第23話 実験区画の招待状と、鉱山に刺す楔
嫌な夢を見ていた。
干からびた畑。黒い砂。村長と神官が笑いながら俺を囲み、「実験は成功だ」と拍手している。
その真ん中で、石になりかけたリリアが、震える声で俺の名を呼んで——
「……っ!」
飛び起きた。
喉が焼けるみたいに渇いている。
まだ夜明け前。窓の外は群青色で、街の喧騒は遠い。
『睡眠時間:不足』
『精神負荷:高』
「分かってますよ……」
視線を落とす。机の上には、昨夜届いた一通の封筒の残骸。
封蝋にはギルドマスターの印と並んで、見慣れた歪んだ星と器の紋章。
中身は短い一文だけだった。
『明日、グレンデル鉱山 第7坑道にて。
“星喰いの器”と対話を望む。
——実験区画 管理者』
(……ふざけんな)
トレス村の呪詛核に刻まれていた『実験区画:トレス村』。
蝕まれし森。黒鉄砂。夢見の銀晶。
今度は「第7坑道」。
(全部お前らの盤面だって顔して、勝手に“実験区画”ってラベル貼りやがって)
胸の奥で【アイテムボックス】が低く鳴る。
『再確認:本日 グレンデル鉱山 第7坑道 調査予定』
『外部要因:“実験区画 管理者”より接触予告』
「やめとけって言いたいんですか?」
『推奨:警戒レベル最大/随伴戦力の確保』
『逃走選択肢:評価……非推奨』
「だよな」
逃げたところで、あいつらは鉱山も森も村も蝕み続ける。
(だったら、迎え撃つ場所を選べる今のうちに行く)
一人で、じゃない。
俺は冷水で顔を洗い、簡単な朝食と栄養強化ポーションで身体を叩き起こし、外套を羽織って家を出た。
◇
朝焼けが街を染め始めた頃、冒険者ギルド前には既に二人の姿があった。
紺のマントに銀の胸当て、金髪をきっちり束ねたエルザさん。
柱にもたれてパンを齧っている、いつも通りのカイ。
「……顔色が悪い」
開口一番、エルザさんに言われる。
「眠りが浅くて」
「昨夜の封書のせいか」
図星を刺され、苦笑いしか出てこない。
「封蝋を見た。ギルド印と、あの紋章。マスターが私に回した。“中身は直接本人から聞け”とな」
「“実験区画 管理者”から、第7坑道で会いたいそうです」
紙片を見せると、エルザさんの眉間に深い皺が刻まれた。
「……大胆だな」
「行くのか?」
「行きます」
迷いなく答える。
「どうせ鉱山には行く予定でした。予告してくれるだけ親切ですよ、敵にしては」
「楽観的だな」
「楽観じゃないです」
俺は胸を軽く叩く。
「向こうは“ここが自分たちの席だ”って指定してきてる。でも同じ場所を、俺たちの“狩場”にもできる。だったらそこで会って、引きずり出すだけです」
「君は時々、常識外れに肝が据わっている」
エルザさんが小さく息を吐き、青い瞳を細める。
「ただし、勝手な真似は一切許さない。敵は“こちらが来ると知っている”前提で罠を張る。君が一歩間違えれば、全員巻き込まれて死ぬ」
「分かってます。だから今日はちゃんと共有します」
俺は封書と、【アイテムボックス】が解析した要点を手短に伝えた。
・紋章は黒札や呪詛核と同系統。
・インクに微量の黒鉄砂を検出。
・文面に直接の呪術はなし。だが「第7坑道」の指定自体が誘導。
「“実験区画 管理者”を名乗る以上、教団側の中枢か、その側近格だろう」
エルザさんは冷静にまとめる。
「……だからこそ好都合でもある」
「好都合?」
「トレス村を“実験区画”にしたやつがいるなら、正面で会っておいた方がいい」
拳を握る。
「聞くことも、言うことも、山ほどありますから」
「聞くだけで済ませろ」
