第28話 監視下の初任務と、窓辺の三通

朝、目を開けた瞬間、昨夜までの言葉が一気に押し寄せた。


『真に相応しき“席”は、辺境ではなく、王都にこそございます』

『器に鎖をかける者すべてを、我らは視ている』

『特別協力員規約案』


 机の上には三種類の封筒の残骸が並んでいる。


 一つ目。ギルド印付き「特別協力員規約案」。

 二つ目。黒鉄砂混じりのインクで「席」を語る、公爵家からの丁寧な招待状。

 三つ目。歪んだ星と器の紋章が刻まれた、星喰教団の黒札。


(三つ巴どころじゃないな)


 ギルドは「保護」の名で管理を強めようとし、公爵家は「栄誉」の席に誘い、教団は「導き」と「観測」で絡みついてくる。


 みんな口調は違うのに、やっていることは同じだ。


(俺を“自分の都合の器”にしたいだけだ)


『状況整理:主に接触中の勢力——

 1:フロンティア冒険者ギルド(保護名目の管理強化)

 2:王都公爵家(“席”の誘い/教団類似文言)

3:星喰教団(観測と勧誘/実験区画)

4:ロデリック商会(教団側実動部隊/既に亀裂)』


(分かりやすい。だから利用できる)


 全員、俺を駒だと思って綱引きしている。


 だったら、その綱ごと、俺の側に引きずり込む。


「……とりあえず、顔洗って飯」


 独り言をこぼし、起き上がる。


 簡単な朝食をとり、栄養強化ポーションで眠気を追い出しながら、あらためてギルドの規約案に目を通した。


(“スキル詳細の定期報告義務”……“高危険度区域への単独侵入禁止”……“高位ポーションの外部直接販売制限”……)


『補足解析:文面に“緊急時、国家判断による身柄移送に協力”の含意』

(やっぱりそこは入れてくるか)


 丁寧な言葉で塗ってあるが、要するに「首輪を付けたまま、いざとなったら王都に出荷」だ。


 次、公爵家。


 昨夜読み終えて【収納】したはずの文面が頭に蘇る。


「真に相応しき“席”」なんて、教団と同じ匂いのする単語を、黒鉄砂入りインクでわざわざ書いてくるあたり、センスが悪い。


(行く気はゼロ。使う価値だけ、こっちで選ぶ)


 教団の黒札も同じだ。


『器に鎖をかける者すべてを、我らは視ている』


(見てるなら勝手に見とけ。首輪のデザイン競争に混ざる気はない)


 ぐしゃりと握りつぶした感触を思い出しながら、息を吐く。


 今日はギルドが修正した「特別協力員規約」の正式提示がある。ロデリック商会への処分も本格化するはずだ。


(ここから先は交渉戦だ)


 上に立つ大人たちと、悪趣味な教団と、腐った貴族たちを相手に。


 その前に——


「“英雄業”も片付けときますか」



 朝のギルド一階は、昨日の余韻をまだ引きずっていた。


「あっ、アレンさんだ!」

「鉱山、本当に助かったよ!」

「ポーション効きすぎて、朝から走り回ってるぞ俺!」


 あちこちから声をかけられ、正直むず痒い。


「おはようございます。変な副作用とか出てないですか?」


「ねぇよ! ただ嫁に“元気すぎてうざい”って言われたくらいだ!」


「それは知りません」


 笑いが起きる。


 視線の一部はあからさまに好意と感謝。別の一部は、好奇と警戒と噂話。


「見たか? あれが“星喰い”だってよ」

「その呼び名、ギルドが禁止したって聞いたぞ」

「でもよ、教団も貴族も狙ってるって話だ。あんなの置いといて大丈夫かね」


(まぁ、そうなる)


