第18話 選択の器と、畑を望む男

「アレン、下がれ!」


 エルザさんの絶叫が遠い。


 目の前で、三体の“元エルフ”から噴き出した呪いの奔流が、津波のように押し寄せてくる。


 腐臭と冷気が、肌を粟立たせる。


 それと同時に、胸の奥で【アイテムボックス】が冷たく、無機質に問いかけてきた。


『警告——“星喰い起動フレーズ”に類似する波形検出』

『認証要求:起動に応じますか?』


(起動……? 目覚める……?)


 ぞわりと背筋の芯が凍る。


 灰色のゾンビたちが呟いた「メザメロ」という言葉。それに呼応する、スキルからの問い。


 これは、ただの吸収じゃない。


 俺という器を、俺じゃない何か――“星喰い”という怪物に明け渡すための、儀式だ。


「ホシクイ……」

「メザメロ……」


 呪いの波の向こうで、壊れた声が俺を呼ぶ。


 そうだ、応じれば、この呪いは止められるのかもしれない。目の前の仲間も救えるかもしれない。


 でも、その先にいるのは、本当に“俺”なのか?


 脳裏をよぎるのは、村長と神官の歪んだ顔。


『小さき器は星を喰らう祟り』


 エルフの伝承にある『災いを飲み込み秤を正す器』。


 どちらも同じ“星喰い”の名で呼ばれている。


 もし、俺がここで「はい」と答えたら、トレス村で恐れられた“祟り神”そのものになってしまうんじゃないか。


『最終確認——起動フレーズ承認待ち』


 無慈悲なカウントダウン。


 呪いの波は、もう目と鼻の先だ。


 エルザさんが俺の前に立ちはだかり、銀の剣を構えている。カイが短剣を抜き、シルフィを庇うように下がった。


 守られている。


でも、この呪いは俺を目がけて来ている。


(ふざけるな……!)


 心の底から、怒りが湧いた。


 誰が決めた? 誰が望んだ?


 俺は祟り神にも、救世主にもなりたくない。


 俺が望んだのは、たった一つ。


(リリアと二人で、静かな土地で畑を耕す……!)


