【罪】2話

 

【2】


 授業が終わり教室へと戻ると、自然と視線がそちらを向く。

 そこには、机に突っ伏した格好のヴェロアの姿があった。


 基礎魔法の授業を相変わらず手こずったヴェロアは、挙げ句、いつものようにみんなからの嘲笑を嫌というほど浴びせられていた。

 どんな時に目を向けても、ヴェロアはそうして机に額を擦り付けるようにしている姿しかなかった。

 学校にいるときは、いつだって。


「もう…… ヴェロアってば、また落ち込んでる」


 沈痛な面持ちでそんな言葉をそっと漏らすミエリ。

 それでもヴェロアに注がれたその視線は、外されることはない。


 それだけ基礎魔法の授業が、この魔法学校での授業が、ヴェロアにとっては辛いものなのだろうと考えると、不思議と心が締め付けられるようになるのだった。


 ヴェロアも自分と同様に、入学のための試験に落ちた。そのため、入学するには金貨1万枚を払う必要があった。

 ヴェロアはそれを手にすることと引き換えに、金貨3億枚という借金。そしてアリエスとの『黒魔女の契約』を交わしたのだと話してくれた。さらに、何がなんでも魔法ができるようになりたいんだとも続けてくれたのだった。


 もちろん自分自身もその気持ちでは負けていないつもりだ。そんなだから、副校長一派が行っていた『特別カリキュラム』という名の洗脳に、むざむざ引っ掛かってしまったのだ。


 長年にわたり行われ続けてきたその悪事。

 それを、はるか以前から怪しいとにらんで調べていたというアイリーシェとアリエス。事件が解決した後に二人から聞かされた話に、ミエリは言葉を失った。


 話によると、洗脳を施された生徒は平均的な能力に仕立て上げられ、戦場を主とする各地へ売られていたという。

 ミエリのように回復魔法を得意とする者は、その能力を引き上げられ、さらに高値で取引されていたと。


 もはや想像することすらも恐ろしい話。


 しかし話はそれに止まらず、続けてアリエスがしてくれたのは、血の気が引くほど恐ろしいものだった。

 それは、洗脳された者は等しく自我を失うという事実。


 その話を聞き終えた途端、恐怖に震えるどころか全身の力が抜けて、その場にへたり込んだほどだった。

 自分がそんな恐ろしい事件に足を突っ込んでいて、気づかなければ確実にそうなっていたのかと思うと、それはまったくもって真っ当な反応だったと思うのである。


「思い出しただけでも怖くなるよ……」


 ミエリは自分で引っ張り出した記憶に身震いして、自らの肩を抱くのだった。


 そんな何十年と闇で続けられてきた悪事も、今は解決し、主犯だった副校長を含めたその一派も、十分な警戒の中で取り調べを受けていると聞く。

 マルグラートをも震撼させた大事件。それを解決した張本人が、実はヴェロアなのだということも、二人から聞かされた。


 あの日ミエリは、礼拝堂の地下室でアリエスの胸の中で目が覚めた。いったい何が起こったのかわからないまま、気がつけば助けられた後だった。

 一部始終はまったく記憶になく、だから助けてくれたのはアリエスなのだと思い込んでいた。


 大勢の学校関係者が入り乱れる中に、すでにヴェロアの姿はなく、その時はもう魔法医の元に運ばれた後だったということも、後々知ったのだった。


 なのでミエリは、後日改めてヴェロアにお礼を言った。

 その後も幾度となくその感謝の気持ちを口にするも、その度にはにかんだ表情を見せ、「僕が解決できたのは偶然だよ。ずっと調べてきたアイリーシェや、召喚憑依魔法の能力があると教えてくれたアリエスの力があったからだよ」と、決まってそう返すのだった。


 その姿勢はとても好感が持て、それでいて基礎魔法はいまだからっきしで。

 なにも知らないクラスメイトからの嘲笑にも、いっさいの反論も言い訳もしないヴェロアに、気がつくといつの間にか目がいくようになったのだった。


 ミエリはいつか、自分を助けてくれたヴェロアに恩返しがしたいと考えている。

 以前から約束していた基礎魔法の練習を一緒にしているのも、そういったことがあってなのだが、それで返せる恩だなどとは、まったく考えてはいなかった。


 そうすることで周りから受ける視線や好奇心などは、いっさい気にしていない。

 どう思われようとも、今はただそうしたくてたまらない。ヴェロアのために少しでも力になりたいと、そう思うようになっていたからだった。


 だから学校にいる時間のほとんどを、机に伏して落ち込んでいるヴェロアの姿を見るのは、たまらなく悲しくて、たまらなく辛いと感じる。

 そしてその度に、自分にできることはないのかと考えてしまう。


「どうしたの? ミエリ、ボーッとして」

「ああ、なるほどね。またヴェロアを見てたんだね。ヴェロア観察のお時間だ」

「観察ってなによ」


 口を尖らせて抗議の態度を見せるミエリ。

 その仕草をまざまざと見せつけられた女友達は、肩をすくめて見せるのだった。


「まったく…… ミエリにそんな表情を見せつけられたら、どんな男だってイチコロなのに、どうしてまたよりによってヴェロアなんかを? あんたは入学してから何人に告白されたのよ」