 背中に刺さる視線を受け流し、受付の前を通り過ぎる。


「アレンさん、ギルドマスターがお呼びです。二階の執務室に――」


「ありがとうございます」


 会釈して階段へ向かう途中、壁にもたれた紺のマントが目に入った。


「エルザさん」


「来たか」


 既に正装の騎士団装備で立つ彼女の表情は、いつも以上に固い。


「ギルドと王都の“提案”は、私も確認する。君一人に任せるわけにはいかない」


「助かります」


「お、旦那」


 反対側の壁から、パンを齧りながらカイがひょいと手を上げる。


「悪役との契約交渉、観戦しに来たぜ」


「誰が悪役ですか」


「全員だろ」


 同時に言うんじゃない。


 三人で短く目を合わせ、執務室の扉をノックした。



 中にはバルドス、黒衣の幹部たち、商人組合代表が揃っていた。


「来てくれてありがとう、アレン君。それにエルザ君、カイ君も」


 いつもの穏やかな笑み。だが、その目はやはり計算をやめていない。


「昨日の議論を受けて、“特別協力員規約案”を修正した。まず読んでほしい」


 差し出された新しい羊皮紙に目を通す。


「……」


 思わず息が漏れた。


「前よりだいぶマシになってますね」


 スキルの「全開示」要求は消え、「星喰教団との戦闘・対策に必要な範囲について協議の上」という文言に変わっている。


 行動制限も、「ギルド指定S級危険区域への無断単独侵入禁止」と具体化され、フロンティア市街や近郊での自由な出入りまでは縛っていない。


 王都移送条項には、「本人の意思を無視して強制しない」という一文が追記されていた。


(根っこの“管理権”は握ったままだが……最低限、話は通じる形になってる)


『解析:譲歩内容=限定的だが有効/“王都への勝手な引き渡し”は抑止可能』

『推奨:受諾→実績構築→後続交渉』


「条件はまだ厳しいが、前案より現実的だ」


 エルザさんも小さく頷く。


「ただし」


 黒衣の幹部が口を挟む。


「教団との戦いが激化した場合、王都との連携は不可避となる。緊急時に王都からの要請があれば、正当な手続きを経て協力してもらう」


「“正当な手続き”を通るなら、ですね」


 俺はそこだけ強調する。


「裏口から誰かが勝手に決めるのは無しでお願いします」


 バルドスが面白そうに目を細めた。


「君は、信頼という言葉をどの程度信じてくれるかな?」


「条件付きなら」


「条件?」


「一つ。“星喰いの器”とか、そういう呼び名を前提にされないことです」


 静かに、だがはっきりと言う。


「教団も、公爵家も、その言葉を札にして俺を扱おうとする。ギルドまで同じ札を使ったら、誰も信じられなくなります」


 黒衣が顔をしかめるが、バルドスは小さく笑った。


「なるほど。教団のレッテルを、そのまま使うのは愚かだね」


 彼は周囲を見渡す。


「本日より、ギルド内で“星喰いの器”という呼称の使用を禁止する。彼はアレン・クロフトだ。それ以上でも以下でもない」


 場がわずかにざわめく。


「マスター、本気で——」


「不用意な言葉は争奪戦の火種になる。こちらの管理も面倒になる」


 淡々とした説明。打算も本心も混じっている。


(やっぱりただの善人じゃない。でも、その線引きは嫌いじゃない)


「では改めて問おう、アレン君」


 バルドスが組んだ指をほどき、真っ直ぐこちらを見る。


「この修正版を前提に、“ギルド特別協力員”としてフロンティアと共に歩む意思はあるか?」


 選択を迫る視線。


 エルザさんは無言で「好きに選べ」と目で告げ、カイは「どっちでも楽しめる」とニヤついている。


(ここでノーって言えば、即「危険物」コースだな)


 教団、公爵家、ロデリック商会。


 そしてギルド。


 この中で、交渉のテーブルに座る意思を見せているのは、一箇所だけだ。


「……はい」


 頷いた。


「“特別協力員”として、教団やロデリック商会と戦う案件には協力します」


 黒衣が小さく安堵の息を吐く。


「ただし」


 間髪入れず続ける。


「この契約は、俺にとっても“保険”です」


「保険?」


「ギルドとフロンティアが“俺を教団や怪しい貴族に売り渡さない”と、対外的に約束した証になる。俺を狙う連中に対して、“ここを通らないと触れない”って線を引ける」


 バルドスが、愉快そうに笑った。


「実に賢い。君は本当に、ただの追放農民だったのかね」


「ただの追放農民のままだと死ぬんで」


『内部記録更新:ギルド特別協力員ステータス 承認』

『注意:信頼度=変動値/監視強度=維持』


「よろしい」


 バルドスは満足げに頷くと、机の引き出しから別のファイルを取り出した。


「では、協力員第一号としての最初の任務だ」


 地図と書類が机に広げられる。


「ロデリック商会の不正調査。グレンデル鉱山から押収した呪詛物資と転移術式の痕跡を辿り、連中の“呪詛アイテム供給ルート”を洗い出してもらう」


(望むところだ)


