るてるて坊主の証言

月影 流詩亜

クロノヒョウ様・自主企画『てるてる坊主の証言』


 アタシの名前はバーティ。美しいベルベットの毛並みを持つ黒猫さ。

 ​

 由来はフランスの女流画家、ベルテ・モリゾ。そのせいか、アタシはニンゲンの感情や空気感を「色」として感じ取る。


 ​そして今、アタシの飼い主 タクミの「色」は、最悪だった。

 ​パレットの上で無秩序に混ざり合った、濁りきった「灰色」。彼が持つ情熱の「赤」も、冷静な「青」も、その濁りに飲み込まれて久しい。


「……ダメだ」


 ​タクミは美大生。 コンペの締切が近いというのに、深刻なスランプに陥っていた。

 描いてはため息、描いてはキャンバスを壁に向ける。 口下手な男は、焦燥も苛立ちも言葉にできず、ただでさえ無駄にしている整った顔(アタシの基準では、なかなかの上玉だ)を、さらに固くこわばらせている。


 ​アトリエと化したワンルームに、重苦しい「色」が充満する。

 ​アタシが窓辺で、午後の光を浴びて毛づくろいをしていても、タクミのペンは進まない。


「違う、この光じゃない!」


 ​描きかけのアタシのデッサンが、無残にも丸められ、床に投げ捨てられた。


 失礼なヤツだ。アタシの毛並みに差し込む光の「色彩」を捉えられないなんて。


 ​コンペの締切は明日。


 アトリエの空気は、もう絵の具の匂いではなく、諦めの匂いがし始めていた。


「……もういい。雨でも降って、全部流れてしまえ」


 ​ついにタクミの何かが切れた。彼は立ち上がり、引き出しから、昔アタシがじゃれて遊んだ、くしゃくしゃの白い布……てるてる坊主を掴み出した。

 ​だが、タクミはそれを窓辺に吊るす時、意図的ににした。


「(おい、タクミ。それは逆だ。それでは『晴れ』じゃなく『雨』を呼ぶぞ)」


 ​アタシは心の中で毒づいた。窓辺には、白い布が、まるで処刑されたかのように逆さに揺れている。

 ​明日、雨が降るのは確実だった。


 ​◇


 ​翌日、当然のように外は土砂降りだった。


「やっぱりな」と、アタシが窓辺で、雨に濡れる紫陽花の「青」を眺めていると、一人のニンゲン(女性)が、アトリエの軒先に駆け込んできた。


 ​(おっ )


 ​アタシは、そのニンゲンが放つ「色」に目を見張った。鮮やかなラベンダー色のスカーフ。知的で涼しげな瞳。今朝の紫陽花より、よほど深く、鮮やかな「色」を持っている。


 ​シズカ、と名乗る(アタシが勝手にそう呼ぶことにした)その女は、急な雨に降られたらしく、肩や髪を少し濡らしている。雨宿りをしながら、ふとアタシのいる窓辺を見上げた。そして、タクミが吊るした「それ」に気づく。


 ​彼女は、クスリと品良く笑った。


「あらあら…逆さま。これじゃあ『てるてる坊主』じゃなくて、『るてるて坊主』ね。雨を呼んじゃうわけだわ」


 ​その声は雨音に混じり、部屋の奥で死んだように眠るタクミには届かない。だが、アタシの耳には、はっきりと届いた。


 ​その瞬間、​アタシの頭の中に、あの逆さ吊りの布から直接「声」が響いたのだ。


『聞いたか! バーティ!』


(えっ?)


『『るてるて坊主』! なんて的を射た、素晴らしいネーミングだ!』


 ​ それは、逆さ吊りの「るてるて坊主」の、歓喜の声だった。


​『オレ様の今の本質(雨を呼ぶ)を、的確に見抜き、しかもユーモアで肯定しやがった! あの女は「分かる」ニンゲンだ! あの鮮やかな「ラベンダー」は、タクミの濁ったパレットに必要な「差し色」だ!』


​(差し色…!)


『行け! オレ様の証言を信じろ! タクミを、あの「色彩」に引き合わせるんだ!』


 ​「証言」に突き動かされ、アタシは閃いた。


 ​アタシは床に転がっていた、タクミが昨日投げ捨てた「アタシのデッサン」をくわえ、玄関へ猛ダッシュした。


​「ニャア!(行くぞ!)」


​「バーティ! こら! それはゴミだ!」


 ​口下手なタクミが、スランプ中の駄作を見られる焦りで、慌ててアタシを追いかけてくる。アタシはわざと玄関のドアに体当たりした。


 ​タクミがドアを開けた瞬間、軒先のシズカと鉢合わせた。


​「あっ…」「(あら、猫が絵を…?)」


 ​アタシが落としたデッサンを、シズカはふわりと拾い上げる。そして、目を細めた。


​「わぁ…この子ね。素敵。この逆光の中の、毛並みの繊細な光の『色』…すごく綺麗に捉えてる」


 ​タクミは息をのんだ。それは、彼自身が「違う!」と一番悩んでいた部分だった。


「(この人、分かってる……?)」


​「雨宿り、助かりました」雨が弱まり、シズカは持っていた折り畳み傘を広げようとした。

 ​タクミの「濁った灰色」が、焦りと、ほんの少しの「希望の色」で激しく揺らぐ。

 ​情熱が、口下手に勝った。


​「あ、あの! もし、よければ…! 今度、あなたを、描かせてください!」


 ​シズカは振り返り、知的に微笑んだ。


​「喜んで。…それと、そこの『るてるて坊主』さんにも、よろしくね」


 ​タクミの「色」が、雨上がりの空のように、少しだけ鮮やかに変わったのを、アタシは見逃さなかった。



 ​窓辺の「証人」は、誇らしげに揺れていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

るてるて坊主の証言 月影 流詩亜 @midorinosaru474526707

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