第27話 保護という名の首輪と、英雄の喧騒

ギルドの大扉が開いた瞬間、世界がひっくり返った。


「帰ってきたぞーっ!」

「あいつらだ! 鉱山を救った連中だ!」

「エルザ様ー!」「アレンさーん!」

「星喰……じゃなくて! アレン・クロフトだー!」


 押し寄せる歓声。紙吹雪。いつ用意したのか分からない、雑だけど気持ちのこもった花束。


(なんだこれ……)


 ギルド前広場を埋め尽くすのは、土埃と汗と涙にまみれた鉱夫たち、帽子を振り回す子どもたち、酒樽を抱えた店主たち。


「番犬をぶっ倒した英雄だってよ!」

「呪いが抜けたんだ、本当に身体が軽ぇ!」

「アレンさん! あんたの名前、一生忘れねぇ!」


 あっちこっちから名を呼ばれ、背中がむず痒くなる。


「出迎えが派手だな、旦那」


 隣でカイがニヤニヤ笑った。


「英雄はつらいねぇ?」


「いや、英雄はエルザさんとドルガンさんと……」


「お前だ、アレン」


 エルザさんがきっぱり言う。いつも通りの硬い声なのに、頬がわずかに赤い。


「鉱山の者たちには、君の名も、役割も伝えた。君の“銀晶抜き”がなければ、私たちは全滅していた」


「おい見ろ、“器”の兄ちゃん——」


「違う! “器”とか言うな!」

「“星喰い”ってのは変な教団の言い方だってギルドが言ってたろ!」

「“アレン”だ、“アレン・クロフト”!」

「アレンさーん! 本当にありがとう!」


 名前を訂正してくれる声に、胸の奥が少しだけ温かくなる。


 胸の内側で【アイテムボックス】が、こそっと振動した。


『外部反応:称賛/感謝 多数』

『評価:良好な価値信号』


(お前まで解析するな)


「ほら、手振っとけって旦那。無愛想だと“英雄様、陰気”って叩かれんぞ?」


「そういうのはカイさんが」


「……仕方ない」


 小さく息を吐き、一歩前へ出る。


「鉱山が持ち直したのは、皆さんが最後まで諦めず働いたからです。俺たちは、ちょっと手伝っただけですよ」


「謙虚だー!」

「ああいうとこがまた良いんだよ!」

「アレンさーん、うちの娘を——」

「やめとけバカ!」


 余計な声まで飛び始めたので、とりあえず曖昧に笑ってごまかす。


 喧騒の向こうで、ギルドマスター・バルドスが白い髭を撫でながらこちらを見ていた。穏やかな笑み。だが、あの目は計算をやめない。


 目が合うと、彼は軽く手招きした。


「人気者だね、アレン君。悪いが、少し時間をもらえるかな?」


(来たな、“裏側”)


「はい。すぐ行きます」


「気をつけろよ、旦那」


 カイが小声で囁く。


「今の声援、そのまま鎧にも首輪にもなるからな」


「分かってます」


 エルザさんも、短く頷いた。その眼差しが「一人で抱えるな」と言っている。



 フロンティア冒険者ギルド本部、二階。


 さっきまでの熱気が嘘みたいに、廊下は冷たい空気に満たされていた。


 ギルドマスター執務室の前に立つと、既にそこには紺のマントの騎士が一人。


「アレン」


 エルザさんだった。壁にもたれ、扉の内側を伺っていたらしい。


「おはようございます。早いですね」


「昨夜の会議の続きをするつもりだろうと読んでいた」


 彼女は手元の書状を軽く掲げる。


「王都およびフロンティア連名の“特別協力員規約案”。昨日の会議が終わる前に発行されている。つまり——」


「俺の扱いは、もうほとんど決めてあるってことですね」


「その可能性が高い。だから私も同席する。君一人にすべての圧を受けさせる気はない」


「……ありがとうございます」


「礼は不要だ。私自身の判断だ」


 その一言で、胸の重さがほんの少し軽くなる。


 ノックし、扉を開けた。



 執務室の空気は、鉱山の最深部より重かった。


 机の奥にバルドス。その傍らに黒衣の幹部数名。書類の山。


「来たかね、アレン君。エルザ君も」


 ギルドマスターはいつもの穏やかな微笑を浮かべるが、瞳は笑っていない。


「座りたまえ」


 俺とエルザさんは長椅子に並んで腰を下ろした。


「単刀直入に行こう」


 バルドスが指を組む。


「蝕まれし森に続き、グレンデル鉱山でも君は大きな成果を上げた。君は今や、この街の英雄だ」


 英雄。言葉の軽さに、胃がきゅっとなる。


「だが同時に、君の力は危険でもある。星喰教団は君を“真の器”と呼び、ロデリック商会は接触を試みた。君をこのまま自由にしておくことは、君自身にとっても、フロンティア全体にとっても、大きなリスクだ」


