【罪】3話


【3】


「さあ、ヴェロア。ちゃんと食べてね」


 そう言ってアリエスが、抱えるのもやっとというほどの鍋をドンとテーブルに置く。香草と肉の絡んだ匂いが部屋いっぱいに広がり、鼻腔をくすぐって、暴力的なほどに食欲を刺激する。


 鍋以外の料理を運ぶヴェロアも、思わずお腹が鳴りそうになる。


「わあ、美味しそう。これは、何て言う料理ですか?」

「これは、仔牛の香草やわらか煮込み。僕の田舎である、マレイ村の一般的な料理なんだよ」

「へえ、これが……」


 昼間、学校でハルスが話題にしたことを思い出す。


「ねぇ、どうしてみんな揃って、そんなに僕に肉を食べさせたいわけ?」


 鍋の中身を覗き込んでいたミエリと、取り分け用の小皿をてきぱきと並べていたアリエスの顔が、同時にヴェロアへ向く。大きな瞳をひときわ潤ませたアリエスは、キョトンとして小首を傾げた。


「嫌いなの?」


 あまりにも無垢な少女然とした仕草に、ヴェロアはひどい罪悪感を覚える。自分が酷いことを言ったかのような、妙な後ろめたさが胸に残る。


 それでも、でんと置かれた鍋を見れば愚痴も出る。四人で食べるには、量があまりに多すぎた。


 アイリーシェは何でも食すが、その身なりどおり量は少ない。女の子二人の食べる量も推して知るべし。となれば大半はヴェロアの担当で、暗黙のプレッシャーが波のように押し寄せる。


「いや、好きだけどさ。好きだけど、そんなには食べられないってことだよ」

「なに言ってんだい。あんたはそれでなくても貧相なんだから、人一倍食べなきゃダメだろうさ。そんな事じゃ誰かを守るなんてできやしないよ?」


 いつもの止まり木で、主のように言い放つアイリーシェ。


「うーん…… 

 それを言われると辛いなぁ」


 鍋に視線を落としたまま腕を組み、唸る。人一倍どころじゃない量への反論すら忘れるほど、その言葉は心に刺さった。


 自分の実力も見ずに無茶をして、ボロボロになって皆に心配をかけた身だ。返す言葉はない。


 エプロン姿のヴェロアが料理を並べると、席についたミエリが笑顔でからかう。


「ヴェロアのエプロン姿も、なかなか様になってきたね」

「別に料理を運ぶのが、僕の本来の仕事ってわけじゃないんだけどね」


 ヴェロアはまだ金貨五百枚しか返済できていない。店で働いた分を返済に充てないかと持ちかけたのは、他ならぬアリエスだった。一日金貨一枚という条件に、二つ返事で承諾したが、どれだけ働いても手元に金貨が残らないと気づくのに時間は要らなかった。


 つくづく自分は単純だと、あの時ほど呆れたことはない。


 店での仕事は、ざっくり言えばアリエスの雑用。依頼の有無は本人のさじ加減ひとつで、場合によっては一生かかっても返し切れない可能性だってある。


 それでも、微々たる額でも借金が減るという事実は、それだけで心を安定させてくれた。


「そういえばヴェロアは、あの噂を聞いた?」


 唐突に切り出したのはミエリだった。料理を並べるのを手伝いながらの一言に、いの一番で反応したのは、今いちばん暇を持て余しているアイリーシェだ。


「噂ってなんだい? 今は魔法学校にそんなものがあるのか?」

「うん、学校の敷地内にね、幽霊が出るっていう噂があるの」

『幽霊?』


 今は魔法学校の生徒ではない先輩二人が、同時に声を上げる。こういうところは仲がいいな、とヴェロアは思う。


 アイリーシェはくりくりとした丸い瞳に、あふれんばかりの興味を乗せてたずねてくる。


「なあなあヴェロアさ、その幽霊ってのは、いったいどんなものなんだい?」

「僕はそこまで詳しい話は聞いてないんだよね。聞いたのも今日が初めてだし。ミエリは?」


 少し表情を固くしたミエリが、ゆっくりと口を開く。その調子が、ヴェロアの不安と期待を微妙にあおる。


「私が聞いた話ではね、その幽霊は学校のいたる所で目撃されてるみたいなの」

「へえ、学校内だけなのかい?」

「絶対にそうとは言えないけれど、どうやらそうみたい。もちろん幽霊というだけあって、現れるのは夜だけらしいの」


 アイリーシェがくちばしを鳴らし、「カカカ」と笑う。


「そりゃあ当然だろうさ。昼間から現れる幽霊なんて聞いたことないからね」


 ヴェロアは湯気の向こうで肩をすくめ、ぼそりと毒づく。


「悪態をつくフクロウってのも、聞いたことないけど……」


 止まり木から、軽い小突きが飛ぶ。


「痛いっ」

「おや? なにか聞こえたけど気のせいかね」


 額を押さえたヴェロアが、恨めしげに見上げる。


「暴力フクロウ……」

「痛いっ!」

 

 小器用にくちばしを開き、「カカカ」と笑うアイリーシェ。つい反応してしまったヴェロアがぼそりとこぼし、止まり木のすぐ側で言ってしまったのが運の尽き。器用な一撃が飛んでくる。


 その応酬をオロオロ見ていたミエリは、あまりのテンポに止めどころを見失っている。そんな様子などお構いなしに、アイリーシェは話を進めた。


「他にはどんな特徴があるんだい?」

「あ、えっと、幽霊は女性の姿をしていて、どうやら泣いているらしいの」

「泣いている女性の幽霊? って、なんか意味深だよね」


 ヴェロアは、思い浮かぶ姿をなんとなく追いながらつぶやく。


「二人はそれを見てないのかい?」

「なんだい、じゃあ本当に噂だけなのかい。残念だねぇ」

「見たっていう友達はいるけれど、私もまだ見てはいないの」


 アイリーシェの問いに視線を動かすと、ミエリと目が合う。二人同時に質問者へ向き直り、そろって首を振った。


 ハルスの言うことなら八割はデマで済む。けれど、ミエリの友達が目撃しているとなれば話は変わる。デマの確率はぐっと下がり、ヴェロアの胸に不安が広がる。


「聞いた話だと、寮の方にも出るみたいなんだけどね」


 その一言は、ヴェロアにとって寝耳に水だった。冷静に考えれば寮も敷地内だ。校舎からは離れていても、不思議ではない。


 頭で理解するより先に、驚きの声が出た。


「そうなの? 寮にも出るんだ…… 

 知らなかったよ」

「なんだいヴェロア。ひょっとして怖いのかい?」

「いや、別にそういうわけじゃないんだけど」

「やせ我慢しなくていいんだよ? まあね、どうしても怖ければ、アリエスが優しくしてくれるからさ。なんたってこの娘は、そっち関係は得意中の得意だからね」


 話題を振られたアリエスは、どこか上の空だった。


「え?」

「なんだい、どうしたんだい? あんたらしくないじゃないか」

「え? そんな事ないよ。さあ、冷めないうちに食事にしちゃおうよ」

「うん、そうだね」


 いつもの鋭い返しはない。短く漏れただけだ。いぶかりつつも、ヴェロアは席につく。


 心ここにあらずのアリエスがよそってくれた器には、何人分だと目を疑うほどの肉塊が堂々と占拠していた。


 意を唱える空気でもなく、アリエスの料理を口に運ぶ。それは思いがけずとても美味しく、アリエスが料理上手だということを知る。


 ただ、ヴェロアの中には、どこか奇妙な引っ掛かりだけが、いつまでも消えなかった。

 

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