「ただし、規約に従い、君の単独行動は許可できない」


 バルドスの視線が扉へ向く。


「監視——いや、“護衛”として、騎士団から一隊を同行させる」


 ノックもそこそこに扉が開き、三人の騎士が入ってきた。


 先頭の男は、日に焼けた顔に疲れたような目をした中年騎士。鎧はよく手入れされているが、その視線は露骨に「面倒事」を語っている。


「騎士団隊長、バートンだ」


 短く名乗り、俺を上から下まで値踏みする。


「ギルドマスター直々の命令で、あんたの“お守り”をすることになった。“英雄”様」


 英雄。嫌味で鋭く刺してきた。


(ああ、このタイプか)


「これはこれは、ご丁寧にどうも」


 笑顔で返す。


「この重要任務に騎士団の精鋭が同行してくださるとは、心強いです」


 後ろの騎士二人が、くすりと笑いを漏らした。


「バートン隊長」


 エルザさんが椅子を離れ、一歩前へ。


「この任務はギルドと騎士団の共同だ。アレンは特別協力員として正式に位置付けられた。監視だけが目的ではない。ロデリック商会の摘発が最優先だ」


「分かっておりますよ、隊長代理殿」


 バートンは肩をすくめる。


「ただ、我々騎士団は“確かな証拠”に基づいて動くのが仕事でしてね。どこぞの誰かさんの“不思議な力”頼みで勝手に暴れられても困る」


 完全にこっち見ながら言うな。


「なら俺も混ぜてくれよ」


 ひょい、とカイが手を挙げる。


「ロデリック商会には個人的に興味があってね。情報屋枠で協力するわ」


「……好きにしたまえ」


 バルドスは小さく溜息をついた。


「エルザ君も同行してくれるかね?」


「当然だ」


 エルザさんは即答した。


「騎士団長代理として、この作戦の監督権は私が持つ。異論は認めない」


 バートンが露骨に眉をひそめる。


「へいへい。お偉いさん方のご指示通りに」


 こうして、「特別協力員」アレン・クロフトの初任務は決まった。


 俺と、その力を信じるエルザとカイ。

 そして、俺を侮蔑と警戒の目で見るバートン隊長率いる騎士たち。


 歪で、面倒くさくて、悪くない布陣だ。



 執務室を出ると同時に、カイが肘で小突いてきた。


「いやー、見事だな旦那」


「何がですか」


「首輪を“首輪です”って認めた上で、自分の盾にする悪役ムーブよ」


「褒めてないですよね?」


「褒めてる褒めてる」


 エルザさんも、歩きながらぽつりと言った。


「“星喰いの器”呼びを禁じさせたのは大きい。あの言葉は、教団にも貴族にも都合の良い札だからな」


「まぁ、あとは行動で信じてもらうしかないですね」


「そうだ。言葉より結果だ」


 と、その時。


 一階のロビーから、怒鳴り声が響いた。


「ふざけるな!!」

「ロデリック商会を侮辱する気か、ギルド風情が!」


 三人で顔を見合わせ、階段を駆け下りる。



 受付前で、派手な服を着た男が机を何度も叩いていた。


 胸元にはロデリック商会の紋章。


「ロデリック商会代理、サミュエル・ロデリックと申します!」


 怒鳴りながら名乗るその顔は真っ赤で、血管が浮いている。


「第7坑道は我が商会が正式に管理していた! そこへ勝手に踏み込み、“夢見の銀晶”だの“呪詛”だのと濡れ衣を着せ、倉庫を押収! これは明白な営業妨害だ! その中心人物が——」


 ギロリ、と視線がこちらを射抜く。


「そこの“星喰——”」


「アレン・クロフトだ」


 エルザさんが冷えた声で遮った。


「ギルド方針に反する呼称は慎め」


 サミュエルが一瞬言葉に詰まり、それでも吐き捨てる。


「アレン・クロフト! 君のデタラメな証言のせいで、我が商会は甚大な損害を被った! 王都の商業裁で争ってもいいのですよ!?」


「その前に」


 背後から柔らかい声。


 バルドスが階段を降りてきていた。


「鉱山第7坑道から押収した呪詛刻印入りの黒鉄砂と夢見の銀晶、ガウェインの供述、倉庫から見つかった禁制呪具。これらの鑑定結果は既に王都の監査局にも送ってある」


「なっ……!?」


「本日付で、ロデリック商会フロンティア支部の一部業務停止と資産凍結の“暫定処分”が下りたところだ。潔白を証明したければ、正式な場でどうぞ」


 サミュエルの顔色が、真っ青からどす黒い色へ変わる。


(王都の“誰か”は、ロデリックを切り捨てに動き始めたってことか)


