【罪】4話
【4】
寮の食堂で夕食を済ませてから消灯時間までの自己鍛練は、ヴェロアにとって欠かせない日課になっていた。授業で行う基礎魔法は相変わらず散々な出来なので、夜は召喚憑依魔法の鍛練で昼間に失った自信を少しでも取り戻しておかないと、落ち着いて眠れない。
とはいえ憑依魔法も、胸を張れるほどの出来ではない。以前アイリーシェにボロクソに言われた美的センスの向上という課題がのしかかり、イメージ力もまだ足りない。
それでも、歩みは遅くとも基礎魔法よりは前に進んでいる。その実感が今のヴェロアには何よりの励みだった。
依り代に精霊エナジーで生成した魂を憑依させる。以前より人に近い形となった依り代が仄かに光り、魂を受け入れる。
むくりと起き上がった依り代は、鍛練用の従者なので大きさこそ小さいが、がっしりとしたゴーレムの姿に変わった。
「やった、よしよし、よーし! 昨日より十五秒、従者になるまでの時間を短縮できた。今までで一番の記録だぞ。見た目はアレだけど……」
嬉しさのあまり小躍りするヴェロア。机の上のゴーレムも同じ踊りを真似る。
その勢いのままボフッとベッドにダイブし、うつ伏せで全身に喜びを走らせる。欲しかった玩具を手に入れた子供のように。
もちろん、誰にも見られないからできる姿。のはずだった。
「なあなあ、あんた大丈夫かい? なにか変なものでも拾って食べたりしちゃいないだろうね?」
完全無防備だったヴェロアは、突然の声に過剰な驚きを示す。
「うわぁぁぁ!」
「わぁ!」
声の主を確かめようと、うつ伏せの姿勢のまま顔だけ向ける。
窓枠には、白と茶の羽毛をふわりと膨らませたフクロウ。アイリーシェが止まり、部屋の様子をうかがっていた。
ヴェロアはもぞもぞと起き上がり、照れ隠しに質問で被せる。
「アイリーシェ。いつからそこにいたのさ……」
「ん? あんたがバカな踊りを披露してる時からさ」
耳まで熱くなり、ヴェロアは枕を抱え直す。
「だったら、もっと早く声をかけてくれればよかったのに」
「いやぁ、あまりにも面白いから、アリエスへのみやげ話にでもしようかと思ってね」
「ホント、いい性格してるよね」
恥ずかしさとバツの悪さで、視線は床のまま。アイリーシェがいつも窓から現れるので、寝る時以外は窓を開けてある。落ち度はない。わかってはいるのだが、つい愚痴が出る。
アイリーシェの口の悪さは事件を経ても変わらない。変わったのは、むしろヴェロアの方だった。
アイリーシェは一度死んだのよ。
あの日、アリエスはそう告げた。副校長の手で殺され、間一髪でアリエスに救われた魂は今のフクロウに宿っているのだと。
それ以来、アイリーシェの明るさにどう向き合えばいいか、ヴェロアは時折考えるようになった。以前は「物言う小器用なフクロウ」くらいの認識だったのに、同じ魔法学校の生徒だったという事実が、ふと頭をもたげるからだ。
その明るさが心のどこかを隠す仮面かもしれない、とアリエスに漏らしたこともある。だが返ってきた言葉はあっさりしていた。「アイリーシェのあの明るさと性格は、元来のものだよ」
努めて今まで通りに振る舞おうとするが、二人きりになるとどうも肩に力が入る。
「ああ、そうだヴェロア。アリエスからの手紙を持ってきたんだけどさ、さっきので床に落としちゃったから、ちゃんと拾っておくれよ?」
「ちょっと! 勘弁してよね」
「わかってるさ。なくしたら大変、だろ? でも仕方ないじゃないか。あんたがあんな面白い出し物をするのが悪いのさ」
ヴェロアは肩をすくめ、封筒を拾い上げた。
「別に好きで見せたわけじゃないよ」
「そりゃそうだ。好き好んで人に見せてたら筋金入りのバカだよ」
「またなにかあったのかな?」
「さあね。あたしにはわからないさ。どっちにしろ、読めばわかるんじゃないのかい?」
「うん。まあ、そうだね」
アイリーシェは窓枠からぴょんと跳び、机をひとまたぎして小さな本棚の上に落ち着いた。机には召喚の練習に使う試作品が散らばり、ゴーレムが我が物顔で胸を張っている。
それに気づいたアイリーシェの視線が鋭くなる。
「ちゃんと鍛練はしてたんだね。バカな踊りの練習じゃなくて」
「ごめんなさい。もう勘弁してください」
ヴェロアはあっさり敗北を認め、深々と頭を垂れた。ご満悦のアイリーシェは「カカカ」と笑う。
「いくらか上達したんだね」
「え? そうかな、わかる?」
「まあね。ここまでできれば、自分でも成果を感じてるはずだろ?」
ヴェロアはうれしさを隠し切れず、身を乗り出す。
「うん、そうなんだよ。少しだけ、憑依完了までの時間が短くなったんだ」
「へえ、やるじゃないか。あんたが頑張った成果が出てるんだろうね」
