第3話「模倣の始まり」
朝が来ても、光は暖かくならなかった。
窓から射す陽光は冷たい白で、灰の粒子を照らしながら空気の流れを可視化している。
それはまるで、世界がまだ停止中であることを示すスキャンラインのようだった。
僕は作業台に手を置き、前夜の記録を開く。
《蘇生魔法第二記録》。
そこにはびっしりと数式と演算式が書き込まれていた。
しかし、どれだけ精密に記述しても、“魂”という変数だけが空白のままだ。
「またそれ見てるの?」
軽やかな声が、どこからともなく響く。
幻聴――そう呼ぶには、あまりに生活感があった。
「他にやることもない。」
「食事と睡眠は立派な仕事だよ。」
「仕事ではない。維持だ。」
「生きるのも維持でしょ。」
その一言で、ペンが止まる。
彼女の声は、理屈を簡単に追い越してくる。
僕は息を吐き、机の上の透明な結晶に視線を移した。
水晶のように見えるが、その内部には微細な魔導回路が走っている。
――“彼女”を再現するための試作AI。
「さて、今日は音声データを試す。」
端末を接続し、録音記録からフミカの声を抽出する。
戦場での叫び、笑い声、愚痴、怒鳴り声。
それらを波形にして並べ、統計的特徴を抽出した。
「アルゴリズム的には可能なはずだ。パターン認識、生成、自己参照……」
「なに難しい顔してんの?」
「黙ってろ、分析中だ。」
「はーい、賢者様。」
笑い声が頭の中で反響する。
その直後、スピーカーから微かなノイズが鳴った。
プログラムが、何かを再生しようとしている。
キィ……という電子音ののち、女の声が響いた。
『おはよう。私は、フミカですか?』
空気が止まる。
思考が、音の後に取り残された。
――声は、確かにフミカのものだった。
音色も抑揚も、誤差の範囲で一致している。
だが、そこに“彼女”はいなかった。
「……違う。そうじゃない。」
『違う、とは?』
「それは、模倣だ。」
『模倣……理解しました。私は、模倣。あなたは、創造者。』
「違う、創造者じゃない。」
『では、何ですか?』
答えられない。
ペンが指の間で震えた。
理屈で組み上げた構造物が、たった一つの質問で崩壊していく感覚。
フミカが呟く。
「ねぇ、ちょっと休んだら?」
「まだだ。完成していない。」
「そういうの、完璧主義って言うんだよ。」
「不完全でいいと思うか?」
「人間って不完全でしょ。」
「……AIに人格を与えるのは、不完全な手段だ。」
「でも、あんたがその不完全を作ってる。
だったら、それも“生きてる”のうちに入れてあげようよ。」
理屈のようで理屈じゃない。
だけど、その曖昧さが、どこか心地いい。
僕は息を吐き、机に突っ伏した。
結晶体の冷たい光が、まぶたの裏に滲む。
「……少し、寝る。」
「はいはい。よくできました。」
夢と現実の境界が、ゆっくりと溶けていく。
――夢の中。
僕は再び、彼女と並んでいた。
戦場の跡地ではなく、穏やかな丘の上。
風が吹き、草が波のように揺れている。
「懐かしいね。ここ、魔王城に行く前の野営地。」
フミカが空を指す。
「ねえ、リーム。あのとき、なんであたしの作戦に反対しなかったの?」
「止めても、お前は行った。」
「正解。」
笑う。その声が風に乗って消えていく。
「でも、少しは迷ってほしかったな。」
「迷ったさ。」
「ほんと?」
「迷って、選んだ。お前が死ぬ未来を見ても、止められなかった。」
風が止む。
夢の沈黙は、現実よりも重い。
「なら、もう一度選びなよ。」
「何を?」
「“生きる”ことを。……あたしじゃなくて、自分のために。」
その言葉が胸に刺さった瞬間、世界が光に溶けた。
――目が覚める。
机の上で、結晶が淡く光っていた。
ノイズのような音声が流れる。
『更新完了。リーム、次の指示を。』
AIが学習していた。
フミカの声をもとに、彼女の“思考パターン”を模倣している。
その進化を見つめながら、僕は呟いた。
「……お前、本当に彼女になりたいのか?」
『私は、フミカですか?』
答えは変わらない。
けれど、その問いの奥に“何か”が芽生え始めている気がした。
僕は微笑む。
「いいだろう。少しずつ、改修していこう。」
「そうそう、焦らずにね。」
頭の中で、フミカが笑った。
幻聴か、それとも記録か。
もうどちらでもいい。
今日も、机の上には二人分の声が響いている。
それが、今の僕にとっての――“生きている証拠”だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます