第15話 規格外の旅支度と、“星喰い”最初の一歩
宿の狭い部屋に戻り、扉に背中を預けて大きく息を吐いた。
蝕まれし森。石化の呪い。星喰いの器。
さっきまでギルドで飛び交っていた言葉が、頭の中でぐるぐる回る。
(星喰いの器が呪いを飲み込む、か)
トレス村では「不吉な器」「星を喰らう祟り」だったものが、エルフの口からは「救いの器」として語られた。
同じ名前なのに、意味が真逆だ。
どちらを現実にするかは――結局、俺の選び方次第なんだろう。
ベッドの端に腰を下ろし、胸の上にそっと掌を置く。
「……聞こえてます?」
意識を沈めていく。
暗い箱の中、星屑みたいな光がちらちら瞬いている感覚。
さっき、ギルドの廊下で一瞬だけ聞こえたあの声が、薄く滲む。
『価値の定義——更新中』
(“災い”を価値として見るって、どういうつもりなんですか)
問いかけても、はっきりした返事はない。
だけど、ぼんやりと分かる。
呪いも、土地を蝕む力も、「影響力」という意味では確かに価値を持っている。だから――喰える可能性がある。
それを使えば、人も森も救えるかもしれない。
間違えれば、俺自身が本物の「災いの器」になる。
「……ちゃんと、俺が決めますからね」
誰にともなく宣言すると、胸の奥で【アイテムボックス】が「コトン」と肯定するように鳴った気がした。
◇
決意はした。なら、次は準備だ。
ギルドが用意してくれた安物の机に、今ある荷物を全部並べる。
小刀、火打ち石、水筒、干し肉と固い黒パン。
トレス村を追い出された日から、ほとんど変わっていない心許ない持ち物。
「……これだけじゃ、Aランク依頼なんて冗談にもならないですね」
苦笑しつつも、今の俺には決定的な違いがある。
「よし、やるか」
意識を集中し、胸の奥へと潜る。
「収納解除」
ぽん、ぽん、とテーブルの上に物が溢れ出す。
昼間の依頼で集めたヒーリングリーフの山。街で買い込んだ色とりどりの薬草。
新鮮な野菜や果物、分厚いベーコンとチーズ。さっき屋台で衝動買いした香草もある。
どれも摘みたて、切りたての状態のまま。時間停止の恩恵だ。
(まずは回復と耐性から)
幻の薬草「月光草」を数本取り出す。銀色の葉は、崖で見つけたあの夜から一片たりとも劣化していない。
干し芋はもう使い切った。代わりになりそうな素材をボックス内から探る。
高い栄養と糖分を持つ蜂蜜漬けのナッツ。月光草の強烈な魔力を穏やかに繋いでくれそうだ。
「収納」
月光草と蜂蜜ナッツを戻した瞬間、内側で眩い光が弾けるのが分かる。
自動錬成。
「収納解除」
掌に転がり出た小瓶には、夜空を溶かし込んだみたいな深い蒼色の液体。
鑑定するまでもなく分かる。王宮級「特製・滋養回復ポーション」。
「よし、一つ」
同じ要領で四本追加。これで五本。
次に、ヒーリングリーフと清水を組み合わせる。
淡い緑のCランク回復ポーションが、並べるそばから十本ほど生まれていく。
(これだけあれば、みんなにも配れる)
エルザさんは「得体の知れないものは飲まない」とか言いそうだけど、選択肢は多いほどいい。
「……次は、試作」
ヒーリングリーフに苦味の強い根菜、清澄な井戸水。呪いに触れた時のざらつきを思い浮かべながら、組み合わせをイメージする。
ボックス内で素材が静かに組み替わる感覚。
「収納解除」
淡く紫がかった透明な液体の小瓶が現れた。
(微弱な呪い耐性と、軽い解毒効果……そんな感じがする)
「自分で試すしかないですよね」
覚悟を決めて一気に飲む。
「……っ、まず……!」
えぐい味に顔をしかめるが、数秒後、身体の芯に薄い膜が一枚張られたような、じわりとした安心感が広がった。
同時に、胸の奥で声がささやく。
『試作結果——成功判定:安定』
「はい優秀。じゃあ本番用、数本お願いします」
意識で指示すると、小瓶が立て続けに五本、空間から生えてくる。
全部収納。
(保険は多いほどいい)
食料も準備する。
小麦粉、塩、水、刻んだベーコンと野菜、香草を入れ、「素朴で腹持ちがいいパン」を強くイメージ。
「収納解除」
湯気を立てるベーコンと野菜入りの焼き立てパンが、皿ごと現れた。
「……自分で言うのもなんですけど、これ本当に反則ですね」
時間停止で鮮度を固定し、自動錬成でポーションも料理も量産。
