす。

 黒く塗り潰された下に、歪んだ星が蠢いていた。


「潰します」


 手をかざし、“負の価値”だけを引き抜く。


『抽出:教団系呪詛インク』

『結果:本来の星紋 浮上』


 黒が剥がれ落ち、古い星の印が蘇る。


「戻った……」


 リネが息を呑む。


「こっちは?」


 別の石柱には、灰色の線で上書きされた紋がある。

 俺の目には、その灰が瘴気を押し返しているのが見えた。


「これは残します。“灰の星”側の抑制印です」


『識別:第三種干渉紋/効果:局所起動抑制(弱)』


「味方か?」


 バートンが問う。


「少なくとも、この場では教団の逆です」


「敵の敵、というわけか」


 エルザが頷く。


 俺は教団の黒だけを次々に削ぎ落とし、第三勢力の印は残す。

 そのたび、瘴気は薄まり、星屑草がさらに足元に増えていく。


 リネが小さな声で祈りの歌を紡ぐ。

 星屑草の光が、歌に応じるように瞬いた。


(教団の道じゃない。“浄化された道”として、ここを塗り替える)



 夕暮れが近づく頃、前方に朽ちたアーチが見えた。


 その向こうに、暗く沈んだシルエット。


「巡礼路の終点、“古き星の教会”です」


 リネが震える声で告げる。


 近づくほどに、瘴気が重くなる。


『警告:瘴気濃度 レベル7』

『構成:星喰教団呪詛核 断片/第三種干渉波/未知の“嘆き”エネルギー』


(嘆き……?)


 崩れかけた大扉。ひび割れたステンドグラス。

 その前に――一つの影が立っていた。


 古びた鎧。

 かつて白だったはずのマントは煤けて灰色に染まり、風もないのに微かに揺れている。


 兜に覆われた顔は見えない。

 だが、その身から溢れ出すのは、圧し潰されそうな悲しみ。


「……ぁ……」


 掠れた低い声。

 言葉にならない、嘆きだけ。


「剣を抜け」


 エルザが静かに囁く。


「ただのアンデッドじゃない」


「分かっている」


 バートンが前に出て盾に手をかける。

 後ろでリネが小さく息を呑み、俺の影に身を寄せた。


『解析:対象=アンデッド/元“聖騎士”』

『エネルギー源:教団呪詛核からの供給+本体に残る純粋な信仰心』

『状態:魂の拘束/教会の番人として強制稼働中』

『内部傾向:解放を希求する嘆き』


(……あれは敵じゃない。“囚われてる”)


 胸の奥が、きしむ。


「アレン」


 エルザが横目で俺を見る。


「ここから先は、簡単には通してくれんぞ」


「ええ。でも、斬り捨てる相手とは限りません」


 忘れられた巡礼路は、その終点で牙を剥くと同時に、もう一つの選択を突き付けてきた。


 星喰教団の呪詛。

 第三勢力“灰の星”の干渉。

 そして、嘆きの聖騎士。


 瘴気の奥で、誰かの薄い笑い声がした気がする。


『観測:星喰教団系統 通信断片』

『内容:「ようこそ、巡礼路の終点へ」「真の器候補の反応観測開始」』


(見てろよ。“器”じゃないほうの選び方を、教えてやる)


 星屑草の淡い光が揺れる道を踏みしめ、俺たちは崩れた教会の門前へと進んだ。

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