第22話 黒い商談と、器が選ぶ席

「“蝕まれし森”の救済者、“星喰いの器”殿と、ぜひとも実りあるお取引を——」


 黒い外套の男は、作り物めいた完璧な笑みを貼り付けたまま、恭しく頭を垂れた。


 通りのざわめきが、一瞬だけ遠くなる。


 胸の奥で【アイテムボックス】が、ざり、と逆撫でするように震えた。


『警告:対象より微弱な“負の価値”検出』

『関連候補:黒鉄砂取引/呪詛ネットワーク/星喰教団協力者』


(……来たか)


 フロンティア商人組合の徽章。銀刺繍入りの黒外套。


 近くの露店主たちが、ひそひそと囁く。


「あれ、ロデリック商会の使いじゃねぇか?」

「商人組合の会長んとこだろ。“器”の坊主、出世したな」


 名前は聞いていた。黒鉄砂の大口買い付けで噂のロデリック商会。


 目の前の男は、その“顔”の一人か——いや、“嗅ぎつける鼻”の方だろう。


「俺はただの準専属ですけど」


 努めて穏やかに返す。


「そんな大層な呼び方されると、むず痒いですね」


「いえいえ、とんでもございません」


 男は柔らかく首を振った。だが、その目はまったく笑っていない。蛇みたいな視線が、俺の胸元——【アイテムボックス】を舐めていく。


「森の呪いを退け、“蝕まれし森”の危機に立ち向かわれた。さらに、鉱山の問題にも関わっておられるとか。街の一員として、深く感謝を」


「その“伺っております”の仕入れ先、興味ありますけどね」


 隣でカイがぼそりと漏らす。


 男は聞こえないふりで微笑を深めた。


「本日は、我がロデリック商会会長より、“特別な提案”をお預かりして参りました」


「提案?」


「ええ。“星喰いの器”殿の力は、今やフロンティアの生命線。ですが、ギルドという一つの枠にのみ縛られてしまっては、その真価を十分に発揮できぬのではないかと懸念しておりまして」


(はい、透けた)


「そこで」


 男は一歩近づき、声を落とす。


「“公にはできない高値”で、あなた様のポーションやサービスをお引き受けしたい。市場価格の倍、いえそれ以上も可能です。加えて、我々が扱う“特別な品”の運搬業務も——もちろん、ギルドとのご契約を侵害しない“個人的な”形で」


「特別な品、ね」


 十中八九、黒鉄砂か、呪詛に使う鉱石だ。


「申し訳ないですが、ポーションはギルドと準専属契約があります。運搬も、ギルドを通す決まりでして」


 当たり障りのない線からきっぱり断る。


 それでも男は微笑みを崩さない。


「ギルドは立派な組織です。ですが、時に“器”を恐れ、その価値を矮小化することもある。……我々は違います。あなた様を“真の器”として、より相応しい舞台にお迎えしたいだけ」