見た目は貧弱な農民でも、中身は小隊分の補給線。
そんなことを考えていると、コンコン、と扉が鳴った。
「……はい?」
「よぉ、旦那。夜食と、ちょいと“先行投資”だ」
カイの軽い声。
「開いてます」
◇
「おお、やってるやってる」
入ってきたカイは、テーブルの上のポーションとパンを見て、素直に目を丸くした。
「錬金釜も火も無しにこのクオリティ。マジで頭おかしいな、あんた」
「褒め言葉として受け取ります」
「そうしてくれ」
カイは紙袋を置き、中から香ばしい匂いの串焼き肉を取り出した。
「俺のお気に入り屋台のやつ。差し入れだ」
「ありがとうございます。じゃあ、その代わりこれどうぞ」
焼き立てパンを差し出すと、カイは遠慮なくかぶりつく。
「……っ、なにこれ。そこらの店より余裕でうめぇんだけど」
「スキルが優秀なので」
「自慢すんな、もっとやれ」
二人で黙々と飯を食う。
気楽だけど、ちゃんと“仕事前”の空気でもある。
食べ終えた頃合いで、カイが懐から一枚の古い羊皮紙を出した。
「ほらよ。情報屋からの、真面目なプレゼント」
「これは?」
「蝕まれし森周辺の古い地図と、最近の目撃情報の写し。魔物の出没位置、石化の報告地点、大雑把な瘴気の濃さ。公式には出回ってねぇやつだ」
広げると、細かいメモがびっしり書き込まれている。
「高いんじゃないですか、こういうの」
「だから言ってんだろ、“先行投資”だって。あんたが無事戻って、もっと面白いもん見せてくれりゃ元が取れる」
カイは悪戯っぽく笑う。
「それに――」
少しだけ真剣な目になる。
「エルザの姐さんは強ぇけど、真っ直ぐすぎる。教科書にない理不尽に弱ぇ。あんたみたいな“規格外”が横にいねぇと、こういう案件はマジで危ねぇ」
「そんなに危ないところなんですか」
「“呪い”が絡む場所は、いつだって最悪だ」
淡々と言ってから、俺をじっと見る。
「あんた、自分が今どのラインにいるか、本当に分かってるか?」
「“ちょっと便利な荷物持ち”くらいのつもりなんですけど」
「うん、その価値観のズレが一番ヤベぇ」
肩をすくめながらも、声は穏やかだ。
「いいか、旦那。あんたが呪いを喰って森を救えるなら、英雄扱いされる。同時に、“呪いを喰う怪物”として狙われもする。そのどっちの看板掲げるか、自分で決めろ」
「決められますかね」
「決めるしかねぇよ。“星喰い”って名前、もう動き始めてる。どう上書きするかは最初の一手次第だ」
エルフの伝承。トレス村の古文書。
同じ名前に、別々の意味。
(どうせなら、“呪いを喰った星喰い”の方で覚えられたいですね)
「……肝に銘じておきます」
「よろしい」
満足げに頷いたカイは、立ち上がる。
「じゃ、明日の朝、門でな。死ぬなよ、旦那。俺の投資がパーになる」
「そこですか」
「そこだ」
ひらひら手を振って出ていく背中を見送り、俺は深呼吸を一つ。
ポーションと食料をすべて【収納】してから、硬いベッドに潜り込む。
瞼の裏に浮かぶのは、泣きそうになりながらも笑ってくれたリリアの顔。
『信じて待ってる』
あの約束が、今も一番の支えだ。
(必ず、生きて帰る)
そのためにも、明日は絶対にヘマできない。
◇
翌朝。
太陽が地平線から顔を出し始めたばかりの薄明かりの中、俺はギルド前に立っていた。
「おはようございます」
声をかけると、紺のマントが風を裂く。
鋼鉄の騎士団長、エルザ・シュタイン。
「時間前行動か。いい心がけだ」
彼女の視線が、俺の身なりに下りる。
粗末な農民服に、小さな革ポーチひとつ。
「……その格好はどういうつもりだ」
「依頼のつもりです」
「武器は?」
「小刀があります」
「防具は?」
「ありません」
「食料、野営道具は」
「全部、ここに」
胸を軽く叩く。
「…………」
エルザさんの眉間に、くっきりとシワが刻まれた。
「君のスキルが規格外なのは理解している。だが、油断は死に直結する。装備を疎かにするな」
「気は抜いてません。これが一番動きやすいので」
「その“万全”という言葉を、私は信用していない」
ぐうの音も出ない。
「お、おはようございます……アレンさん……!」
そこへ、シルフィが駆け寄ってくる。
まだ疲労の色は残るが、瞳には固い決意が宿っていた。
「おはようございます、シルフィさん。体調は?」
