三つ目の男
@kikus
2025/05/14
その時私は、自分が3つの目を持っていることに気がついた。突如出現したのか、以前からそこに存在していたのか、はっきりしない。とにかくその時から私は「三つ目の男」になった。
その頃の私は地方の私立大学を卒業し、週に4日のアルバイトをしながら学生時代の貯金を切り崩して生活していた。アルバイトのない日には目的のない長い散歩をし、歩き疲れると公園のベンチや図書館を利用して休息を取り、持参した本を読んで時間を潰した。深い人間づきあいはまったくなかった。
高校では数人の親しい友人ができたが、それぞれ別の大学に入学すると連絡も途絶えてしまった。あまり惜しいとも思わなかったし、おそらく彼らも同じ心持ちだっただろうと思う。私たちは同じエレベーターに乗り合わせた他人同士でしかなかった。扉が開けば当然、個々の隔絶された人間に戻る。
私の大学での生活は一貫して孤独なものであったが、それは私が昔から求めていた平穏そのものであることに思い当たった。そして極めて利己的な人間になることがどんなに心地の良いものなのかを痛感した。私は暇さえあれば本を読み、音楽を聴き、散歩をした。何を読み、何を聴き、何のために歩くのか、弁解するように他者に、そして自分自身に説明する必要はなかった。人からの誘いは全て断った、というより断ることすらしなかった。私は孤独であることに自らを見い出した。私は、自己の内に眠っていた本性を発見し、今後の人生でどのように振る舞えば良いのかという問いへの絶対的な解を手に入れたのだと本気で信じ込んでいた。そして同時に、利己的な人間は自分だけではないことにも気がついた。どんな人間も深い利己の海の中に沈没船のように沈み込んでいる。そこがあまりにも深すぎるために、また、自身が沈んでいることを認めようとしないために、彼らの身体と一体化していると思われるほどの利己性とそれ以外のものとの境界を認識することができないのだ。我々は自分自身と世界を切り離して考えることはできない。世界とは自分の目を通して映った虚像でしかなく、限りない利己性によって切り取られ、貼り替えられ、着色されたものなのだ。世界は世界を見ている者の数だけ存在し、その世界は全て観測者のためだけに存在している。自身もその一員であると自覚した私はより一層孤独で利己的な人間になっていった。
確かにそれは私の本性の一つの側面ではあったかもしれない。しかしそれは全体のほんの一部分に過ぎなかったと今は分かる。
その存在に気がついたのは、浴室でシャワーを浴びている最中のことだった。何か考え事をしていたような気もするが、具体的に何を考えていたのか今となっては思い出せない。しかし脳裏に鈍重な刃物で何かが刻印されたような感覚があったことは鮮明に覚えている。軽い混乱に飲み込まれそうになりながら体に付いた泡を洗い流し、浴室を出てタオルで水滴を拭き取ると、既に私は3つ目の男になっていることが分かった。それは変化でも移行でも憑依でもなく、まるで浮き出てきたかのように自然な出現だった。鏡に顔を映してみると、私の眉間に、楕円型の瞼で隠された新たな目の存在を認めることができた。睫毛は生えておらず、赤ん坊の目のようにも見える。
三つ目の男 @kikus
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