「一度もないよ? みんな食事に誘ってくれるけど、食事は寮のごはんで十分だし」


 がっくりとうなだれた女友達は、「ホントにその手の感情には鈍いよね、ミエリは」と呆れ口調で言うのだった。


「なんで?」


 しかしまたしても、小首を傾げて見せるミエリ。


 ヴェロアに対する感情を、果たして恋愛感情と呼ぶのかどうか、呼んでいいものなのか、その答えはわからない。

 クラスメイトの女友達がそんなことを話しているのを聞くと、それを恋愛だと呼んではいるが、自分にはまだその結論が出せないのだった。


 でももしそうだとしたら。

 自分を命懸けで助けてくれた人を運命の相手と呼ぶのなら、それは素敵なことではないか。

 そんな相手と共に手を取り合って成長していけるのだとしたら、とても素敵なことではないか。そう思うようになったのだった。


「ヴェロアだっていいところはあるよ? 優しいし、他人の気持ちをちゃんと考えるし」

「まあね、私だってヴェロアの全てがダメだなんて思わないよ。思わないけどさ……」


 言葉尻の濁し方が、言いたいことを如実に表していた。


「まあさ、これはあまり他人が口出ししていいことでもないからね。まあ、頑張んな。ミエリ。難しいことは何一つないと思うけどね」


 そう言い残し、女友達は別の女子生徒にちょっかいを出しに行くのだった。


 周りがどうとらえるかは知らないが、どうとらえられようが、ミエリはそれはそれでいいと思う。


 ただ最近は、一つ気がかりなこともある。

 それはあの日、同じようにして助け出されたアリエスにあった。

 彼女もまた、ヴェロアには大きな感謝の気持ちを持っているということ。


 副校長によって十年もの間、拘束され続けてきたというアリエス。

 そんなアリエスが助け出されたのだから、その想いは自分とは比べ物にならないくらい大きなものだというのは、当然だと思う。


 なによりもアリエスは、自分のその拘束された身体を取り戻すために、ヴェロアと黒魔女の契約を結んだのだというのだ。


 つまりヴェロアは、本来アリエスを助けるためにあの地下室で壮絶な戦いをし、結果アリエスの身体を取り戻した。

 自分は偶然その場にいただけで、決してヴェロアが自らの意思で助けにきてくれたのではないのだ。

 自分はついでに助けられたということに他ならない。


 それを考える度に、なぜだか悔しくて、歯痒くて仕方がないのだった。


 そしてなによりもアリエスは、その感謝をいつでもあらゆる場面で表している。

 それは自分でも羨ましいと思えるほど素直に。


 アリエスは女性の自分から見ても、とても魅力的だと思う。

 それこそ時々息を飲むことすらあるくらいに。


「アリエスの可愛さは反則だよ……」


 アリエスについて考えると、気づかぬうちに必ずそんな声が漏れる。


 その少女然とした可愛らしい見た目に反し、アリエスは時に大胆で、時に強引なところも持っている。

 だからこそその雰囲気の差が、また彼女の魅力にもなっているのだと思うのだった。


 そんなアリエスに対しては、なぜか負けたくないという気持ちが、知らず知らずに強くなるのだった。

 魔法の能力も実力も、そしてそのキャリアも。さらには容姿さえも、それこそ逆立ちしようとも、アリエスには敵うはずもないのは十二分に理解している。

 理解はしているはずなのに、その感情をどうにも抑えることができないのだった。


「あ、でも、一つだけ勝てるところがあるんだった」


 そうこぼすと、うつむくように視線を下げる。

 そこにある自身の胸元に目を向けたのだった。


 相手は可憐な少女の身体をしている。なので胸の大きさだけは、確実にミエリの方に分があった。

 それが、どれだけのアドバンテージをもたらすものなのかはわからないが。


 ミエリは一度だけ聞かせてくれた、ヴェロアの本音を思い出す。

 それは「僕の基礎魔法が上達すれば、もっとみんなを、ちゃんと守ることができると思うんだ。そうすればみんなが傷つかずに済む。みんなを守れる力が欲しいんだ」と言ったこと。


 その身をボロボロにしながらも、夢中で助けてくれたヴェロアの姿を、残念ながら見てはいない。


「一度だけでいいから、カッコいいところをきちんと目に焼き付けたいな」


 決してボロボロになって欲しいわけではないが、自分を助けてくれる、自分だけを助けてくれる姿ならば、ちゃんと見たいとも思うのだった。

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