「済まなかったら、その時は、その場で選びます」
「危うい物言いだ」
厳しい視線。でも、それ以上は何も言わなかった。
「おはよーさん。朝から修羅場相談かよ」
軽い声とともに、カイがパンを齧りながら合流する。
「昨夜のラブレター、俺にも見せろよな」
「寝てたでしょ絶対」
「まぁな」
やっぱり。
「で、第7坑道で“管理者様”と面談っと。最高に面白ぇじゃねぇか」
「不謹慎だ」
「でも合理的だよ、騎士サマ。向こうから居場所教えてくれてんだ。逃すほうが勿体ねぇ」
「……言い方はともかく、理屈は同じだ」
エルザさんが小さく頷く。
「ただし、あくまで“鉱山調査”が本命。敵を追うあまり、目的を見失うな」
「そこは俺が“楔”になります」
自分でも少し驚くくらい、はっきり言っていた。
「楔?」
二人の視線が向く。
「全部一度に動かそうとすると失敗します。だから、一点に力を通す楔がいる」
俺は胸の奥——【アイテムボックス】のあたりを指で叩く。
「鉱山を救うのも、“管理者”に会うのも、トレス村に繋がる線を掴むのも、全部このスキルを通してやります。間に、教団とか商会とか他人の都合を挟ませないように」
「……つまり?」
「“星喰いの器”って名前で好き勝手やってる連中に、“俺の都合”で刺し返す楔になるってことです」
「言うようになったじゃねぇか、旦那」
カイがニヤリと笑う。
エルザさんは一瞬黙り、それから小さく息を吐いた。
「……ならば、私はその楔が折れそうになったら叩いて戻す役だな」
「物騒ですけど、多分そうです」
「自覚があるなら良い」
口元がほんの少しだけ緩んだ。
◇
「おーい、小僧ども! 夜明けはとっくに過ぎとるわ!」
怒鳴り声とともに、鍛冶師街の方からどすどす歩いてくる影。
槌音のドルガンだ。
分厚い革エプロンに巨大なハンマー。腰からはルーペや金属片がじゃらじゃらぶら下がっている。
「まだ日の出ですよ、ドルガンさん」
「石は日の出なんぞ待たん。行くぞ!」
一方的にギルド前の荷馬車に乗り込む。
ドワーフ、騎士、情報屋、そして“器”。
我ながら妙なパーティだ。
「アレン君」
ギルドマスターが見送りに出てきた。
「鉱山調査の件は鉱夫組合に通達済みだ。第7坑道の“所有者”であるロデリック商会にも、騎士団立ち会いでの立ち入りを正式に通知してある」
「それで素直に通してくれますかね」
「通さないなら、それもまた材料になる」
細い目をさらに細める。
「“実験区画 管理者”からの手紙も確認した。だが作戦は変えん。“予定通り”だ」
「了解です」
「繰り返すが、アレン君」
マスターの声がわずかに低くなる。
「君はギルドの準専属供給者であり、街の重要戦力であり、同時に危険物でもある。勝手な自己犠牲も、独断の暴走も許されない」
「ええ。俺が死んだら畑が作れないんで」
「……君は本当に」
苦笑を一つ浮かべ、マスターは手を振った。
「生きて帰れ。それが最低条件だ」
◇
荷馬車は朝靄の街道をゴトゴトと揺れながら、グレンデル鉱山へ向かう。
途中、ドルガンが足で木箱を蹴ってくる。
「約束、覚えとるな、小僧」
「“価値を見る眼”を一度見せるやつですね」
「そうじゃ。わしは石を教える。お前は器を見せる。それで五分じゃ」
エルザさんが横目で睨む。
「情報の扱いは私が管理する。アレン、スキルの核は絶対に——」
「分かってます」
素直に頷く。
「見せるのは石や鉱脈に対しての“外側”だけです。中身は誰にも渡しません」
「なら良い」
カイが空を見上げながらニヤつく。
