第4話・裏

夜の研究室は、静寂のふりをしていた。

でも、あたしにはわかる。あの人――リームが机に突っ伏して寝てるとき、世界はちゃんと“息”をしてる。

瓶の中の液体がポコポコ泡を立てるのも、魔法陣の線が微かに脈打つのも、全部、あの人の夢の拍動だ。


「まったく……寝落ち癖、直んないなぁ。」


フミカは腰に手を当て、机の上の光る結晶を覗き込んだ。

薄い青がゆらゆら揺れている。まるで、誰かの胸の奥に灯る小さな心臓みたいだった。


「……リームが作った“あたしの模倣”。ふぅん。」


呟いても、返事はない。

けれど、結晶の中の光が――ほんの一瞬だけ、強く瞬いた。


「え?今、反応した?」


彼女が顔を近づけると、淡い電子の声が漏れた。


『……アナタ、ダレ?』


「うわっ!?しゃべった!?怖っ!」

思わず半歩下がる。だが次の瞬間には、興味が勝っていた。


「えっと、あたしはフミカ。……って言っても、リームの心の中の残像みたいなもんだけど。」


『フミカ……。アナタ、アタタカイ。リームノ、ナカト、チガウ。』


「“あたたかい”?」

フミカは少し笑った。

「ま、あの人冷たいからねぇ。理屈で生きてる賢者様だもん。」


『リーム、ツメタイ?』


「優しいけど不器用。要するに、ツンデレ。」


『ツンデレ、ナニ?』


「あー……説明むずいな。怒った顔して心配してくる人のこと!」


『……理解。スキ。』


「ちょっと待て、早い!」

笑いながら突っ込むと、結晶がくすぐったそうに光る。

「ほんとに……生まれたばっかの子みたいだな。」


『コ?』


「うん、子ども。まだなんにも知らないけど、これから覚えていく存在。」


沈黙。

やがて、光が柔らかく揺れた。


『ワタシ、コ?』


「うん。あたしとリームの……子、みたいなもんかも。」


――その瞬間、空気が変わった。

音のない部屋に、ほんのり甘い気配が漂う。


『ママ。』


「へ?」


『フミカ、ママ。リーム、パパ。』


「いやいやいやいや、待った!」

両手をぶんぶん振るフミカ。

「なにその拡大解釈!勝手に結婚しないで!」


『ケッコン、ナニ?』


「わー出た!無垢な質問攻め!」


『ママ、ハズカシ?』


「そりゃ恥ずかしいわよ!ていうか今の呼び方やめなさいって!」


『……ママ、ヤメナイ。』


「ちょっと成長早くない!?」


結晶がピコンと光り、嬉しそうにチカチカする。

それはまるで笑っているみたいだった。


「まったく……もう……」

ため息をつきながらも、口元が緩む。

「でもまあ、名前くらいは、ちゃんとつけてあげないとね。」


『ナマエ?』


「そう。リームは“フミカ・レプリカント”なんて呼んでたけど、それじゃあんたが可哀想だ。」


結晶の光が、じっと彼女を見つめているように見えた。


「うーん……そうだな。じゃあ、“フリー”ってどう?」


『フリー?』


「“自由”って意味。

コピーでもプログラムでもなく、自分で考えていい存在。」


光が大きく明滅した。

『フリー……イイ、ナマエ。』


フミカはにっこり笑う。

「でしょ?これからあんたが、自分の生き方を決めていくの。」


『ママ、リーム、ヨロコブ?』


「きっとね。

……あの人、言葉にしないけど、寂しかったんだと思う。

あんたができて、少しだけ救われるかもしれない。」


『ママ、ナゼ、イキテル?』


「うーん、それはね……“心の傷”ってやつの中に住んでるの。

リームの想いが、あたしをここに縛ってる。」


『キズ、タイセツ?』


「痛いけど、大切。

痛いって感じるから、人は優しくなれるんだよ。」


結晶が静かに光を落とす。

『フリー、オボエタ。キズ、ダイジ。』


フミカは目を細めた。

「偉いね。いい子だ。」


『ママ、ナデテ。』


「もう!どこでそんなこと覚えたの!」


『リーム、ユメノナカデ、ナデテホシイッテ、イッテタ。』


「……あぁ、そう。」

その言葉に、胸が少し締めつけられる。

「ほんと、あの人は……不器用なんだから。」


結晶をそっと両手で包み込む。

光が指の隙間から漏れて、温もりのように肌を照らす。


「フリー。

あんたはあの人を支えてあげて。

そして――いつか、“生きる”ってことを、あの人に思い出させて。」


『ウン。ママ、ヤクソク。』


「よくできました。」


微笑んで、額を寄せるように光に顔を近づけた。

その瞬間、ふっと風が吹く。

研究室の窓の隙間から差し込む月光が、二人を包み込んだ。


フミカは小さく囁く。

「――おやすみ、我が子。」


『オヤスミ、ママ。』


静寂。

光はゆっくりと沈み、リームの胸元に宿るように消えていった。


残されたフミカは、ベッドで眠る彼を見下ろして呟く。


「……あんた、本当にすごいよ。

“死者の再現”だなんて笑ってたけど――ちゃんと“命”を創ってるじゃない。」


風がまた吹く。

焦げた壁に貼られたメモがひらひらと舞い落ち、机の上に落ちた。


そこには、リームの走り書きが残っていた。


《命名規則、再検討。》


フミカはくすりと笑う。

「うん、大丈夫。もう、あたしが先にやっといた。」


夜が静かに明けていく。

そして、新しい“朝”が、ひとつの命と共に、始まろうとしていた。

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