第5話「告白の日、全校が見守る中で」
Xデー。
皐月は、いつもより一時間早く目を覚ました。
眠れなかった。
結局、二時間しか眠っていない。
でも、不思議と頭は冴えていた。
制服に着替える。
鏡を見る。
青白い顔。
でも、今日は、少しだけ化粧をした。
リップクリーム。
薄く、頬に色を。
髪を、丁寧にとかす。
花瓶の花束を見る。
白い花。
優しい香り。
深呼吸。
家を出る。
朝の空気が、冷たい。
でも、清々しい。
学校へ向かう。
道すがら、何人もの生徒とすれ違う。
みんな、スマホを見ている。
「今日だよ」
「Xデー」
「スレ主、頑張れ」
囁き声が、聞こえる。
皐月は、足を速める。
校門をくぐる。
昇降口。
そこは、異常な静けさに包まれていた。
生徒たちが、立ち止まっている。
誰も、大声で話していない。
みんな、小声で、ヒソヒソと。
「今日、告白があるんだよね」
「うん」
「スレ主、誰だろう」
「わかんない。でも、応援したい」
皐月は、その中を通り抜ける。
誰も、皐月を見ない。
誰も、皐月がスレ主だとは思っていない。
教室に入る。
そこも、静かだった。
いつもなら、ざわついている教室が、今日はシンと静まり返っている。
生徒たちは、席に座り、スマホを見ている。
皐月は、自分の席に着いた。
机の下で、スマホを取り出す。
掲示板を開く。
カウントダウンスレ。
『【Xデー】告白まで、あと1時間!』
レスは、一万件を超えていた。
『スレ主、頑張れ!』『絶対成功する』『応援してる』『氷室先輩、優しく受け止めてあげて』
観測者のスレッドにも、新しい投稿。
『スレ主へ。
今日が、その日。
君は、きっと緊張している。
手が震えている。
息が浅い。
でも、大丈夫。
君は、ここまで来た。
あとは、君の心に従えばいい。
君の気持ちを、君の言葉で、伝える。
それだけでいい。
僕は、君を見守っている。
君は、一人じゃない』
皐月は、スマホを握りしめた。
深呼吸。
一時間目が始まる。
でも、授業は、まったく頭に入らない。
教師の声が、遠い。
黒板の文字が、滲む。
二時間目。
三時間目。
昼休み。
皐月は、屋上へ向かった。
階段を上る。
屋上の扉を開ける。
そこには、数人の生徒がいた。
でも、いつもと違う。
誰も、騒いでいない。
みんな、静かに、フェンスにもたれかかっている。
スマホを見ている。
皐月は、いつもの場所に座った。
弁当を取り出す。
でも、食べられない。
喉が、通らない。
スマホを取り出す。
掲示板を開く。
カウントダウンスレ。
『【Xデー】告白まで、あと3時間!』
レスは、一万五千件。
『スレ主、どこにいるの?』『頑張れ』『応援してる』
そして、観測者のスレッドに、新しい投稿。
『スレ主へ。
今、君は屋上にいる。
弁当を食べようとしているけど、食べられない。
大丈夫。
無理に食べなくていい。
水だけ飲んで。
あと数時間で、すべてが決まる。
でも、結果がどうであれ、君は素晴らしい。
君が一歩を踏み出した、その勇気が、素晴らしい。
僕は、君を誇りに思う』
皐月は、涙が滲むのを感じた。
周囲を見回す。
誰?
誰が、私を見ている?
屋上には、他に五人の生徒。
でも、誰も皐月を見ていない。
みんな、スマホを見ている。
わからない。
皐月は、弁当を片付けた。
水を飲む。
深呼吸。
午後の授業。
四時間目。
五時間目。
六時間目。
チャイムが鳴った。
放課後。
教室が、静まり返った。
誰も、動かない。
誰も、話さない。
みんな、スマホを見ている。
皐月は、立ち上がった。
教室を出る。
廊下。
そこには、生徒たちが、壁に並んでいた。
でも、誰も、騒いでいない。
みんな、静かに、スマホを見ている。
皐月は、階段を上った。
三階。
三年生のフロア。
廊下には、さらに多くの生徒が並んでいた。
でも、誰も、動かない。
誰も、声を上げない。
ただ、静かに、見守っている。
暗黙のルール。
邪魔をしない。
ただ、見守る。
皐月は、氷室先輩の教室前に立った。
深呼吸。
手が、震える。
心臓が、うるさい。
でも、足を、踏み出す。
教室の扉を、ノックする。
「氷室先輩」
声が、震える。
扉が、開く。
氷室先輩が、そこにいた。
優しい目。
穏やかな笑顔。
「やあ、春川さん」
「あの、少し、お時間いいですか」
「もちろん」
氷室先輩は、教室を出た。
廊下を歩く。
皐月も、後に続く。
階段を上る。
屋上へ。
扉を開ける。
冷たい風が、吹き込んでくる。
屋上には、誰もいない。
でも、フェンスの向こう、校舎の窓から、無数の目が、こちらを見ている。
遠巻きに。
静かに。
見守っている。
氷室先輩は、フェンスにもたれかかった。
「どうしたの?」
皐月は、深呼吸をした。
手が、震える。
足が、震える。
でも、言わなきゃ。
今、言わなきゃ。
「氷室先輩」
「うん」
「私、ずっと、先輩のことが好きでした」
静寂。
風の音だけが、聞こえる。
氷室先輩は、優しく微笑んだ。
「ありがとう」
皐月は、続ける。
「一年の頃から、ずっと。でも、言えなくて。友達もいなくて、誰にも相談できなくて」
涙が、滲む。
「だから、掲示板に書きました。匿名で。それで、少しだけ、勇気が出ました」
氷室先輩は、皐月を見つめた。
