第16話 価値なき呪詛と、“星喰い”への招待
灰色のそれが、ぎぎ、と首を傾けた。
濁った瞳孔が収束し、真っ直ぐ俺だけを射抜く。
「……ホシ……クイ……」
ひび割れた喉から搾り出される、聞き慣れてしまったはずの音。
次の瞬間、胸の奥で【アイテムボックス】が悲鳴みたいに脈動した。
『警告——高濃度呪詛反応接触。系統不明。“星喰い”関連語を検出』
「っ——」
思わず胸を押さえる。
「全員、構えろ!」
エルザさんの怒号が、腐った森の空気を裂いた。
銀の長剣が鋭く抜かれる音。シルフィが息を呑む。カイが一歩、横に滑る。
「シルフィ、後ろへ! カイ、周囲警戒! アレンは——」
「大丈夫です、まだ動けます」
言いながら、俺は“元・人間”を見据えた。
灰色の肌に蜘蛛の巣みたいな亀裂。目尻からは黒い液が涙のようにこぼれ、頬を伝って地面へ落ちるたび、土と草が黒く腐っていく。
『高濃度負の価値。要因:呪詛・石化・憎悪の残滓』
(……近い)
森の奥に広がっている瘴気の“中枢”に近い濃度が、こいつ一体に凝縮されている。
「アレンさん……」
震える声で、シルフィが袖を掴む。
「……彼女は、私の——」
尖った耳。細い顎のライン。エルフの女だ。
「シルフィ、前に出るな」
エルザさんが鋭く遮る。
「既に“人ではない”。情で視界を曇らせるな」
「ですが……!」
「“ホシクイ”と言ったぞ」
先に口を挟んだのはカイだった。
いつもの軽口を封じた真顔で、灰色の女を見ている。
「呪いで壊れても残ってるのは、たいてい“恨み”と“情報”だ。なぁ旦那、聞こえたか?」
「聞こえました。“星喰い”って」
喉が嫌な具合に渇く。
(なんでだ。なんでこんなところで、その名前が——)
問いを形にする前に、灰色の女の身体がびくりと跳ねた。
「ホシ……クイ……カエセ……」
ひび割れた唇が、執念みたいな音を吐く。
「うわ、喋ったぞ」
「シルフィ、下がれ!」
エルザさんが腕を引き、彼女を俺の背後へ押しやる。
同時に、女の胸から黒い霧が噴き出した。
「くっ——」
視界が一瞬、墨を流したみたいに暗く染まる。
その黒が俺の皮膚に触れた瞬間——。
『呪詛流入——吸収開始』
どろり、と胸の奥に流れ込む感覚。
「っ、おい旦那!?」
カイの声が遠のく。
冷たい鉛を胃袋に流し込まれたみたいな重さ。全身を針金で締め上げられたような圧迫感。
(やば——)
意識が持っていかれそうになった途端、【アイテムボックス】が内側から吼えた。
『処理ルート変更——呪詛を隔離領域へ封鎖』
『浄化アルゴリズム仮適用:分解・無害化試行』
専門用語並べられても知らない。
ただ、身体を蝕んでいた冷たいトゲが、じわりと溶けていく。
(……止まった、か?)
ひとつ息を吐く。
黒い霧が晴れた時、目の前の灰色の女は膝を折り、その場で固まっていた。
さっきまで胸から吹き出していた黒は消え、石の肌のひび割れが、ほんの少しだけ薄くなっている。
「アレン、状態を報告しろ!」
エルザさんの怒声。
「今のは何だ。何をした!」
「呪いが勝手に入ってきたので、ボックスが……食べました」
自分で言ってて不安になる説明だ。
「“勝手に”と言うな!」
剣を振り上げそうな勢いで詰め寄られる。
その前に、シルフィが駆け出した。
「リナ!」
「シルフィ、待て!」
制止も聞かず、彼女は灰色の女に抱きつく。
「リナ、リナなの? 聞こえますか……!」
返事はない。ただ、黒く走っていたひびが、確かにさっきより浅く見える。
『残留呪詛:減衰。完全石化状態——維持可能』
(維持……砕けかけてたのを、止めた?)
「……どういうことだ?」
エルザさんが小さく呟き、カイは小さく口笛を飲み込んだ。
「旦那。今、お前、“呪いの暴走”止めたって認識で合ってるか?」
「多分、そうです」
「多分で済ますなと言っている!」
エルザさんの怒号が飛ぶ。
「自覚も制御も不十分な力で、また独断で危険を招いた! 暴走していたらどうするつもりだった!」
「暴走してたら今ここにいないので、結果オーライということで」
「そういう問題ではない!」
怒鳴り返され、さすがに胸の内側がちくりと疼く。
そこへ、シルフィが震える声で割り込んだ。
「エルザ様……!」
リナと呼ばれた石像を抱いたまま、彼女が顔を上げる。
「ひび割れが……広がっていません……! 昨日まで、見ている間にも少しずつ欠けていったのに……止まっているんです……!」
その指先は、祈るように石肌をなぞる。
「本当に、止まっているんです……!」
「……」
エルザさんは言葉をなくしたように唇を結んだ。
俺は胸の中へ意識を沈める。
(さっきの呪い、どうなってます?)