(はい、前フリ終了)


「そこでだ」


 バルドスは一枚の羊皮紙を机に置いた。


「王都とフロンティア領主とも協議の上、君に新たな立場を用意した。本日付で、君を“ギルド特別協力員”に任命する」


「特別協力員……」


「ギルドの庇護下に置く、ということだ」


 と、黒衣の男が口を挟む。


「君を教団や商会の不当な干渉から守り、適切な任務に従事してもらう。光栄な待遇だと思いたまえ」


「……その“保護”には、対価が必要ですよね」


 そう聞くと、バルドスは短く笑った。


「話が早くて助かる。条件を説明しよう」


 黒衣が、別の厚い羊皮紙束を広げ、無機質な声で読み上げる。


「第一。スキル【アイテムボックス】に関する詳細な能力について、ギルド指定の書式に基づき、定期的な報告義務を負う」


(いきなり核を要求してくるな)


「第二。ギルドの許可なく、フロンティア市街および近郊から離れることを禁ず。高危険度区域への立ち入りは、ギルドまたは騎士団の監視者の同行を必須とする」


「第三。ポーションその他の高等錬成物は、原則としてギルドを通してのみ販売・譲渡すること。無断流通は禁止とする」


「第四。星喰教団対応のため、必要に応じて王都への詳細報告、および場合によっては身柄の移送に協力すること——」


「待ちなさい」


 エルザさんの冷たい声が、その一文を断ち切った。


「今、さらりと“移送に協力”と言ったな。それは事実上、王都行きの容認を義務付ける条項だ」


「当然だろう」


 黒衣は冷笑を浮かべる。


「彼は国家レベルの危険物であり資産だ。王都の管理下に置く選択肢を残さぬなど——」


「危険物ではない」


 エルザさんが遮る。


「彼は命を賭して森を救い、鉱山を救った。我々は、その功労者を“危険だから”の一言で檻に入れるつもりか?」


「感情論だな、シュタイン隊長代理」


「感情論ではない」


 机が小さく鳴るほど、彼女は指で天板を叩いた。


「王都は既にロデリック商会と教団の影響下にある可能性が高い。そこへ“星喰いの器”とやらを送ることこそ、敵に差し出す愚行だ」


 黒衣が口を開きかけるのを、バルドスが手で制す。


「まぁ落ち着きたまえ。これは案の一つだ。最終決定ではない」


 そう言いつつ、彼の視線は鋭い。ここで俺がどう反応するかを、楽しむように見ている。


「アレン君。君自身の意見を聞きたい」


 来た。


「……正直に言っていいですか?」


「もちろん。ここは率直でいい」


「じゃあ、率直に」


 息を吸い込む。


「王都行きは論外です」


 空気がぴしりと張り詰めた。


「トレス村。蝕まれし森。グレンデル鉱山。ロデリック商会。星喰教団。全部王都の貴族に繋がってる匂いがするのに、“保護”と言ってそこへ行けって話は、おかしいです」


 黒衣が舌打ちする。


「では野放しにしろと?」


「そう言ってるわけじゃありません」


 俺は机上の羊皮紙を指先でなぞる。


「移動制限。単独行動禁止。能力報告。王都移送への協力。ポーション流通の完全管理」


 顔を上げ、バルドスを見る。


「ギルドマスター」


 一拍置き、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「これは“保護”じゃなくて、“器として棚に並べる”ための条件ですよね」


 静寂。


 エルザさんが小さく息を呑み、黒衣の幹部の顔がみるみる紅潮する。


 バルドスの穏やかな表情に、小さなヒビが走った。


(図星だな)


 星喰教団は俺を玉座に据えようとした。


 ギルドと王都は、俺を鍵付きの棚に仕舞おうとしている。


 本質は、同じだ。


「……面白いことを言う」


 数秒の沈黙の後、バルドスは微笑を戻した。


「君がどう感じようと自由だ。しかし我々には街と人々を守る義務がある。君の力が暴走する可能性、敵に奪われる可能性、それらに備えねばならない」


「それは分かっています」


(だからこそ、今ここで殴り合いはしない)


「だから、取引をさせてください」


「取引?」


 黒衣が鼻で笑う。


「自身を何様だと思っている」


「アレン・クロフトです」


 即答する。


 自分でも驚くほど、迷いがなかった。


「星喰いの器じゃない。ただの元農民で、今はこの街で生きてる冒険者です。その上で——」


 視線をバルドスに戻す。


「俺も星喰教団とロデリック商会を潰したい。あなたたちもそうしたい。目的は重なってます」


「ふむ」


「だから俺は、“特別協力員”になること自体は受け入れます。教団絡みの案件には優先的に協力しますし、危険な場所へ勝手に突っ込むなという制限も、ある程度は飲みます」


 黒衣が「ある程度?」と眉をひそめる。


「ただし条件があります」


 はっきりと言う。


「一つ。俺のスキルの“全部”を開示するつもりはありません。教団に奪われた時のことも考えて、必要最低限だけです」


 エルザさんがわずかに頷く。


「二つ。俺の頭越しに、王都や貴族に“移送”を勝手に約束しないでください。“保護”の名目で敵の懐に送られるのはごめんです」


 会議室の空気が、またひとつ重くなる。


「三つ。俺を“完全に縛ること”だけを優先しないでください。俺が動けなくなれば、教団と戦う武器を自分で折ることになる」


 黒衣が舌打ちし、女幹部が口を開きかけるが、バルドスが手で制した。


「随分とはっきり言うようになったね、君も」


「教団も商会も、俺を“器”扱いして勝手にラベルを貼ってきたので。もううんざりなんです」


 淡々と返す。


「俺は“棚に並べられる器”じゃなくて、“自分で畑を選ぶ人間”でいたい。それだけです」


「畑?」


 幹部の一人が首を傾げる。


「個人的な話です」


 リリアとの約束は、今は飲み込む。


 バルドスはしばらく沈黙し、やがて肩をすくめた。


「いいだろう。ここで結論を急ぐつもりはない」


「マスター!」


「王都への即時移送は、少なくとも現時点では見送る」


 バルドスははっきりと言った。


「その代わり、“特別協力員”としての枠組みは整える。君の条件も一部取り入れよう。ただし、こちらにも譲れない条項はある。そのすり合わせは追って行う」


「賢明な判断です」


 頭を下げる。


(今はそれでいい。ここで全面拒否して敵を増やすのは悪手だ)