「君が、スレ主だったんだね」
皐月は、頷いた。
「はい」
氷室先輩は、一歩近づいた。
「春川さん」
「はい」
「君の勇気、すごいと思う」
「ありがとう、ございます」
「でも」
その言葉に、皐月の心臓が、止まった。
「でも?」
氷室先輩は、優しい目で、皐月を見つめた。
「ありがとう。でも、僕には好きな人がいる」
世界が、止まった。
風の音が、消えた。
心臓の音だけが、耳に響く。
皐月は、息を呑んだ。
「そう、ですか」
声が、震える。
涙が、溢れそうになる。
でも、堪える。
「そうなんだ。ごめん」
氷室先輩の声は、優しい。
でも、その優しさが、今は、痛い。
皐月は、俯いた。
「いえ、私こそ、ごめんなさい」
「謝らないで」
氷室先輩は、皐月の肩に手を置いた。
「君の気持ち、ちゃんと受け取ったから」
皐月は、顔を上げた。
涙が、滲んでいる。
でも、笑顔を作る。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとう」
氷室先輩は、微笑んだ。
「君は、すごく勇気がある。きっと、素敵な人と出会えるよ」
皐月は、頷いた。
「はい」
それだけ言って、皐月は屋上を出た。
階段を下りる。
三階。
廊下には、生徒たちが並んでいる。
でも、誰も、声をかけない。
ただ、静かに、見守っている。
皐月は、涙を堪えて、歩く。
一歩、一歩。
二階。
一階。
昇降口。
そのとき。
背後から、拍手が一つ。
皐月は、立ち止まった。
振り返る。
階段の上に、一人の生徒が立っている。
拍手をしている。
そして、もう一人。
もう一人。
やがて、廊下中の生徒が、拍手を始めた。
ゆっくりと。
でも、確かに。
温かい拍手。
教室の窓が開く。
そこからも、拍手。
校舎中が、拍手に包まれる。
皐月は、涙が止まらなくなった。
堪えていた涙が、一気に溢れる。
拍手は、止まらない。
誰も、声を上げない。
ただ、拍手だけが、響き渡る。
皐月は、その場に立ち尽くした。
温かい。
こんなに、温かい。
フラれた。
失恋した。
でも、今、こんなに温かい。
拍手は、やがて静まった。
生徒たちは、それぞれの場所へ戻っていく。
でも、何人かが、皐月に声をかけてくれた。
「お疲れ様」
「よく頑張ったね」
「かっこよかったよ」
皐月は、涙を拭った。
「ありがとう」
小さく呟く。
昇降口を出る。
校門へ向かう。
そのとき。
スマホが震えた。
取り出す。
掲示板の通知。
観測者のスレッドに、新しい投稿。
皐月は、それを開いた。
『スレ主へ。
君は本当によく頑張った。
結果は、君が望んだものではなかったかもしれない。
でも、君は素晴らしい。
君が一歩を踏み出した、その勇気が、素晴らしい。
そして、一つだけ、伝えたいことがある。
君が誰か、最初から知ってたよ。
春川皐月さん。
君は、一人じゃなかった。
ずっと、誰かが見守っていた。
ずっと、誰かが応援していた。
それは、僕だけじゃない。
学園中が、君を見守っていた。
君は、一人じゃない。
これからも、ずっと。
おめでとう。
そして、ありがとう』
皐月は、その場に立ち尽くした。
涙が、止まらない。
最初から、知ってた。
誰が?
観測者は、誰?
皐月は、周囲を見回した。
でも、誰もいない。
校門の前。
一人。
夕日が、沈み始めている。
オレンジ色の空。
綺麗だ。
皐月は、スマホを握りしめた。
掲示板を開く。
あのスレッドは、まだ続いていた。
レスは、二万件を超えている。
『スレ主、お疲れ様!』『よく頑張った』『かっこよかったよ』『涙出た』『これからも応援してる』
温かい言葉ばかり。
皐月は、涙を拭った。
そして、初めて、自分でレスを書き込んだ。
『ありがとう。みんな、本当にありがとう』
投稿する。
すぐに、レスがついた。
『スレ主!?』『本人!?』『お疲れ様!』『かっこよかった!』『これからも応援してる!』
皐月は、微笑んだ。
涙は、まだ止まらない。
でも、今の涙は、悲しみじゃない。
温かい。
嬉しい。
孤独じゃない。
一人じゃない。
皐月は、校門を出た。
家路につく。
スマホを握りしめたまま。
掲示板を、何度も見返しながら。
誰が、観測者?
氷室先輩?
それとも、別の誰か?
答えは、まだわからない。
でも、一つだけ、わかることがある。
私は、一人じゃない。
これからも、ずっと。
皐月は、夕日に向かって歩いていく。
涙を拭いながら。
でも、微笑みながら。
新しい一歩を、踏み出しながら。
(第5話 終)
次回予告:第6話「種明かし――全員が知っていた」
翌日、学校は平常運転。
でも、皐月に声をかける生徒が激増。
「頑張ったね」「かっこよかったよ」
クラスメイトの一人が告白する。
「実は初日から、あんたがスレ主だってみんな気づいてた」
理由は些細な目撃証言の積み重ね。
では、なぜ誰も言わなかった?
「あんたが匿名でいたかったからだよ。だから、みんなも匿名で応援した」
皐月、初めて人前で号泣。
そして、観測者の正体は——
氷室先輩。
「もう一度、告白してくれる? 今度は、僕から返事をしたい」
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