「にしても、“第7坑道で待ってます”なんて言ってくる管理者サマ、相当自信家だな」
「罠か、見せしめか、“勧誘”か」
エルザさんが淡々と並べる。
「いずれにせよ、鉱石絡みの罠はドルガン殿が見抜く。アレンも安易に飲み込むな」
『了解』
胸の奥で、珍しく【アイテムボックス】が即答した。
「……今の“了解”は?」
「ボックスです」
「勝手に会話するな」
「すみません」
カイが吹き出した。
「ほんっと、変なパーティだわ俺ら」
◇
山肌が近づき、鉱山の大口が見えてくる。
本来なら活気に満ちているはずの入口は、妙に静かだった。
トロッコは止まり、鉱夫たちが入口脇に座り込んでいる。顔色は悪く、目はどこか焦点が合っていない。
「ひでぇな……」
カイが小さく漏らす。
胸の奥で【アイテムボックス】がざわりと揺れた。
『広域精神汚染(微弱)を検知』
『負の価値:鉱山全体に拡散』
『警告:第7坑道方面より強力な“魅了”の価値反応』
甘くとろける気配と、べたつく不快感が、風に紛れて流れてくる。
「アレン?」
「……第7坑道の奥から、変なのが出てます。森のと似た匂いです」
その時、事務所から一人の男が歩み出てきた。
小綺麗で神経質そうな顔。胸にはロデリック商会の徽章。
「これはこれは、騎士団のエルザ様。お見受けするのは光栄で」
俺たちを一瞥し、特に俺の胸元をねっとりと見てから笑う。
「グレンデル鉱山監督官のマルスと申します。現在この鉱山は、我がロデリック商会が正式に管理しておりまして」
「フロンティア治安維持騎士団、エルザ・シュタインだ」
エルザさんは冷たく名乗る。
「鉱夫の衰弱と採掘量減少について、ギルドと共同で正式調査に来た。内部への案内を」
「調査、ですか。ああ、しかしご心配には及びません。原因は過労と環境の変化でして、既に我が商会が専門家を——」
「その専門家は“夢見の銀晶”を見分けられるのか?」
御者台から降りたドルガンが、低く問いかける。
マルスの目が、わずかに揺れた。
「な、何のことやら……?」
「とぼけるな」
エルザさんが懐から封書を出し、騎士団印の押された調査命令を突きつける。
「これは王国とフロンティアの名において発行された正式命令だ。妨害すれば、ロデリック商会ごと“反逆の嫌疑”にかかるが、それでも拒むか?」
「……っ!」
マルスの顔から血の気が引く。
「……と、とんでもない。もちろん、協力は惜しみません。ただし——」
震える指が、一ヶ所を示す。
頑丈な柵で封鎖された坑道。
「第7坑道だけは“特別管理区画”でして、落盤の危険が——会長直々の命令で、立ち入り厳禁に……!」
分かりやすい。
お前が一番見せたくないのが、そこだ。
「ロデリック商会」
エルザさんの声が冷たくなる。
「槌音のドルガン殿も同行している。我らの立ち入りを妨げるなら、それ自体が“やましい”証だと考えざるを得ない」
「……ど、どうぞ、ご自由に」
マルスは道を開けた。だが、その目は、俺にだけ薄い憎悪と恐怖を向ける。
柵の向こう、第7坑道の暗闇から——紙の文面通りの、「待っていた」という気配がじわりと滲んでいた。
(いるな)
『高濃度呪詛源:第7坑道内部』
『補足:星喰教団術式パターンと一致』
「行くぞ」
エルザさんの号令で、俺たちは第7坑道へ足を踏み入れた。
◇
第7坑道は、他の坑道より静かだった。
梁木が軋む音と、遠くから落ちる水滴の音だけ。
だが、空気が甘い。眠気を誘うような心地よさと、一緒に、肌を撫でるような不快なざらつき。
『価値感知:高密度領域検出』