「はい。皆が待っていますから、大丈夫です」
胸の前で拳をぎゅっと握る。
その横から、軽い声。
「やぁやぁ、おはよーさん。朝から重い空気だねぇ」
屋根の上からひょいっと飛び降りてくるカイ。
「カイさん、どこにでもいますね」
「情報屋の基本スキルだ」
「盗み聞きとストーカーはスキルじゃなく犯罪ですよ」
「線引きの話は帰ってきてからにしようぜ、旦那」
「……頭が痛い」
エルザさんがこめかみを押さえる。
そんな彼女を気にしつつ、シルフィが小さな木箱を差し出してきた。
「あの、これを……」
「これは?」
「“森の護り草”です。瘴気や呪いを、ほんの少しですが和らげると言われています。どうか、お役に立ててください」
「ありがとうございます。大事に使います」
受け取って、そのまま【収納】。
胸の奥で、淡い光がじんわり溶ける。
「全員揃ったな」
エルザさんがきっぱりと言う。
「編成を確認する。先頭は私。アレンはすぐ後ろ、その後ろにシルフィ。殿と周囲の警戒はカイ。異論は?」
「了解です」
「分かりましたわ」
「はーい、賛成」
「勝手な行動は許さん。危険と判断したら、私の指示で即座に撤退する。そのつもりでいろ」
「はい」
フロンティア東門が軋む音を立てて開く。
四人は、まだ静かな街を背に、北東の森へ向かって歩き出した。
◇
街道を進みながら、俺は前を行くエルザさんに声をかける。
「蝕まれし森の情報って、どこまで掴めてるんですか?」
「正式報告として上がっているのは、北東の古い森で“原因不明の石化”と“魔物の凶暴化”が拡大していることのみだ」
エルザさんの声は硬い。
「人間側の探索隊は、外交問題と損耗を考慮し浅部で撤退している。深入りすれば、戻らない危険が高い」
「だから、見捨てられた……」
シルフィが俯き、悔しそうに唇を噛む。
「無為に見ていたわけではない」
エルザさんが続ける。
「出せる範囲での救援はした。その中で仲間を失いもした。だからこそ、今回は“少数精鋭”という賭けに乗った」
「精鋭ねぇ」
カイがにやりと笑う。
「星喰いの器さんもいるしな?」
「その呼び方、やめてくださいって言いましたよね」
「でももう動き始めてるからなぁ、その名前」
「……そうなのでしょうか」
シルフィが不安そうに見上げる。
「エルフの伝承で呼ばれてきた“星喰い”は、呪いをも飲み込み秤を正す器。アレンさんは、きっと……」
「君たち、簡単に肩書きを乗せるな」
エルザさんがぴしゃりと言う。
「名は枷にもなる」
「だからこそ、気に入る形で上書きしろって話だよ、騎士サマ」
カイが肩をすくめる。
「『呪いを喰って森を救った星喰い』と『村を滅ぼす星喰い』、どっちを公式設定にするかってな」
「公式設定て」
妙な言い回しだが、言いたいことは分かる。
(俺がどう動くかで、“星喰い”の意味が決まる)
◇
やがて、森の輪郭が近づくにつれ、空気が変わった。
ひやり、と肌にまとわりつく冷たさ。
鳥の声が途絶え、風の音すら重くなる。
森の入口付近の木々は幹が黒ずみ、枝が不自然にねじ曲がっていた。足元には、小動物の石像のような骸が転がっている。
「……ここが」
シルフィが震える声で呟く。
「蝕まれし森、か」
エルザさんが剣の柄に手を置き、警戒を強める。
その瞬間――胸の奥で、【アイテムボックス】が強くざわついた。
月光草を見つけた時に感じた“価値の光”とは真逆の、ざらざらした黒い波。
『高濃度の“負の価値”を感知』
今度は、はっきり聞こえた。
(やっぱり、呪いも“価値”として見えてる)
「顔色が悪いな、アレン」
エルザさんがちらりと振り向く。
「この空気のせいか?」
「……いえ。ちょっと、スキルが騒いでるだけです」
「異常を感じたらすぐ申告しろ。君が倒れれば、この編成は成り立たない」
「はい」
短く返事をして、一歩、森の中へ足を踏み入れた。
じゅっ。
靴の裏で、何かが焼けるような音。
「っ?」
見下ろすと、地表に薄く広がっていた黒い膜のようなものが、俺の足が触れた部分だけ煙を上げて消えていた。
「今の、見たか?」
「下がれ!」
エルザさんが咄嗟に俺の腕を引き、剣を抜いて周囲を警戒する。
魔物の気配はない。ただ、胸の奥でスキルが告げる。
『低濃度呪詛——吸収完了。無害化』
(勝手に……喰った?)