『隔離領域にて封鎖中』
『解析進行度:3%』
『分類候補:“人為的呪詛コア”』
(人為的……やっぱり誰かが仕掛けたやつか)
嫌な確信が喉に引っかかる。
「アレン」
エルザさんが低く呼ぶ。
「詳細を話せ」
「俺にも全部は分かりません」
正直に吐き出す。
「ただ、俺のスキルは“価値”を食べて成長する。さっきの呪いは、とんでもなく強い“負の価値”として認識されたみたいで、勝手に隔離して、壊そうとしてる感じです」
「壊す?」
「浄化、かもしれません。完全に安全かどうかは……まだ」
「まだ、か」
エルザさんの目が、再び細くなる。
「俺も怖いですよ」
思わず本音が漏れた。
「自分の中で何かが勝手に動いてる。呪いを食べて平気で立ってるけど、本当に平気かどうか、保証なんてない」
「ならなぜ飛び込む」
「誰かが砕ける前に、試さなきゃいけないと思ったからです」
リナの石像を抱いて泣くシルフィを見る。
「あそこで何もしなかったら、多分この人はそのまま壊れて終わってた。だったら、“もしかしたら救えるかもしれない”方に賭けたい」
「賭けるのは君だけじゃない」
きつい言い方。けれど、その後にわずかな逡巡。
「君が呪いを取り込み暴走すれば、この森だけでなく街も巻き込む可能性がある。そのときは、私の責任で君を討たねばならない」
「分かってます」
「分かっていない」
一刀両断。
……が、そのあとに小さく続ける。
「だが、結果として“ひび割れは止まった”。それは事実だ」
「エルザ様……」
「勘違いするな。認めたわけではない。状況が私の望んだ形ではないだけだ」
不器用な言い回しだ。
カイが肩をすくめる。
「騎士サマの通訳してやろうか?」
「やめろ」
「“怖いけど、やるしかない。だから目を離さない”ってさ」
「次ふざけたら本気で斬る」
「ほらね」
少しだけ空気が緩む。
俺は改めてリナの石像を見る。
(時間は稼げた。戻せるかどうかは——)
『解析進行度:4%』
(遅ぇ……いや、勝手に頑張ってください)
そう思った瞬間、胸の奥で、別の“線”に触れた気がした。
黒い糸のようなものが、森のさらに奥へ、さらに別方向へも伸びている。
『リンク検知——起点不明。“星喰い”を冠する術式と一致』
「……今、何か言いました?」
言葉が漏れる。
「何だ」
「いえ、その……」
エルザさんの視線が鋭くなる。
(“星喰い”を冠する術式……?)
【アイテムボックス】が淡々と告げる。
『外部因子候補:星喰教団/星喰い信仰 関連確率 上昇中』
「星喰教団……?」
うっかり口にした瞬間、自分で「あ」と口を塞いだ。
カイが目を細める。
「今、何つった、旦那」
「今の、多分スキルの解析ログで……」
「星喰教団だと?」
エルザさんも反応する。
「王都の記録に残る、旧王朝期の異端宗派だ。“星を喰らう器”を崇め、呪術と生贄で呼び出そうとした狂信者。公式には壊滅したはずだが……」
「そんなのがあるんですか……」
胃が冷たくなる。
(俺のスキル名で宗教作るな)
笑えない冗談だ。
「マジかよ。よりによってこの森の呪いが、その系統と繋がってんのかよ」
カイが舌打ちする。
「普通の呪い遊びとは格が違ぇぞ、そいつら」
「噂を鵜呑みにするな」
そう言いかけて、エルザさんもちらりと俺を見る。
「……とはいえ、“星喰い”の名を冠する術式が実在するなら無視できない」
「まだ確定じゃないです。スキルが可能性を上げてるだけで」
慌てて補足する。
けれど。
森の奥から、さっきよりも濃い、ざらついた波が押し寄せてくるのを、俺ははっきり感じていた。
『高濃度呪詛源——複数検知』
『リンク中枢:不明』
(繋がってる。やっぱり、これ偶然じゃない)
「アレンさん」
シルフィが、縋るように見上げてくる。
「リナは……助かるのでしょうか」
「……約束はできません」
正直に言う。
「でも、“今すぐ砕ける”のは止められたと思う。呪いの根っこを断てれば、そのとき何かできる可能性がある」
シルフィは、それでもしっかり頷いた。
「信じます。あなたを……“星喰いの器”として」
「その呼び方、本当にそろそろやめません?」
「嫌なのですか?」
「便利そうで、だいぶ物騒なんで」
「嫌がっても、もう動き出してるからな、その名は」
カイが肩をすくめる。
「森の伝承、教団、村の古文書。ここまで材料そろったら、いずれ誰かが繋げる。だったら先に“呪いを喰って救う星喰い”で上書きしとけって話よ」
“良い方の星喰い”。