無邪気にはしゃぐ子供をほめる母親のような口ぶりに、胸がくすぐったくなる。
ヴェロアはポケットを探り、ノートに大切に挟んだ一枚を取り出した。差し出された紙片に、アイリーシェの丸い目がくるりと見開かれる。
「あんた、それは……」
「うん、これが今の僕のお手本なんだ。これを見ながら、同じイメージで作れるようにしてる」
「あたしが前に作った召喚物じゃないか」
紙には、かつてアイリーシェが三分で作り上げた八頭身の召喚物のスケッチ。完成度の高さに、当時のヴェロアは一瞬で自信を折られ、どん底に叩き落とされた。
「そうだよ。アイリーシェが作って見せてくれたやつ」
もちろん、それに匹敵する精度の召喚など一度もできていない。けれど、お手本として毎日見返し、鍛練を続けてきた。
「そんなものを大事にとっておいたってのかい」
「もちろんだよ。アイリーシェだって立派に僕の先生なんだから。お手本があるのとないのとでは全然違う。ちょこっとだけど、僕が成長できたのはアイリーシェのおかげ……」
顔を上げると、どこか憂いを帯びた目のアイリーシェがこちらを見ていた。視線に気づくと、表情を崩さず言葉を紡ぐ。
「あんた、あたしがこの身体になったことをどう思っているのか、それを心配してるんだろう?」
「え? そんなことないよ」
「嘘を言うんじゃないよ。ちゃんと顔に出てるさ」
図星をさされ、ヴェロアは俯いた。勝手に「可哀想」だと思っていた失礼に、胸がちくりと痛む。
「ちゃんと相手を見て、相手の気持ちを考えられる。そんなあんただから気づいたんだろうさ。だったら、あたしもきちんと気持ちを話す必要があるわね」
ヴェロアは顔を上げ、身体ごと向き直って力強く頷いた。
覚悟を汲んだのか、アイリーシェは首を小さく振り、ちょこんとしたくちばしから語り始める。
「あんたの持ってるそれにはね、モデルがいるのさ」
「モデル?」
召喚にはイメージ力が肝心。アリエスの教えだ。ヴェロアも以前、目の前のアイリーシェをイメージして作ったことがあるが、あまりの出来に散々な言われようだった。
「モデルって誰? まさかアリエスじゃないよね」
いったん首をひねり、アイリーシェは小さく息を吐く。
「は? あんたの目は節穴かい。あのお子ちゃまのどこがモデルになるっていうのさ」
「いや、違うよ。今のアリエスじゃなくて、僕が最初に会った時のアリエスの方だよ」
軽く頷いて、アイリーシェが肩をすくめる。
「ふうん。あんなコンプレックスむき出しの偽乳姿なんか、モデルにしないよ」
「ひどい言い草だ…… まさか自分がモデル?」
ヴェロアは紙の召喚物とフクロウを交互に見やり、八頭身パーフェクトボディのアイリーシェをうっかり想像してしまう。
「痛っ!」
「あんた今、失礼な想像しただろう」
「なん……」
言い訳しかけて、ヴェロアは二撃目の鉤爪を恐れ、口をつぐんだ。
「フン! この話はここでおしまいだよ」
ぷいっと横を向いたアイリーシェ。形ばかりの謝罪では火に油だと、ヴェロアは喉まで出かかった言葉を飲み込む。
窓の方へ身体を向け直しながらも、飛び立たずにアイリーシェは言葉だけを投げた。
「実はさ、アリエスの様子がおかしいんだ……」
「え? おかしいって、どんなふうに?」
ここ数日のアリエスを思い返す。思い当たるのは、昨日の食事会の彼女だけだ。
「これはあたしの勘なんだけど、また何か問題を抱えてるんだよ。あの娘、たった一人でね…… あんたたちにはわからない、付き合いの長いあたしだからこそわかるんだよ」
「確かに、昨日も途中から言葉数が少なくなった」
「ああ、あの娘の悪い癖でさ。どうしても一人で抱え込んで悩んじまうんだよ」
会話の中に兆候があったかもしれない。そう思い返すと、一つだけ符合する話題を思い出す。
「そういえば、僕らが魔法学校に現れる幽霊の話をしてから、様子が変わったような?」
「前にも言ったけどさ、あたしじゃあの娘の力になってやれないのさ。だから、頼むよ……」
弱気な背に、ヴェロアは短くも強く答える。
「任せてよ。僕にどれだけアイリーシェの代わりが務まるかはわからないけれどね」
「大丈夫さ。あたしもあの娘も、あんたを信じてるからさ」
そう言い残し、振り返らずにアイリーシェは月夜へ飛び去った。
アリエスからの手紙の存在を思い出したヴェロアは、急いで封を切る。読み進めるうち、直感が正しかったと知る。
手紙には、いつものアリエスの文字でこう記されていた。
『魔法学校に現れるという、噂の幽霊について調査する事。二日後、お店で詳細を報告するように』
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