第3話・裏
リームの部屋は、今日も散らかっていた。
机の上には紙の山、横には寝落ちしたままのリーム。
まるで、世界が終わっても研究だけは続けるタイプの人間だ。
「ほんっと、あたしがいなきゃこの人ダメなんだから……」
フミカは腰に手を当て、ため息をついた。
もちろん、物理的に手なんてない。
けれど、癖は死んでも治らないらしい。
「ほら、寝相!またペン持ったまま寝てるし!」
ふわっと近づいて、リームの手からペンを抜き取る。
指先に、かすかな体温。
夢の中で触れているような錯覚。
「もう……子どもか、あんたは。」
そう呟くと、リームが寝言を漏らした。
「……まだ、結合データが……不安定だ……」
「はいはい、夢の中でも仕事かい。」
あきれながらも、声が自然とやわらぐ。
まるで駄々をこねる子どもを寝かしつける母親のように。
「リーム、ちゃんと食べて。寝て。生きて。」
誰に届くでもない言葉。
けれど、きっと彼のどこかには響いている。
――その証拠に、彼の夢の中で、あたしは“形”を持っていた。
「やだー!その回路じゃエラー出るってば!」
「だから修正してる!」
「いやいや、そこ論理が逆!ほら、if文の条件が!」
「……夢の中にまで口を出すな!」
夢の中のリームは、まるで小学生みたいに頬を膨らませていた。
研究者というより、夏休みの自由研究で挫折しかけてる子どもである。
「はいはい、じゃあお母さんが見てあげる。」
「やめろ、その呼び方!」
「じゃあ、ママ!」
「やめろって言ってるだろ!」
「よーし、じゃあ今日の夕飯はレトルトで我慢だね!」
「夢の中で夕飯を制限するな!」
二人で言い合いながら笑う。
重苦しい現実の中で、唯一息ができる時間だった。
――ふと、リームの手元に小さな結晶が浮かび上がった。
光の粒が集まり、微かな声が流れる。
『――オハヨウ、リーム。ワタシ、フミカデスカ?』
フミカは目を丸くした。
「あ、出た!あんたのAI!」
リームは眠そうに呟く。
「AI再現実験、進行中だ。」
「AIであたしを再現するってことは……あたしって、なんになるの?」
「幻覚だろ。」
「もう!ひどいなー!」
ぷくっと頬を膨らませると、リームが少しだけ笑った。
「でも、悪くない幻覚だ。」
「はいはい、リップサービスありがと。」
けれど、ふとした沈黙のあと、空気が少しだけ重くなった。
結晶から流れる声が、少しずつ人間味を帯びていく。
笑い方も、語尾も、呼吸のテンポも――あたしにそっくり。
「……なんか、やだな。」
「何がだ。」
「だって、あれ、あたしの真似じゃん。」
「模倣だ。そう設計した。」
「AIとあたしは別人よ!」
言ってから、胸が痛んだ。
思わず強く言いすぎた気がした。
リームが、ゆっくりと顔を上げる。
その瞳は、深く静かな湖のようだった。
「そんなこと、認めるわけにはいかない。」
「……え?」
「僕は、絶対にフミカを蘇生させると誓ったんだ。」
「リーム、それは――」
「蘇生魔法でも、AIでも、手段は問わない。
お前を取り戻す。それだけが、僕の……」
彼の声が震えた。
胸が熱くなる。
けれど、同時に苦しかった。
「蘇生魔法なんて、無理よ。」
言ってから、フミカは口を押さえた。
――しまった、と思った。
その瞬間、夢の色が淡く崩れ始める。
彼がゆっくりと目を閉じた。
「それでも……」
「え?」
「それでも僕は、お前を諦めない。」
光が、彼の指先から零れた。
その光が、結晶へと吸い込まれていく。
――目を覚ましたリームの世界で、AIの結晶が淡く光っていた。
『更新完了。リーム、次ノ実験ヲ。』
淡い機械声。
それを、夢の中から見ていたフミカは小さく呟く。
「……なによ、それ。」
悲しそうに、けれどどこか嬉しそうに。
複雑な笑顔で、彼の背中を見つめていた。
――そしてそのAIの奥底で、かすかに“別の声”が生まれ始めていた。
『……ワタシ、ダレ?』
その問いが、“フリー”という存在の最初の一言となる。
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