 また“器”。


 教団のフードと同じ匂いがする。


 あえて、こちらから踏み込む。


「その“特別な品”って、例えばトレス村から運ばれている“黒鉄砂”だったりしますか?」


 ピタッ。


 一瞬だけ、男の笑みが固まった。


 隣でエルザさんの気配が、鋼みたいに張り詰める。


「……実に博識でいらっしゃる」


 男はすぐに笑みを修復した。早すぎて、むしろ分かりやすい。


「黒鉄砂は、ある種の産業にとって重要な資源でしてね。もちろん、適切な管理のもとで——」


「断る」


 冷たい声が会話を断ち切った。


 エルザさんだ。


 紺のマントを翻し、俺と男の間に一歩出る。


「ここは公道だが、彼はギルド準専属供給者であり、現在進行中の重要案件の中心人物だ。契約違反を唆す誘いは、騎士団としても看過できない」


「これはこれは、シュタイン団長殿」


 男はわざとらしく肩をすくめた。


「我々はあくまで提案を——選択肢を示しているだけ。選ぶのは、“器”殿ご自身の——」


「じゃあ、はっきり言います」


 男の言葉に、俺は被せた。


「俺の意思で選びます」


 その言葉に、男の視線が完全に俺へ向く。


「俺は、裏で“公にはできない高値”を出してくる相手よりも、表で堂々と払われる普通の対価の方が好きです」


「……と、おっしゃいますと?」


「ギルドと準専属契約を結びました。約束は守ります。抜け道を勧めてくる人と“実りある取引”をするつもりはないです」


 周囲から、小さく「おお」とか「言った」の声。


 カイが肩を震わせ、エルザさんの目が、ほんのわずか柔らぐ。


 男は笑ったまま、ほんの少しだけ目を細めた。


「誠実なお方だ。“星喰いの器”殿は」


「その呼び名、流行らせないでください」


「光栄な二つ名だと思いますが……ともあれ」


 男は声を落とす。


「“黒鉄砂”は扱いを誤れば危険な代物。だからこそ我々が“適切に管理”している。根拠なき噂が市場を乱せば、多くの方が困るでしょう?」


 柔らかな声の中に、うっすらとした圧力。


「“器”殿ほど聡明な方なら、不要な混乱はお望みではないと信じております」


「そうですね」


 微笑みを返す。


「だからこそ、“誰がどう危険にしてるか”は、ちゃんと見ておきたいんですよ」


 男の足が、半歩だけ止まる。


 すぐまた、何事もなかったかのように動き出した。


「本日のところは、このくらいで。会長の名代として、一言だけ」


 くるりと踵を返しながら、振り向かずに言葉を落とす。


「ギルドは素晴らしい組織ですが、“器”殿の真の価値を正しく評価できる場は多くはありません。我らロデリック商会の扉は、いつでもあなた様のために開いております。“選びたくなった時”に、ぜひ」


 人混みに紛れ、姿が消えた。



「……感じ悪いな、ありゃ」


 カイが露骨に顔をしかめる。


「正面であんだけ圧かけてくる商人、逆に分かりやすくて助かるけどよ」


「完全に一線越えている」


 エルザさんが吐き捨てる。


「ギルドの前で準専属の引き抜き。商人組合への正式抗議案件だな」


「すみません。ちょっとカマかけちゃいました」


「むしろよくやった」


 意外な言葉が返ってきて、俺は思わず瞬きをする。


 エルザさんは視線を少しだけ逸らし、淡々と続けた。


「ギルドとの契約を優先すると明言した。あの場で他の選択肢はあり得ない。星喰教団に続いて、商会からの甘言も避けた。判断は妥当だ」


「俺の力を変なとこに流したら、結局自分と畑と仲間の首絞めますから」


「当然だな」


 短く言い切ってから、彼女は真顔に戻る。


「だが、今のやり取りで“匂い”は確定した」


「ロデリック商会は、黒鉄砂と深く噛んでる」


 カイが言う。


「で、“器”の旦那も棚に並べたがってる。丸見えだ」


 胸の奥で【アイテムボックス】が小さく鳴る。


『対象:ロデリック商会/ロデリック会長』

『暫定タグ:高リスク取引先候補』


(分かってる)