『補足:公爵家書簡到着タイミングと一致』

『推測:上位勢力による駒の整理開始』


(やっぱりな)


 サミュエルは最後の矛先を、俺に向ける。


「覚えていろ、アレン・クロフト……!」


歯噛みの呟きを残し、騎士に腕を取られて連行されていった。


「見たか」


 カイが小声で囁く。


「ロデリック商会が落ちた穴埋めに、お前を“王都直轄の有能な器”にしたがる動き、絶対来るぜ」


「来る前提で動きます」


 エルザさんも頷く。


「教団も、公爵家も、ギルドも。君を狙う手はこれから増える。その前に——」


 彼女はバートンの方を振り返る。


「バートン隊長。ロデリック商会の調査任務、準備は?」


「命令通り、部下を集めてある。“英雄様”のお散歩に付き合う準備くらいはな」


 露骨な嫌味。


「じゃあ行きましょうか、“お散歩”に」


 俺は軽く笑ってみせた。


「ロデリック商会の、本当の顔を拾い集めに」



 ギルドを出て、街路に出る。


 人通りの多い大通り。荷馬車の轍。石畳の隙間。


「さて、“英雄”アレン・クロフト君」


 腕を組んで歩くバートンが、鼻で笑う。


「で、どうするつもりだ? ロデリック本店に殴り込みか? 帳簿を盗むか? どれも正面衝突だ。騎士団はそんな真似に付き合わんぞ」


「そうですね」


 俺は立ち止まり、目を閉じる。


【価値感知】。


 フロンティアの街全体が淡い光の粒で満ちている。


 行き交う人々の生活、商人の金勘定、冒険者の武具。


 その中に、極細の黒い蜘蛛の糸のような線が紛れていた。


 路地から路地へ、倉庫から商会へ、下水口から裏通りへ。


 夢見の銀晶、黒鉄砂、ガルドが使っていたのと同じ系統の「負の価値」のさざ波。


(やっぱり、街にも“実験区画”の配線が走ってる)


『検出:微弱呪詛タグ/発信源一部=ロデリック商会倉庫群』

(辿れる)


「旦那、どうだ?」


 カイが小声で訊ねる。


「蜘蛛の巣が張ってあります。あちこちに」


 俺は目を開け、大通りの一点を指さした。


 石畳の隙間に、わずかに黒い砂が詰まっている。


「バートン隊長、まずはあそこから」


「は?」


 彼は露骨に眉をひそめる。


「あれはただの泥だろうが」


「いえ。黒鉄砂です。あの鉱山と同じ、呪詛の“種”」


 しゃがみ込み、指先で摘む。


『警告:微弱精神汚染値』

『対処:即時浄化可能』


「馬鹿馬鹿しい」


 バートンが吐き捨てる。


「そんな砂粒一つが何の証拠になる? 俺たちはゴミ拾いに来たんじゃないぞ」


「そうですね。ガラクタです」


 素直に頷く。


「でも、そういう“価値のないもの”を繋いでいくと、とんでもない“価値”の巣に辿り着くことがあります」


 黒い砂を、そっと【収納】する。


 胸の奥で、微かな負の価値がしゅっと消えた。


「退屈なガラクタ拾いに見えるでしょうけど、付き合ってください。ここから始めます」


「ふん……英雄様の道楽に付き合えってか」


 バートンは鼻を鳴らすが、拒否はしない。


「面白ぇ」


 カイが口笛を吹く。


「さぁ隊長、英雄様の“ゴミ拾い”に付き合うとしますか。どうせ、これが一番近道だ」


 エルザさんは黙って俺を見て、一度だけ頷いた。


 監視と侮蔑と信頼と興味が入り混じった視線を背中に受けながら、俺は石畳の上の小さな黒を拾い上げ、歩き出す。


 街中に散らばる“価値なきもの”の先に、どれほど醜い“本当の価値”が繋がっているのか。


 それを暴き出すのが、「特別協力員」アレン・クロフト、監視下での最初の仕事だった。

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