第6話「種明かし――全員が知っていた」
翌朝。
皐月は、いつもの時間に目を覚ました。
昨夜は、不思議とよく眠れた。
泣き疲れたのかもしれない。
でも、目覚めは悪くない。
胸の奥に、まだ痛みはある。
フラれた。
氷室先輩に、断られた。
でも、後悔はなかった。
伝えられた。
自分の気持ちを、自分の言葉で。
それだけで、十分だった。
制服に着替える。
鏡を見る。
目の腫れは、だいぶ引いている。
少しだけ化粧をする。
家を出る。
朝の空気が、冷たい。
でも、清々しい。
学校へ向かう。
校門をくぐる。
昇降口。
そこで、下級生の女子が声をかけてきた。
「あの、春川先輩!」
皐月は、立ち止まった。
「え、私?」
「はい! 昨日、すごくかっこよかったです!」
女子は、目を輝かせている。
「あ、ありがとう」
「私も、先輩みたいに勇気出したいです!」
そう言って、女子は駆けていった。
皐月は、その場に立ち尽くす。
かっこよかった。
その言葉が、胸に響く。
廊下を歩く。
すれ違う生徒たちが、皐月に声をかけてくる。
「おはよう、春川さん」
「昨日、お疲れ様」
「よく頑張ったね」
皐月は、一人一人に返事をする。
「ありがとう」
「おはよう」
「ありがとう」
教室に入る。
そこでも、クラスメイトたちが声をかけてきた。
「春川さん、おはよう!」
「昨日、すごかったね」
「かっこよかったよ」
皐月は、驚いた。
いつもなら、誰も皐月に声をかけない。
なのに、今日は——
席に着く。
隣の席の女子が、笑顔で話しかけてきた。
「春川さん、本当にお疲れ様」
「ありがとう」
「私、感動したよ」
「え、見てたの?」
「うん、みんな見てた」
女子は、微笑んだ。
「春川さんが屋上で告白してるとき、校舎中の窓から、みんなが見守ってた」
皐月は、息を呑んだ。
「そうだったんだ」
「うん。誰も邪魔しちゃいけないって、暗黙のルールがあったから」
「そう、なんだ」
女子は、少し照れくさそうに笑った。
「実はね、春川さんがスレ主だって、みんな気づいてたんだ」
皐月の心臓が、跳ねた。
「え」
「最初から」
「最初、から?」
女子は、頷いた。
「うん。初日、春川さんが掲示板に書き込んだ時間、覚えてる?」
皐月は、記憶を辿る。
昼休み。
屋上。
スマホを取り出して——
「あの時、屋上にいたのは春川さんだけじゃなかったんだ」
「え」
「私も、そこにいた。ドアの影に隠れてたから、気づかれなかったけど」
女子は、微笑んだ。
「春川さんが、スマホを触って、すごく緊張した顔してた。それで、掲示板に新しいスレッドが立ったのを見て、あ、この子がスレ主だって思った」
皐月は、息を呑んだ。
「そう、だったんだ」
「うん。それで、クラスのみんなにも伝わった。些細な目撃証言が、積み重なっていって」
女子は、続ける。
「春川さんが、いつもスマホを見てる時間と、掲示板に投稿がある時間が、ぴったり一致してた」
「そんな、細かく」
「うん。みんな、気になってたから」
皐月は、顔を伏せた。
バレてた。
最初から。
恥ずかしい。
でも、女子は続ける。
「でもね、誰も言わなかった」
「え?」
「だって、春川さんが匿名でいたかったから」
皐月は、顔を上げた。
「どういう、こと?」
女子は、優しく微笑んだ。
「春川さんは、匿名だから勇気が出たんでしょ? 顔を出せないから、本音が言えたんでしょ?」
「うん」
「だから、みんなも匿名で応援した。春川さんが、春川さんのままでいられるように」
涙が、滲んだ。
「みんな、私のために」
「うん」
女子は、皐月の肩に手を置いた。
「春川さんは、一人じゃなかった。ずっと、みんなが見守ってた」
皐月は、涙が止まらなくなった。
