第3話 バズと炎上
前回の配信は、ある意味で「事件」だった。
玲華が漏らした「学校では遠い」という、たった一言の、甘い愚痴のような本音。
それが切り抜かれ、拡散され、#玲華舌 のタグと共に、新たな熱狂を生んでいた。
『学園モノとか最強かよ』
『あの完璧な白銀玲華が、学校じゃ「藤森さん」呼び? 配信だと「ひかり」? 尊さで死ぬ』
『#玲華とひかり はガチ』
熱狂は、しかし、必ず影を連れてくる。
人気が急上昇すれば、それだけ無遠慮な視線が増える。
ひかりは、配信のアーカイブに付いた、見慣れない棘(とげ)のある言葉を、一人、スマホの画面で見つめていた。
『ただの料理係が馴れ馴れしい』
『玲華様を利用するな』
『女同士でキモい。百合営業だろ』
『玲華様は俺たちのものなのに』
指が冷たくなる。
ひかりは、玲華がこれらのコメントを見ていないことを祈った。
自分に向けられる悪意は構わない。だが、玲華が、玲華の「好き」という純粋な感情表現が、汚されることが許せなかった。
(……私が、玲華さんを、おかしくしているんだろうか)
《シルヴァヌスの舌》は、玲華の「好き」な味を最適化できる。だが、玲華の「感情」まで最適化することはできない。
***
その日の放課後。スタジオの空気は重かった。
玲華は、いつも通り優雅に微笑んでいる。だが、その目の下に、ひかりだけが気づく、ごく薄い疲労の影が差していた。
「ひかり。始めましょうか」
「……玲華さん。あの……」
「大丈夫ですよ」
何が大丈夫なのか。ひかりには聞けなかった。
玲華は、ひかりの言葉を遮るように、凛とした声で言った。
「今日は……ひかりの、一番、優しいものが飲みたいです」
「……はい」
配信が始まる。
開始と同時に、コメント欄は、昨夜までの熱狂とは違う、ざわめきと、明らかな悪意で溢れた。
> ▷ きたきた
> ▷ 今日もイチャイチャすんの?
> ▷ 玲華様、疲れてない?
> ▷ 営業乙
> ▷ アンチは帰れ。私達は二人の味方
> ▷ #玲華舌 だけ見に来た
ひかりは、そのノイズを遮断するように、深く息を吸った。
今日のメニューは「黄金の生姜はちみつミルク」。
ただのホットミルクではない。玲華の疲労と、心のささくれを癒やすためだけに、ひかりがレシピを調整したもの。
《シルヴァヌスの舌》が、レシピから味を逆算する。
(生姜は強く、でも辛すぎず、喉を焼かないギリギリのラインで。蜂蜜は、花の香りが強いものではなく、深く、コクのあるアカシアを。ミルクの温度は……舌が火傷せず、しかし、体温が確実に一度上がる、65度)
コメント欄の喧騒をBGMに、ひかりは無心で手を動かす。
すりおろした生姜の絞り汁、特製の蜂蜜、そしてスチームされたミルクが、美しい黄金色に混ざり合っていく。
玲華は、荒れるコメント欄を、ただ静かに見つめていた。
そして、ひかりが差し出したマグカップを、そっと両手で包み込んだ。
「……いただきます」
一口。
二口。
玲華の硬かった肩の力が、ふ、と抜ける。
スタジオの空気が、変わった。
玲華は、ゆっくりと目を閉じ、荒れ狂うコメント欄から完全に意識を切り離した。
「……これは……嵐の中の、灯台の明かりです」
マイクが、その静かだが、芯の通った声を拾う。
「今、私の周りは、たくさんの雑音で溢れています。冷たい雨が窓を叩き、どうしてそんな声を出すのか分からない風が、ビュービューと叫んでいる。
……とてもうるさくて、寒くて、不安で。自分がどこに立っているのか、分からなくなりそうになる」
玲華は、マグカップの中の黄金色を見つめる。
「でも。この一口が、その全ての音を、分厚いベルベットのカーテンで、ぴしゃりと遮断してくれました。
生姜の、ぴり、とした刺激が、冷たくなった私の足元を『あなたは、ここにいる』と確かめさせてくれる。蜂蜜の、喉を滑り落ちていく優しい甘さが、冷え切った指先から、ゆっくりと、ゆっくりと、命の熱を取り戻してくれます」
コメント欄の速度が、明らかに落ちた。
荒れていた言葉が止まり、誰もが玲華の「語り」に引き込まれていく。
「……外の世界に、何があっても。
嵐が、どれだけ続いても。
私には、関係ありません。
私には、今、この手の中にある……ひかりが私だけのためにくれた、この温かい『真実』だけが、あればいいのですから」
その言葉は、誰に向けたものでもない「味語り」の形をしていた。
だが、それは、この配信を見ている全ての人々への、そして何より、ひかりの心に突き刺さる、白銀玲華の最も優雅な「返答」だった。
> ▷ !!!!
> ▷ 泣いた
> ▷ これが #玲華舌
> ▷ アンチ、聞こえてるか? これが「真実」だ
> ▷ 玲華様、かっこよすぎる
> ▷ ひかりん、玲華様を守ってくれてありがとう
コメント欄が、浄化されたように、賞賛と感動で埋め尽くされていく。
ひかりは、顔を上げられなかった。
マグカップを持つ玲華の指が、小刻みに震えているのを、ひかりだけは知っていた。
「癒やしの味」を与えたはずの自分が、逆に、玲華の強さに救われていた。
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