それが、俺が選びたい側だ。
けれど、その名が勝手に歩き出している感覚も、同じくらい不気味だ。
「議論は後だ」
エルザさんが区切る。
「今必要なのは、生存と任務の達成だ。——シルフィ、リナはここに安置する。帰りに回収できるよう印を残せ」
「はい……」
「カイ、周辺に同じものが潜んでいないか探れ」
「了解」
「アレン」
「はい」
「今のような“予期せぬ吸収”が起きそうになったら、即座に報告しろ。限界を越える兆しがあれば、その場で私が君を斬る。それを条件に、同行を続ける」
「物騒な保険ですね」
「当然だ」
即答。
怖い。でも、その怖さがむしろありがたい。
「了解です。監視、お願いします」
「軽々しく言うな」
吐き捨てつつも、その眼差しは本気で「見張る」と言っていた。
◇
リナを木陰に寝かせ、エルフ文字で印を刻む。
再び森の奥へ歩を進めながら、俺は口を開いた。
「エルザさん」
「何だ」
「“星喰教団”って、本当に“器”を呼び出そうとしてたんですか?」
「あくまで記録上はだ。“星を喰らう器”なる存在を神格化し、膨大な生贄と呪術で顕現を試みた、と。結果は失敗、勢力は内紛で瓦解。詳細は封印扱いだ」
「封印、ねぇ」
カイが鼻で笑う。
「そういうの、大体“実は生き残ってました”パターンだからな」
「根拠のない憶測で不安を煽るな」
「でも、もし本当に“本物の器”を今も探してるとしたら、さ」
カイが、わざとらしく俺を見る。
「お前、最高の的だぜ、旦那」
(本気で嫌なこと言うのやめてほしい)
「……今は任務に集中しましょう」
これ以上想像を膨らませると足が止まりそうで、無理やり切り捨てる。
エルザさんも深追いはしなかった。ただ一度だけ俺を横目で見て、短く告げる。
「どんな由来があろうと、今ここにいるのは“アレン・クロフト”だ。それを忘れるな」
その一言に、少しだけ救われる。
「はい」
◇
進むほど、森は醜く歪んでいく。
黒く爛れた幹。どろりとした紫の苔。人の顔に見える節目。遠くで「パキン」と石が砕ける不快な音。
胸の奥で、ふたたび声。
『負の価値——閾値超過領域に接近』
『吸収モード:自動抑制中。手動指定が可能です』
(自動で飲むな。俺が“飲め”って言った分だけにしてくれ)
『了解。呪詛吸収:手動制御に移行』
「……ちょっとマシになりました」
つい口に出す。
「どうした」
「スキルに、『勝手に食うな』って言ったら聞きました」
「君は本気でその得体の知れない力と会話しているのか」
エルザさんが頭を押さえ、カイが吹き出しそうになる。
シルフィだけが真面目な顔で頷いた。
「器は、持ち主の意思で満ちると伝承にありますもの」
「その伝承、もう少し早く共有してほしかったんですが」
「戻りましたら、必ず……里で……」
シルフィの言葉が、前方を見て止まる。
影が、また現れた。
さきほどのリナと同じような灰色が、今度は三体。
ふらりふらりと、こちらへ。
どの顔もエルフだ。誰かの仲間、誰かの家族。
「また……」
シルフィの肩が震える。
「今度こそ下がれ、シルフィ」
エルザさんが一歩前に出て剣を構える。俺とカイは左右に散って間合いを取る。
「アレン。さっきみたいに“全部”飲むなよ」
カイが低く釘を刺す。
(全部なんて、さすがに怖い。線引きは必要だ)
三体の灰色が同時にこちらを向いた。
「ホシ……クイ……」
「ホシクイ……カエセ……」
「ホシクイ……メザメロ……」
重なった声が、ぞわりと背骨を撫でる。
胸の奥で【アイテムボックス】が激しく震えた。
『警告——“星喰い起動フレーズ”に類似する波形検出』
『認証要求:起動に応じますか?』
「は?」
足が止まる。
今の問いは、俺に向いていた。
“星喰いとして目覚めますか?”
そんな、ぞっとする選択肢。
「アレン、下がれ!」
エルザさんの叫びと同時に、三体の足元からさっきとは比べものにならない濃さの黒い霧が噴き上がった。
呪いの奔流が、一斉に俺へ殺到する。
まるで“本物かどうか”を試すみたいに。
『最終確認——起動フレーズ承認待ち』
拒めば、この黒が仲間ごと呑み込む未来がよぎる。
承認すれば、多分、何かが決定的に変わる。
(ふざけるな……!)
喉まで出かかった怒鳴りを飲み込み、奥歯を噛み締める。
目の前で迫る呪いの波と、胸の内側から突きつけられる選択。
俺は——どちらの手を取る。
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