「だが、アレン君」


 バルドスの声がわずかに低くなる。


「君がどれほど殊勝なことを言おうと、その力は現実に脅威となり得る。我々が信頼を示すのと同じだけ、君も行動で信頼を積み重ねてほしい」


「分かっています」


 真正面から受ける。


「裏切る気はありません。少なくとも、俺から先に」


 その一言に、エルザさんの目がわずかに和らぎ、黒衣は渋い顔をしつつ黙り込んだ。


「本日のところはここまでだ」


 バルドスが宣言する。


「“特別協力員規約案”は修正した上で明日提示する。君は一旦休みたまえ。……英雄も疲れているだろう」


「お気遣い、どうも」


 皮肉半分で返し、部屋を辞した。



 廊下に出ると、すぐに二つの影が近づいてきた。


「終わったか、“危険物”」


「だからやめてくださいって、その呼び方」


 鑑定士バルガスと、槌音のドルガンだ。


「端っこで聞いとったぞ」


 ドルガンがふんと鼻を鳴らす。


「小僧、前より舌が回るようになったじゃねぇか」


「褒めてるんですよね、それ」


「まあな」


 バルガスが眼鏡をくいと押し上げる。


「即・王都送りは回避。“特別協力員”で首輪を作る。概ね予想通りだ」


「首輪の締まり具合は、これからだな」


 カイが肩をすくめる。


「にしても旦那、“俺は畑を選ぶ人間だ”は名言だわ」


「笑い事じゃない」


 エルザさんが真顔で言う。


「これから、ギルドも王都も、君を“どう縛るか”で動く。教団と公爵家もだ」


 ドルガンがじろりと俺を見る。


「お前、本気で“器扱いしてくるやつら全員に喧嘩を売る”腹はあるのか」


「あります」


 迷いはなかった。


「星喰教団にも、ロデリック商会にも、トレス村を“実験区画”にした連中にも、“保護”の名で売ろうとする貴族にも。まとめて」


 バルガスの口元が、ニヤリとも苦笑ともつかない形になる。


「なら、手伝い甲斐がある」


「“星砕き”も、ちゃんと鍛えておいてやる」


 ドルガンが言う。


「あれはまだ粗削りじゃ。次は本物を持たせたる。だから勝手に死ぬな、小僧。わしの楽しみが減る」


「プレッシャーがすごいです」


 それでも、少しだけ笑えた。



 夜。


 借家に戻り、簡単な夕食を終え、机に向かう。


 机の上には、二通の封筒があった。


 一つはギルド印とフロンティア領主の印が押された、「特別協力員規約案・草稿」。


 ざっと目を通すと、さっき読み上げられた条項に、「安全確保のための同行義務」「スキル検査への協力」「王都への定期報告」など、表現を柔らかくした首輪がずらり並んでいた。


(ま、想定内。交渉の余地もいくつか残してある)


 問題はもう一つの封筒だ。


 上質な紙。見慣れない紋章。王都の大貴族、公爵家の紋。


 昼間、会議後に「王都より先触れが」と、こっそり手渡されたものだ。


 手に取った瞬間、胸の奥で【アイテムボックス】が微かに震える。


『微弱な魔力痕検出:呪詛性なし』

『インク成分:黒鉄砂微量混入』


(おい)


 嫌な予感しかしない。


 封を切り、中の羊皮紙を広げる。


『フロンティアの英雄、“星喰いの器”殿へ。


 教団とロデリック商会を退けた貴殿の活躍、王都においても高く評価されております。

 貴殿の力を正しく導き、守ることは、王国と世界全体の安寧に直結する重大事です。


 ついては、近く正式な使者をもってご挨拶申し上げたく存じます。

 真に相応しき“席”は、辺境ではなく、王都にこそございます。


 ――王都公爵家代表代理』


「……は?」


 思わず声が出た。


「どいつもこいつも“席”って言いやがって」


 紙を机に叩きつける。


『新規タグ:某公爵家/星喰教団類似フレーズ使用』

『危険度:要警戒』


(教団、公爵、ギルド。ほんと仲良く同じ言葉使うな)


 額を押さえたところで、窓ガラスが、こん、と小さく鳴った。


「……まだなんかあるのかよ」


 警戒して窓を開けると、外の暗がりに人影はない。


 代わりに、窓枠に一枚の黒い札が立てかけられていた。


 拾い上げる。


 歪んだ星と器の紋章。星喰教団の黒札。


 短い文が刻まれている。


『器に鎖をかける者すべてを、我らは視ている。

 ――星喰教団・観測者』


「……はぁ?」


 乾いた笑いが漏れた。


『敵対組織:監視継続中』

『注記:ギルド/王都の動きも観測対象』


(つまり、“どっちに付く?”って遠回しに聞いてんのか)


 教団も、公爵も、ギルドも。


 味方づらして、俺を“器”として引っ張り合っている。


 胸の奥で、ゆっくりと熱が灯った。


「上等だよ」


 黒札と公爵家の手紙をまとめて握りつぶし、【アイテムボックス】に放り込む。


「全部、テーブルの上に引きずり出してやる」


 星喰教団も、ロデリック商会も、公爵家も。


 そして、俺を“保護”の名で棚に並べようとするギルドすら。


「俺の席は、俺が決める」


 窓の外には、フロンティアの夜空に、星がよく見えていた。


 胸の奥で【アイテムボックス】が、低く、楽しげに鳴る。


『内部指針更新:交渉戦モード/自律行動優先』

『注意:“星喰いの器”ラベル乱用中』


「うるさい。返上させるために動くんだからな」


 そう言い捨てて、俺は明日に備えて目を閉じた。


 剣も呪いも使わない、新しい戦いが始まる。

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