冷や汗が背筋を伝う。
「アレンさん、今のは……」
シルフィの不安げな声。エルザさんの鋭い視線。カイの、興味と警戒が混じった目。
(ここで誤魔化すと、後がもっと面倒になる)
「……今の黒いの、俺のスキルが少し“吸い取った”みたいです」
正直に話す。
「吸い取る?」
エルザさんの声が低くなる。
「どういう意味だ」
「よく分かってません。ただ、感覚的には“汚れを拭き取る”みたいな感じで。さっきのはかなり薄かったので、触れた瞬間に勝手に」
「勝手に、だと。暴走の兆候ではないのか?」
「違うと思います。中で“浄化してる”感じがあるので。ただ、もっと濃い場所や大きな塊を取り込んだらどうなるかは……未知数です」
「未知数で済ませるな」
エルザさんのこめかみに青筋が浮かぶ。
そんな彼女より先に、カイが口を開いた。
「でもよ、騎士サマ。普通なら今ので一発アウトだぜ?」
「何?」
「森の入口の薄い呪詛でこれだ。普通の奴なら靴底からじわじわ侵される。けど旦那は“踏んだ瞬間に浄化”。つまり――」
にやっと笑い、俺の肩をぽんと叩く。
「この森で一番安全に前を歩ける“盾”ってわけだ」
シルフィの瞳がぱっと明るくなる。
「アレンさんが……森を守ってくださる……!」
「浮かれるな」
エルザさんが冷水を浴びせる。
「呪いを取り込めるのなら、同時に“呪いの塊になる”危険もある。君自身が歩く災厄になる可能性を、忘れるな」
その言葉は、俺自身も怖れていたことだ。
(救いにも、怪物にもなれる)
「だからこそ、ここから先は一歩一歩、ちゃんと“線”を見ながら進みます」
「線?」
「全部喰えばいいわけじゃない。容量も、処理能力も分からない。何を取り込み、何を避けるか、様子を見ながら判断します」
「命懸けの現場で実験する気か、君は」
「他に試せる場所がないんです。すみません」
素直に頭を下げる。
「でも、“何もしないまま、誰かが石になって砕ける”的なのは、もう嫌なんです」
視線の先で、シルフィが跪いて泣きながら頭を下げていた姿が脳裏に浮かぶ。
「俺は彼女の頼みを聞くって決めて来た。危なくなったら撤退します。その判断は、エルザさんとカイさんにも手伝ってほしい」
しばしの沈黙。
エルザさんはじっと俺を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……いいだろう」
「エルザ様!」
「ただし条件だ」
ぴしりと指を立てる。
「一つ。私が“撤退”と判断したら、君は必ず従え。どれだけ有利でも、全体を俯瞰して判断するのは私の役目だ」
「分かりました」
「二つ。呪いを吸収したと感じたら、その都度報告しろ。限界を超えて暴走しそうだと判断したら、その場で私が君を斬る」
「物騒な保険ですね」
「当然だ」
即答。
怖い。でも、その怖さがありがたい。
俺一人じゃ、自分の限界を甘く見積もる可能性がある。
「了解です。監視、お願いします」
「軽々しく言うな」
そう言いながらも、エルザさんは剣を握り直し、一歩、森の奥へと踏み込んだ。
俺たちもそれに続く。
◇
森の中は、想像以上に“腐って”いた。
黒ずんだ樹皮。紫色に濁った苔。所々に転がる、ひび割れた動物やエルフらしき石像。
歩を進めるたび、胸の奥で【アイテムボックス】がざわりと反応する。
『負の価値——微量吸収』
『浄化処理——自動進行』
(頼むから、本当に浄化してくれよ……)
額に汗が滲む。
前を行くエルザさんが、ふいに足を止めた。
「……止まれ」
鋭い声に、全員が身を固くする。
「前方。人の……いや、“人だったもの”の気配だ」
シルフィが、小さく息を呑む。
「仲間……?」
黒ずんだ木々の間に、ふらふらと立つ人影が見えた。
近づくにつれ、その異様さが露わになる。
灰色にひび割れた肌。濁った瞳。口元から垂れる黒い液。
「……そんな……」
シルフィの声が掠れる。
エルザさんが低く告げる。
「あれは既に人ではない。“石化と呪詛”に侵された動く死体だ」
その存在が、ぎぎ、と首を軋ませてこちらを向く。
濁った瞳が、まっすぐ俺を射抜いた。
「……ホシ……クイ……」
かすれた声で、確かにそう呟いた瞬間。
胸の奥の【アイテムボックス】が、耳をつんざくような警告の脈動を放った。
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