12話 天使の薬

 「やはりな……」


 零は洗面台の鏡に映る自分とにらめっこしながら一人呟く。


 「気安く人の背後に立つな」


 洗面台に映ったのは零の後ろに立つ響だった。


 「何してるの? ナルシスト?」


 「俺の顔は贔屓目で見ても割と整っている。 だがそれじゃない」


 零は自分の目元に合ったはずのクマを指差す。 今はもうすっかり無くなっていた。


 「よかったじゃない。 酷いクマが取れて。 健康の証拠よ」


 「俺が欲しいのは証拠ではなく根拠だ。 何故こいつが急に取れだしたのか」


 「睡眠ちゃんととってるからでしょ」


 「……」


 響の言う通りなのである。 やはりこの少女を隣に置いているだけで原因は分からないが睡眠薬の機能を果たせているのだ。


 「おいしいものも食べれるし、部屋も片付く、おまけによく眠れる。 私、最良物件でしょう」


 「朝からテンション高いなお前」


 口元ばかりはよく動くが表情筋は死んでいる響だった。


 「ご飯。 できてるから」


 そう言い洗面台を後にする響。 零は最後もう一度自分の顔を覗き込みリビングにへと向かった。


 「どう。 昨日もらったお金で買って作ったの」


 食卓の上には焼きたてのトーストとポテトサラダのようなものとスープが並んでいた。


 「あまり固形物は食いたくないんだがな」


 「どうして?」


 「吐き出すときに苦労するからだ」


 職業柄命の危機に瀕することが多々ある。 状況によっては嘔吐する場合もある。 あったのだ。


 「吐き出さない努力をするべきでは?」


 「まあそうするとするか。 いただこう」


 零だって好んでそんな状況に陥りたくて陥っている訳ではない。 ゲン担ぎの為にもそう思って食事することにする。


 「どう? 美味しいでしょう?」


 「ああ。 一緒に飯を食う女が笑顔を浮かべてくれれば尚、美味しいだろうな」


 「にぃ~……」


 「へたくそ」


 笑顔を作る響は死にかけの猫の様な表情をしていた。


 零はスープを最後に飲み干し立ち上がる。


 「仕事?」


 「ああ。 そんなところだ」


 零はポケットから例のごとく1万円札を取り出し響に渡そうとする。


 「いらない。 昨日もらったのがまだ残ってる」


 「そうか」


 行き場を無くした金は酒に費やそうとそう決め、玄関にへと向かう。


 「気を付けてね」


 「お前もな」


 お互いそう簡素な挨拶だけを済ませ、零は家を出た。


 

 ◇



 

 「はぁ~…… 昨日すっごい疲れたわぁ……」


 「それはご苦労さん。 悪いが仕事の話だ」


 「誰かさんに応援要請しても来てくんないしさぁ」


 「俺が来ても出来ることは酒瓶を空ける事ぐらいだ。 仕事の話だ」


 「おまけに今日この後アポあるしさぁ……」


 「仕事の……」


 「何?」


 いつもにも増して機嫌が悪そうな岬である。 しかし零も大事な用で来ているのだ。 食い下がる訳にはいかない。


 「これだ」


 ポケットから薬包を取り出し、カウンターに置く。 岬はそれをみて大きく溜息をつく。


 「どいつもこいつも今日日、薬の話しかしないね~。 何がいいんだか」


 「そりゃ色々といいんだろう。 傍から見てるとそうっぽかったぞ」


 「あー。 そーですかー」


 「昨日、件の男が使っていた薬だ」


 「ふーん」


 岬はカウンターに突っ伏しながら面倒くさそうに答える。


 「その様子だと何か知っているようだな」


 「まあねー」


 「それなら答えて貰おう。 こいつのおかげで昨日結構危ない目にあった。 俺に何かあったらお前も面白くないだろう?」


 「……天使の薬エンジェルドラッグ


 「なんだと?」


 「多分それ、今噂の天使の薬ってやつ。 なんでも使うと天使様に会えるんだとか」


 「見てる限りではそんな素振り見せなかったが。 ただ単に呪力の”質“が上がっているようだった」


 「それはただの副産物。 深層まで行けば天使様に会えるって話」


 「あれがただの副産物だとはな。 そんなものが大量に流通すればいくらなんでも騒ぎが大きくなるはずだろう」


 「その分偽物も多いみたいよ。 私の店でも取引場にしようとしてたやつがいて追い出したんだから」


 「なるほどな」


 岬がやる気が無いのも頷ける。 自分の城で麻薬の売買などされていればたまったものではない。 零が手にしているこの薬は天使の薬か分からないが昨晩の男の様子を見ればほぼ黒だと思ってもいいだろう。


 「まあこの手の話は数が多すぎて付き合いきれんからな。 そういうものがあるって話だけは頭に入れておこう」


 零はカウンターに置かれた酒瓶とグラスを手に取り、飲み始める。


 「随分、他人事なのね」


 「薬の始末なんて面倒な事この上ないからな。 関わらない事が一番だ」


 「そう言わず会ってほしい人がいるんだけど」


 零はグラスを空にして立ち上がる。


 「遠慮しよう。 どうせ碌な事じゃ無い」


 そう言うと同時にドアをコンコンとノックする音がした。

 

 「入っていいよー」


 いち早く反応したのは岬だった。 その声の後しばらくしてドアが開かれる。


 「バー。 らびりんすってここで間違いないんでしょうか?」


 そこには白い隊服を着た女が立っていた。

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殺し屋と少女と日本刀 @unyoki

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