「今の話も、ギルドに報告しましょう」


「当然だ」


 エルザさんが頷く。


「現時点でロデリックを教団の一味と断定はできん。だが“繋がり”は濃厚だ。監視を強化する」


「じゃあ俺は予定通り、ドルガンさんと鉱山の件を進めます」


「その前にギルドマスターだ」



 ギルドマスターの執務室。


 俺たちの報告を聞き終えた白髭の男は、しばし指を組んで黙り込んだ。


「ロデリック商会、か」


 低く呟く。


「新興だが、黒い噂が多い。特に、用途不明の鉱石を辺境から買い漁っている件は、私の耳にも入っていたよ」


「黒鉄砂でしょうか」


 俺が問うと、マスターは頷く。


「その可能性は高い。そして、そのロデリックが君に直接接触し、“裏の取引”を持ちかけ、“黒鉄砂”という単語に反応した」


 視線が地図の上を滑る。


 トレス村。蝕まれし森。グレンデル鉱山。


「点と点が、少しずつ線になってきたね」


「連中の狙いは、アレン君を“器”として囲い込むことか、その能力を呪詛の運搬と管理に使うことか、あるいは両方だろう」


「道具になるつもりはありません」


「それは分かっている。問題は、向こうも分かっていないということだ」


 そこでノック。


「入れ」


「カイだ。面白いもん拾ってきたぜ」


 軽口と共に入ってきたカイが、一枚の羊皮紙を机に置く。


「知り合いの商人から引っ張った。ロデリック商会の最近の“大口購入リスト”な」


 マスターが目を通し、エルザさんも覗き込む。


 武具、穀物に混じって、ひときわ目立つ一行。


『グレンデル鉱山・第7坑道 採掘権および関連設備一式』


「……第7坑道」


 エルザさんの声が鋭くなる。


「鉱夫たちの衰弱が最も報告されている区画だ」


「ご名答」


 カイが指でその文字を弾く。


「『採掘不振区画の経営支援』って名目で、ほぼタダ同然で手に入れてる。で、今はロデリックの私兵以外立ち入り禁止だとよ」


 俺たちは、一斉に黙り込んだ。


 蝕まれし森の呪詛核に刻まれていた『実験区画』の刻印。

 トレス村の黒鉄砂。

 夢見の銀晶。

そしてロデリック商会の第7坑道支配。


 全部が、同じ色の線で繋がり始めている。


「決まりだな」


 俺は静かに口を開いた。


「明日の目的は、グレンデル鉱山の調査と、“第7坑道”の確認。それが、あいつらの拠点の一つです」


「敵地に踏み込むことになるが、必要だろうね」


 マスターが頷く。


「エルザ君」


「騎士団としても見過ごせません。採掘権の名を借りた不法占拠や違法行為があるなら、ただちに是正する義務がある」


 エルザさんの青い瞳が、迷いなく光る。


「ドルガン殿にも正式依頼として同行を願う。夢見の銀晶と黒曜石英の判別は彼でなければ困難だ」


「話は通した。彼も動くと言っている」


 俺が言うと、マスターはにやりと笑った。


「ならば、明日は“ギルド・騎士団・伝説の鑑定士・星喰いの器”という豪華メンバーでの現地調査だ。実に心強い」


「その呼び方やめません?」


「事実だからねぇ」


 肩をすくめる仕草の奥で、彼の目は真剣だ。


「アレン君。生きて帰ってきたまえ。君にはまだ、払ってもらう対価が山ほどある」


「分かっています」



 執務室を出て、鉱山行きの準備のためにギルド内を動き回る。


 ロープ、ピッケル、ランプ、保存食、予備ポーション。必要なものをリストアップしながら、【アイテムボックス】に収めていく。


 ドルガンの工房にも寄り、出発時間を確認した。


「日の出にギルド前じゃ。遅れたら置いてく」


「その前にドルガンさんが倒れないように寝てくださいね」


「石が呼んどる間は寝とる暇はねぇわい」


 本当に、この爺さん。


 工房を出ると、夕暮れが街を金色に染めていた。


「さっきのロデリックの誘い、完璧だったな」


 並んで歩きながら、カイが笑う。


「“楽な金”より“堅い契約”選ぶ奴は、見てて気持ちいい」


「俺、そんな深く考えてないですよ。ただ、寝覚め悪いの嫌なだけで」


「それが大事なんだって」


 肩を軽く小突かれる。


