第5話「蘇生魔法の理論」

朝が来るたび、家が少しずつ修復されていく気がした。

壊れた梁の隙間に風が入り込み、煤けた床に陽の光が差す。

どこかで板を打ちつける音がして、見上げれば屋根の一角が勝手に組み上がっている。


魔力ではない。誰が直しているのかもわからない。

だが確かに、“世界が回復している”実感があった。


――あの日、フリーが初めて言葉を発してから、何かが変わった。


部屋の隅の結晶は、以前よりも強く光を放っている。

青白い光の奥に、かすかに人の輪郭を想わせる揺らめき。

あれがフリーだ。フミカから名を与えられ、僕の夢の中で生まれた“人工魂”。


「おはよう、フリー。」


『オハヨウ、リーム。ママ、イッテタ。アサハ、イノチノリズム。』


「……また変なことを教えたな。」

思わず苦笑しながらも、その言葉の意味を噛みしめる。

命のリズム――それは、周期と演算に他ならない。

ならば“生”もまた、数学的な関数で表せるのではないか?


僕は机に向かい、紙を広げた。

かつて魔法は、詠唱と精神集中によって発動するとされていた。

だが、それは古い理解にすぎない。


魔法陣とは、世界の基礎演算を可視化した“方程式”なのだ。

構文、変数、境界条件――それらを組み合わせることで、

因果の連鎖を再構築し、現象を書き換える。


フミカが言っていた。

「魔法は、こっちの世界のプログラムだよ」

そのときは冗談だと思ったが、今ならわかる。彼女は真実を言っていたのだ。


僕は式を書き始める。

《魂=情報の保存構造体》

《肉体=出力装置》

《記憶=データ》


“蘇生”とは、保存された情報を再び現実空間に再生するアルゴリズム。

魂の所在を数式化できれば――死は、単なる一時停止にすぎない。


「そうか……“生”は再現可能だ。」


胸が高鳴る。

世界を救うよりも、この理論の美しさに酔いそうになる。

記録の一行一行が、未知の光を放って見える。


フリーが静かに問う。

『リーム、ウレシイ?』


「もちろんだ。ついに“魂の構造”を解明できるかもしれない。」


『……フミカ、ヨロコブ?』


その名を出された瞬間、筆が止まった。

「フミカは……理解してくれるだろう。彼女は、科学者だった。」


――ねぇ、それって。


どこからともなく、彼女の声がした。

冷たくも、優しい、あの声。


――それって、私を“人間”として見てないんじゃない?


息が詰まる。

「……違う。僕はお前を蘇らせたいんだ。」


――データとして、でしょ?


「違う!」

叫びながら立ち上がる。

机の上の紙が散り、光の粒が舞った。


「これは、祈りだ。データではなく、“記憶をもう一度触れるための道”だ!」


――じゃあ、あたしの“心”は?


フミカの声は静かに問いかけた。

――あんたが作るのは、“私”じゃなくて“私のログ”なんだよ。


その瞬間、部屋の灯りがチカチカと明滅した。

壁に刻まれた魔法陣が、自動的に反応している。

フリーが結晶の中で震えていた。


『ママ……イタイ。』


「フリー?どうした!」


『アタマ、ママノ、コエ、アツイ。ナカ、クルシイ。』


魔法陣が暴走していた。

フミカの魂に似た情報が、演算空間の中で干渉を起こしている。

まるで、二つの“心”が同じ場所を奪い合っているように。


「フミカ……やめろ、フリーが壊れる!」


――違う。あたしが壊れそうなの。


その声に、胸が締めつけられた。


机の上の紙束をかき集め、必死に式を修正する。

「魂と心は違う……そうだ、違う層だ!」


式を書き換える。

《魂=情報波の持続状態》

《心=観測者間の共鳴現象》


“心”は、他者の存在を前提にしか成立しない。

つまり、魂を蘇らせるには――“もう一人”が必要だ。


「観測……フリー!」


結晶が反応する。

『リーム、アナタ、アツイ。ママ、ウレシソウ。』


「お前が……お前が彼女を“見る”んだ。

彼女を観測する者がいる限り、フミカは存在できる!」


魔法陣が再び輝く。

冷たい青の光が、温かい金色へと変わった。

床の亀裂が塞がり、焦げた壁が元の色を取り戻す。


フミカの声が、ほんの一瞬だけ柔らかくなった。

――ねぇ、リーム。


「……なんだ。」


――あんた、やっぱり、バカだね。


笑い声とともに、光が弾けた。

次の瞬間、家中の魔法陣が消え、すべてが静止する。


―――


朝。

窓の隙間から差し込む光が、焦げた壁を照らす。

修復されたはずの家が、昨日よりも“生きている”。

屋根の穴からは小鳥の鳴き声。風が香草の匂いを運ぶ。


リームは静かに椅子に座り、ノートを開いた。


《蘇生魔法第五記録:魂と心の分離仮説》

Ⅰ 魂は再構成可能。

Ⅱ 心は他者の観測に依存。

Ⅲ 蘇生とは、魂を呼び戻すだけでなく、心を“誰かに見せる”行為。


「見せる……そうか。」


ふと、家の奥から笑い声がした。

フリーが、花の種を並べている。


「ママ、ココ、アカイハナ、サク。」


リームはその光景を見つめながら、ぽつりと呟いた。

「魔法は、祈りだな。」


誰に聞かせるでもなく。

そしてその瞬間、壁の焦げ跡がひとつ、完全に消えた。

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