初めて。
人前で。
こんなに泣いたのは、初めて。
女子は、皐月を抱きしめた。
「よく頑張ったね」
皐月は、声を上げて泣いた。
孤独だと思ってた。
一人だと思ってた。
でも、違った。
ずっと、誰かが見守ってくれていた。
ずっと、誰かが応援してくれていた。
クラスメイトたちも、皐月の周りに集まってきた。
「春川さん、お疲れ様」
「よく頑張ったね」
「かっこよかったよ」
皐月は、涙を拭いながら、一人一人に返事をする。
「ありがとう」
「本当に、ありがとう」
チャイムが鳴る。
一時間目。
でも、今日の授業は、いつもと違った。
教師が、皐月に微笑みかけてくれる。
クラスメイトたちが、皐月に話しかけてくれる。
皐月は、もう一人じゃなかった。
昼休み。
皐月は、屋上へ向かった。
いつもの場所。
フェンスに背を預け、弁当を食べる。
でも、今日は一人じゃなかった。
何人かのクラスメイトが、一緒にいる。
「春川さん、一緒に食べよう」
「うん」
皐月は、微笑んだ。
弁当を開く。
おにぎり。
でも、今日は、美味しい。
みんなで、他愛のない話をする。
昨日のドラマの話。
週末の予定の話。
好きな音楽の話。
皐月は、初めて、こんな時間を過ごした。
温かい。
楽しい。
そのとき。
スマホが震えた。
取り出す。
掲示板の通知。
観測者のスレッドに、新しい投稿。
皐月は、それを開いた。
『春川皐月さんへ。
今、君は屋上で、友達と一緒に弁当を食べている。
笑顔で。
楽しそうに。
それを見て、僕は嬉しい。
君は、もう一人じゃない。
君は、君の居場所を見つけた。
そして、一つだけ、伝えたいことがある。
僕は、君に嘘をついた。
「好きな人がいる」と言った。
でも、それは本当でもあり、嘘でもある。
僕が好きな人は、君だ。
春川皐月。
でも、僕は君を試した。
君が、自分を貫ける子かどうか。
周りの期待に押しつぶされずに、自分の気持ちを伝えられる子かどうか。
そして、君はそれを証明した。
だから、もう一度、聞きたい。
春川皐月さん。
もう一度、告白してくれる?
今度は、僕から返事をしたい。
屋上で、待ってる。
観測者より』
皐月は、スマホを落としそうになった。
手が、震える。
心臓が、跳ねる。
観測者。
氷室先輩。
彼が、観測者?
クラスメイトたちが、皐月を見ている。
「春川さん、どうしたの?」
「あ、ごめん、ちょっと」
皐月は、立ち上がった。
屋上の反対側へ向かう。
そこに、氷室先輩がいた。
フェンスにもたれかかって、微笑んでいる。
皐月は、息を呑んだ。
「氷室、先輩」
「やあ、春川さん」
優しい声。
皐月は、一歩近づく。
「先輩が、観測者?」
「うん」
氷室先輩は、頷いた。
「最初から、君がスレ主だって気づいてた」
「どうして」
「君の書き込み方。言葉の選び方。それが、君らしかった」
氷室先輩は、微笑んだ。
「僕は、君のことを見てた。ずっと」
皐月は、涙が滲むのを感じた。
「でも、どうして」
「どうして、観測者として応援したのか?」
「うん」
氷室先輩は、一歩近づいた。
「君が、自分を貫けるかどうか、見たかったから」
「試したの?」
「うん。ごめん」
氷室先輩は、申し訳なさそうに笑った。
「僕は、君が好きだった。でも、君が本当に、自分の気持ちを貫ける子かどうか、わからなかった」
「だから」
「だから、試した。周りの期待に押しつぶされずに、自分の言葉で告白できるかどうか」
氷室先輩は、皐月の手を取った。
「そして、君はそれを証明した」
皐月の心臓が、跳ねる。
「先輩」
「春川さん」
氷室先輩は、優しく微笑んだ。
「もう一度、告白してくれる? 今度は、僕から返事をしたい」