 一人と、一つ分の畑を守る。


 そのために、この力を使う。


 俺が、俺の意志で。


「断る!」


 声にならない叫びを、胸の内側で叩きつける。


「俺は“星喰い”じゃない! アレン・クロフトだ!」


 スキルに向かって、命令する。


「お前の都合で動くんじゃない! 俺が命じる! 目の前の仲間を、この呪いから守れ!」


 その瞬間、スキルからの問いかけが、ぴたりと止んだ。


 代わりに、胸の奥で力強い鼓動が一つ。


『命令——承認』

『モード変更:対呪詛・能動防御(Active Defense)に移行』


「アレン!」


 エルザさんの悲鳴と、呪いの奔流が俺に到達するのは、ほぼ同時だった。


 俺は一歩前に出る。エルザさんを追い越し、両腕を広げた。


「させるかよ……!」


 黒い津波が、俺の身体に激突する。


 だが、それは俺を呑み込まなかった。


 俺の目の前に、見えない壁が生まれたかのように、黒い霧が渦を巻いてせき止められる。


「なっ……!?」


 背後でエルザさんが息を呑む。


 黒い呪詛は俺の身体に吸い込まれ、胸の奥にある“箱”へと注ぎ込まれていく。


 さっきのリナの時のような、身体を蝕む感覚はない。


 ただただ、膨大なエネルギーが、俺というフィルターを通して浄化されていく。


「うおおおおおおっ!」


 圧力がすごい。全身の骨が軋むようだ。


「旦那、無茶すんな!」


「アレンさん!」


 カイとシルフィの声が聞こえる。


「エルザさん、カイさん! 今です! 本体を!」


 俺が呪いを引きつけている、この一瞬しかない。


「……愚か者が!」


 悪態と共に、エルザさんの身体が風になる。


 俺の横をすり抜け、呪いの供給源である灰色のゾンビたちへ一直線に肉薄した。


「はあああっ!」


 銀の軌跡が閃き、一体の首が宙を舞う。


「ホシ……クイ……」


 首を失ってもなお、胴体は俺に向かって手を伸ばそうとする。


「しつけぇんだよ!」


 地を蹴ったカイが、その胴体の脇をすり抜けざまに横薙ぎに切り裂いた。


 灰色の身体が崩れ落ちる。


「残り二体!」


 エルザさんが叫ぶ。


「こっちは任せろ、騎士サマ!」


 カイがもう一体の足元に滑り込み、アキレス腱を断ち切る。


 体勢を崩したゾンビの心臓部へ、返す刃で短剣を突き立てた。


 その隙に、エルザさんが最後の一体の懐へ。


「終わりだ!」


 渾身の突きが、灰色の胸を貫いた。


 三体が同時に動きを止め、その身体から黒い霧が完全に消え失せる。


 俺に殺到していた呪いの圧力も、すうっと霧散した。


「……はぁっ、はぁっ……」


 膝に手をつき、荒い息を繰り返す。


(……なんとかなった)


 灰色のゾンビたちは、元の硬質な石像の姿に戻り、その場に崩れ落ちた。


 ひび割れは、それ以上広がっていない。


「アレン!」


 駆け寄ってきたエルザさんが、俺の肩を掴む。


「無事か!? 今の、一体何をした!」


「スキルに……ちょっと、お願いを」


「お願い、だと? あれがそう見えたか! 暴走の一歩手前だったぞ!」


 本気で心配してくれているのが、その剣幕から伝わってくる。


「大丈夫です。俺が、ちゃんと決めましたから」


「君が、決めた……?」


 俺は頷く。


「俺は、俺のやり方でこの力を使います。誰かの筋書き通りに“目覚める”のは、ごめんなので」


「……」


 エルザさんは何か言いたげに唇を結び、それから深いため息をついた。


「……結果として、君の判断は正しかった。仲間を危険に晒しはしなかった」


「信じてくれたんですか?」


「信用などしていない。ただ、君が前に出た以上、私は私の役割を果たすまでだ」


 素直じゃない人だ。


「いやー、痺れたぜ、旦那」


 カイが肩を叩いてくる。


「最高の“NO”だったな。俺なら“YES”押してたかも」


「カイさんは押さないでください」


「分かってるって。あんたのそういうところが、最高の“ネタ”なんだからよ」


「アレンさん……!」


 シルフィが、涙を浮かべて駆け寄ってきた。


「ありがとうございます……! あなたがいなければ、私たちは……!」


「いえ、俺は壁になっただけです。倒したのはエルザさんとカイさんですから」


「それでも……! あなたが、私たちを守ってくださった……!」


 まっすぐな感謝が、少しだけくすぐったい。


 その時だった。


 石像が崩れた跡に、何か黒いものが残っているのに気づいた。


「あれは……?」


 指先ほどの大きさの、鈍い光を放つ黒い石ころが三つ、転がっている。


「呪いの残り滓か……?」


 エルザさんが剣先でつつこうとするのを、俺は手で制した。


「待ってください。何か、感じる」


 【アイテムボックス】が、微かに反応している。


 これは“価値”だ。負の価値。


 俺は用心深くそれに近づき、そっと指先で触れた。


 瞬間。


 頭の中に、情報が流れ込んでくる。


『名称:呪詛核の残滓』

『構成要素:黒鉄砂(トレス村産)、微量の魔力、指向性術式』

『機能:思考誘導(微弱)、生気吸収の集積点』


「……っ」


 思わず、息を呑んだ。


 見間違いじゃない。聞き間違いでもない。


「旦那? どうした、顔色悪いぜ」


「……カイさん」


 俺は、震える声で尋ねた。


「この森と、俺がいたトレス村って……どのくらい離れてますか?」


「トレス村? あんたの故郷だろ? 馬車で何日もかかる。ほとんど真逆の方向だ。なんでまた」


 カイの言葉が、俺の疑いを確信に変える。


「どういうことだ、アレン」


 エルザさんの鋭い視線が突き刺さる。


 俺は黒い石を拾い上げ、震える手でそれを見つめた。


「この石……俺のスキルが言うには、“トレス村の砂”でできてるそうです」


「……なんだと?」


 場の空気が、一瞬で凍りついた。


 なぜ。


 どうして、こんなエルフの森の奥深くで、故郷の名前が出てくる?


 俺を追放したあの村と、この石化の呪いが、繋がっている……?


 胸の奥で、【アイテムボックス】が静かに脈打つ。


 それはまるで、俺が選んだ道の先に、逃れられない故郷の闇が待っていると告げているようだった。

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