「教団も商会も貴族もさ、“器”を自分の棚に並べたがってる。けど、あんたが自分で棚を選び続ける限り、その価値は誰のものにもならねぇ」


「難しいこと言いますね」


「要は、招待状送ってくる連中に“席”を決めさせんなってことだよ。座る場所は自分で選べ」


 座る場所。


 一人と一つ分の畑。

 リリアとの約束。

 守りたい日常。


「……選びます」


「おう」


 拳を軽くぶつけ合う。


「アレン」


 少し離れたところで待っていたエルザさんが、こちらを見る。


「今後も、今日のように“選べる”と思うな」


「厳しいですね」


「現実だ。教団、商会、貴族。もっと巧妙に甘い話を持ってくる。正面から脅してもくる。楽な道も見せる」


「それでも選びますよ」


 迷いなく答える。


「楽より、畑と約束を守れる方を選びます」


「……ならば」


 彼女はほんの僅かに目を細める。


「その選択ができなくなりそうな時は、私が剣で正す」


「物騒な保険ですね」


「安心しろ。できれば抜きたくはない」


 ツンとした物言いの奥に、確かな覚悟があった。



 夜。


借家に戻り、簡単な夕食を終え、明日の装備を再点検する。


 全部【アイテムボックス】に収めても、まだ空きがある。このスキル、本当に反則だ。


『本日分ログ:ロデリック商会タグ付与/第7坑道優先マーク』


「余計なことまでちゃんと覚えてますね」


 苦笑しつつベッドに仰向けになる。


(ロデリック商会。黒鉄砂。夢見の銀晶。星喰教団。トレス村)


 全部、同じ紙の上に線を引いたら、きっと一つの図形になる。


 まだ全容は見えない。けれど——。


「順番に潰すだけです」


 自分に言い聞かせた、その時。


 窓ガラスが、コツ、と小さく鳴った。


「……風?」


 もう一度、コツ。


 警戒しつつ窓辺へ行き、外を覗くと、路地の影から小さな影が手を振っていた。


 フードではない。幼い顔。


 扉を開けると、息を弾ませた少年が立っていた。


 薄汚れた服。胸には、見覚えのある腕章。


「ギルドの……雑用の?」


「は、はいっ!」


 少年は慌てて頭を下げる。


「ギルドの人に、“これを真っ先にアレンさんに渡せ”って……! カウンターに置かれてた封筒で……」


「誰が?」


「そ、それが……フード被ってて顔は……ごめんなさい!」


「いいよ。ありがとう。ちゃんと渡してくれて助かった」


 銅貨を一枚渡すと、少年はぱっと顔を明るくして走り去っていった。


 静かになった家の中で、封筒を見る。


 小ぶりで、やけに薄い。


 封蝋にはギルドマスターの印。それと並んで——見慣れた、歪んだ星と器の紋章。


 胃が、きしりと鳴る。


(また、お前らか)


 破るように封を切る。


 一枚の紙。端正な筆致で、短く。


『明日、グレンデル鉱山 第7坑道にて。

 “星喰いの器”と対話を望む。

 ——実験区画 管理者』


 心臓が、一度大きく跳ねた。


 明日向かう場所。

 俺たちが狙いを定めた坑道。


 そこに、“実験区画”の張本人が待っていると言う。


 胸の奥で【アイテムボックス】が、低く唸る。


『重大脅威接近予告』

『推奨:出発計画の再評価/迂回案検討』


「いや」


 紙を握りしめる。


「行く。予定通りだ」


 逃げても、どうせ向こうから来る。


 なら、席を選ぶのはこっちだ。


 俺のタイミングで。俺の土俵で。


 ぐしゃ、と紙を握り潰す。


 中心に描かれていた歪んだ星と器の印が、指先でねじ切れた。


「グレンデル鉱山は、“実験場”なんかじゃない」


 低く呟く。


「俺が、“実験区画の管理者”を引きずり出す場所だ」


 窓の外、夜の闇はいつもより濃く見えたが、不思議と怖くはなかった。


 明日の相手は、俺の故郷を“実験区画”と呼んだ連中。


 一人と一つ分の畑と、あの約束を踏みにじったやつらだ。


 拳を固く握りしめ、目を閉じる。


(全部、選ぶのは俺だ)


 そう心に刻んで、浅い眠りに身を投げた。

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