皐月は、涙が溢れるのを止められなかった。
でも、今度の涙は、悲しみじゃない。
嬉しい。
温かい。
「氷室先輩」
「うん」
「私、ずっと先輩のことが好きでした」
「うん」
「これからも、好きです」
氷室先輩は、皐月を抱きしめた。
「ありがとう。僕も、君が好きだ」
皐月は、氷室先輩の胸で泣いた。
嬉しくて。
温かくて。
もう、孤独じゃない。
もう、一人じゃない。
周りのクラスメイトたちが、拍手を始めた。
ゆっくりと。
でも、確かに。
温かい拍手。
皐月は、顔を上げた。
涙を拭う。
氷室先輩は、微笑んでいる。
「これから、よろしくね」
「はい」
皐月は、微笑んだ。
初めて、心の底から。
放課後。
皐月は、教室で掲示板を開いた。
あのスレッドは、まだ続いていた。
レスは、三万件を超えている。
『スレ主と氷室先輩、付き合ったの!?』『マジで!?』『おめでとう!』『涙出た』『ハッピーエンド!』
温かい言葉ばかり。
皐月は、レスを書き込んだ。
『みんな、本当にありがとう。私は、もう一人じゃない。みんなのおかげです』
投稿する。
すぐに、レスがついた。
『おめでとう!』『幸せになってね』『応援してる!』『これからも頑張って!』
皐月は、微笑んだ。
スマホを閉じる。
教室を出る。
廊下で、氷室先輩が待っていた。
「一緒に帰ろう」
「はい」
二人は、並んで歩く。
校舎を出る。
夕日が、二人を照らしている。
オレンジ色の空。
綺麗だ。
皐月は、氷室先輩の手を握った。
氷室先輩も、握り返してくれる。
温かい。
「ねえ、春川さん」
「はい」
「これから、匿名じゃなくて、君として、君の言葉で、僕に話してくれる?」
皐月は、微笑んだ。
「はい」
「約束だよ」
「約束」
二人は、夕日に向かって歩いていく。
もう、孤独じゃない。
もう、一人じゃない。
匿名の掲示板で始まった恋が、今、現実になった。
そして、これからも、二人の物語は続いていく。
その夜。
皐月は、部屋で掲示板を開いた。
あのスレッドに、最後の書き込みをする。
『みんな、本当にありがとう。匿名だったから、勇気が出ました。みんなが見守ってくれたから、一歩を踏み出せました。これからは、匿名じゃなくて、春川皐月として、生きていきます。でも、みんなのことは、ずっと忘れません。本当に、ありがとう』
投稿する。
すぐに、レスがついた。
『おめでとう』『幸せになってね』『応援してる』『ありがとう、春川さん』
皐月は、涙を拭った。
そして、掲示板を閉じる。
ベッドに倒れ込む。
天井を見上げる。
今日は、長い一日だった。
でも、最高の一日だった。
スマホが震えた。
メッセージ。
氷室先輩から。
『おやすみ。また明日』
皐月は、微笑んだ。
返信する。
『おやすみなさい。また明日』
送信。
スマホを置く。
目を閉じる。
今日は、きっとよく眠れる。
温かい夢を見ながら。
そして、明日も、きっと素敵な一日になる。
匿名じゃない。
春川皐月として。
氷室先輩と一緒に。
友達と一緒に。
もう、一人じゃない。
皐月は、微笑みながら、眠りについた。
(第6話 終)
(第1シーズン 完)
エピローグ予告:「新しい書き込み」
数週間後。
掲示板に、新しいスレッドが立った。
『明日、○○さんに告白します』
学園は、また応援モードに。
でも今回は、皐月も「応援する側」に。
氷室先輩と二人で、掲示板を眺めながら微笑む。
「次は誰だろうね」
新しいスレ主は、意外な人物。
掲示板の最後の書き込み。
『この学園では、誰もが一度だけ、匿名で勇気をもらえる』
物語は、続いていく——
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