『構成:夢見の銀晶/黒曜石英/黒鉄砂(微量)』
(やっぱり、ここか)
「アレン」
エルザさんの声が低く届く。
「分かるか」
「ええ。あの先の壁の奥、“森と同じ”です」
「まったく、悪趣味な真似をしおって」
ドルガンが舌打ちする。
「黒曜石英の“皮”を正しく割らんと、巣が暴走する。嬢ちゃん、余計な真似はさせるな」
「私が制御する。アレン、誘導を」
「はい」
俺は壁に手を触れ、【価値感知】を研ぎ澄ます。
黒い岩肌の一部だけ、妙に“軽くて脆い価値”が浮いている。
(ここが“核”)
「ドルガンさん、この辺です」
「見せてみい」
ルーペを当てたドルガンが、にやりと口角を上げる。
「間違いねぇ。黒曜石英じゃ。鉱夫、一人寄越せ」
屈強な鉱夫が呼ばれ、ピッケルを構える。
「ここを、力任せじゃなく刻むように打て」
指示どおり、一撃。
キィン、と甲高い音。ひびが走り——
岩壁が、嘘みたいにすとんと抜け落ちた。
冷たい風と、眩い光が吹きつける。
「……うわ」
思わず声が漏れる。
新たに開いた空間の中。壁一面が、淡く揺らめく銀色の結晶で覆われていた。
夢見の銀晶。
幻想的で、美しくて——一歩足を踏み入れた鉱夫が、その場でふらりと崩れかける。
「……気持ち……」
とろんとした声を、エルザさんが支え、坑道の外へ押し戻す。
「ここから先は一般人立入禁止だ」
彼女自身も一瞬、瞼が重くなったように見えた。
俺だけが、妙に平然としている。
銀晶から立ちのぼる“甘い価値”を、【アイテムボックス】がちびちび摘まんで浄化しているからだ。
『精神干渉:吸収/無害化中』
『スキル:精神耐性(微) 習得条件を満たしました』
(あとで確認な)
今はそれどころじゃない。
『異常検知:洞窟奥より“術式構造体”接近』
『識別:星喰教団系/危険度:高』
胸の奥が冷たく跳ねる。
「来る」
俺が言った瞬間。
銀晶の奥の暗闇から、コツ、コツ、と靴音が響いてきた。
白いローブ。顔の下半分を覆う仮面。胸元には、歪んだ星と器の紋章。
その背後には、ロデリック商会の外套を纏った護衛たちが並ぶ。
「ようこそ、“星喰いの器”」
男は穏やかな声で言った。
「私は、この“実験区画”の担当管理者——ガルド・ロデリックと申します」
ロデリック。
商会長と同じ姓。
実験区画の管理者。
教団と商会を繋ぐ名。
背筋に、冷たいものが走る。
「まずは再会を喜ばせてください」
マスク越しに、蛇のような笑みを感じる。
「トレス村での実験に協力してくれた“小さき器”が、こうして立派に育ってくれて、本当に嬉しい」
世界が、一瞬、無音になった。
トレス村。
実験。
小さき器。
「……今、なんて言いました?」
自分の声が、驚くほど静かだった。
ガルドは恭しく頭を垂れる。
「改めて礼を。貴方が“追放されたこと”で、実験区画:トレス村のデータは非常に興味深いものとなりました。おかげで、こうして“真の器候補”と対話できている」
胸の奥で【アイテムボックス】が悲鳴のように鳴る。
『起動フレーズ類似波形検出』
『警告:敵対的交信』
『モード推奨:対呪詛・能動防御』
エルザさんの手が剣の柄を白く握る。
ドルガンの目は鋼のように細められ、カイは一切笑わずに男を射抜く。
それでもガルドの声は柔らかい。
「さあ、“星喰いの器”殿」
銀晶の光が、不気味に洞窟を照らす。
「貴方の“席”について、静かに話し合いましょうか」
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