第4話「告白前夜、学園が止まる」
翌日。
皐月が教室に入ると、黒板に大きく書かれていた。
『Xデーまで、あと1日』
心臓が、跳ねた。
Xデー。
いつの間にか、告白決行日はそう呼ばれるようになっていた。
教室の生徒たちが、ざわついている。
「明日だよ、明日!」
「スレ主、絶対成功してほしい」
「カウントダウン始まってるよね、掲示板」
皐月は、席に着いた。
机の下で、スマホを取り出す。
掲示板を開く。
トップページは、カウントダウンスレで埋め尽くされていた。
『【Xデー】あと24時間!』
『【応援】スレ主へのメッセージスレ』
『【予想】スレ主は誰だ!?』
『【実況】明日の告白、リアルタイム中継します』
皐月は、息が詰まりそうになった。
スクロールを続ける。
レスの数が、すべて千を超えている。
『スレ主、頑張れ!』『明日が楽しみ』『絶対成功する』『氷室先輩、優しく受け止めてあげて』
そして、観測者のスレッド。
新しい投稿があった。
『スレ主へ。
今、君はプレッシャーで押しつぶされそうになっている。
周りの期待が、重い。
「頑張れ」という言葉が、むしろ苦しい。
でも、思い出してほしい。
君が告白したいと思ったのは、誰かのためじゃない。
君自身のためだ。
君の気持ちを、君の言葉で、伝えるため。
それだけでいい。
逃げてもいい。
でも、君は本当は、彼に気持ちを伝えたいんだろ?
だから、信じて。
君は、君のままでいい』
皐月は、スマホを握りしめた。
涙が、滲む。
この人は、どうして、こんなに私の気持ちがわかるの?
どうして、こんなに優しいの?
一時間目が始まる。
でも、授業は頭に入らない。
二時間目。
三時間目。
昼休み。
皐月は、屋上へ向かった。
いつもの場所。
フェンスに背を預け、膝を立てる。
でも、今日は一人じゃなかった。
屋上には、すでに十人以上の生徒がいる。
みんな、スマホを見ている。
「明日、どこで告白するんだろう」
「屋上かな」
「それとも、教室?」
「氷室先輩、どこにいるんだろう」
皐月は、そっと踵を返した。
階段を下りる。
一階。
中庭のベンチに座る。
ここなら、誰もいない。
弁当を取り出す。
でも、喉を通らない。
胸が、苦しい。
吐きそう。
スマホを取り出す。
掲示板を開く。
カウントダウンスレが、さらに増えていた。
『【あと7時間】放課後まで、カウントダウン!』
『【スレ主へ】最後のメッセージを残そう』
皐月は、目を閉じた。
深呼吸する。
でも、息が浅い。
心臓が、うるさい。
そのとき。
スマホが震えた。
通知。
観測者のスレッドに、新しい投稿。
『スレ主へ。
今、君は一人で、弁当を食べようとしている。
でも、喉を通らない。
吐きそうになっている。
大丈夫。
無理に食べなくていい。
今は、ただ、呼吸をして。
君は、一人じゃない。
僕は、君を見守っている』
皐月は、周囲を見回した。
誰?
誰が、私を見ている?
中庭には、他に誰もいない。
校舎の窓?
でも、カーテンが閉まっている。
わからない。
皐月は、弁当を片付けた。
立ち上がる。
教室へ戻る。
午後の授業。
四時間目。
五時間目。
六時間目。
チャイムが鳴る。
放課後。
教室の生徒たちが、一斉にスマホを取り出す。
「明日だ!」
「スレ主、頑張れ!」
「絶対成功してほしい」
皐月は、席を立った。
教室を出る。
廊下を歩く。
下駄箱で靴を履き替える。
校門を出る。
でも、家には帰らなかった。
近くの公園のベンチに座る。
夕日が、沈み始めている。
スマホを取り出す。
掲示板を開く。
観測者のスレッドに、新しい投稿があった。
『スレ主へ。
今夜、学校の屋上に来てほしい。
午後八時。
誰もいない。
ただ、君に、渡したいものがある。
来なくてもいい。
でも、もし来てくれたら——
僕は、そこで待ってる』
皐月は、息を呑んだ。
屋上。
午後八時。
誰もいない。
待ってる。
誰が?
観測者?
会える?
でも、怖い。
もし、観測者が——
もし、知ってる人だったら。
もし、そうじゃなかったら。
どっちも、怖い。
皐月は、スマホを握りしめた。
行くべきか。
行かないべきか。
時計を見る。
午後六時。
あと二時間。
皐月は、立ち上がった。
公園を出る。
コンビニに寄る。
お茶を買う。
飲む。
少しだけ、落ち着く。
時計を見る。
午後七時。
あと一時間。
皐月は、学校へ向かった。
夜の校舎は、静まり返っている。
門は閉まっている。
でも、フェンスの一部が壊れている。
そこから、忍び込む。
校舎に入る。
廊下は、暗い。
足音だけが、響く。
階段を上る。
二階。
三階。
屋上への扉。
鍵は、かかっていない。
開ける。
冷たい風が、吹き込んでくる。
屋上に、出る。
誰もいない。
月明かりだけが、屋上を照らしている。
皐月は、フェンスに近づいた。
いつもの場所。
そこに、何かが置いてあった。
花束。
白い花。
カスミソウと、バラ。
皐月は、それを手に取った。
小さなカードが、添えられている。
開く。
手書きの文字。
『明日、君は君のままでいい』
皐月は、涙が溢れるのを止められなかった。
花束を抱きしめる。
優しい香り。
温かい。
この人は、誰?
どうして、こんなに優しいの?
皐月は、周囲を見回した。
でも、誰もいない。
本当に、誰もいない。
ただ、風が吹いている。
冷たい風。
でも、胸は、温かい。
皐月は、花束を持って、屋上を出た。
階段を下りる。
校舎を出る。
フェンスの隙間を抜ける。
校門の前。
そのとき。
背後から、足音。
皐月は、硬直した。
ゆっくりと、振り返る。
そこに、氷室先輩がいた。
月明かりの中、彼は微笑んでいる。
「やあ」
優しい声。
皐月は、息を呑んだ。
「氷室、先輩」
「こんな時間に、どうしたの?」
彼は、皐月の手元を見る。
花束。
「綺麗な花だね」
「あ、これは」
言葉が、出ない。
氷室先輩は、一歩近づく。
「春川さん」
名前を、呼ばれた。
心臓が、跳ねる。
「明日、待ってる」
「え」
「君が、誰であろうと」
氷室先輩は、意味深な笑顔を浮かべた。
「明日、ちゃんと話そう」
そして、彼は去っていった。
夜の闇に、消えていく。
皐月は、その場に立ち尽くす。
花束を、握りしめる。
今の、何?
氷室先輩は、知ってる?
私が、スレ主だって?
それとも——
もしかして、彼が、観測者?
わからない。
何もわからない。
でも、一つだけ、わかることがある。
明日。
明日、すべてが決まる。
皐月は、家路についた。
花束を抱きしめたまま。
スマホを取り出す。
掲示板を開く。
カウントダウンスレ。
『【Xデー】あと12時間!』
レスは、三千件を超えていた。
『スレ主、頑張れ!』『明日が楽しみ』『絶対成功する』
そして、観測者のスレッドに、新しい投稿。
『スレ主へ。
花束、受け取ってくれたね。
ありがとう。
明日、君がどんな選択をしても、僕は君を応援している。
告白する。
しない。
どちらでもいい。
君が、君の心に従えば、それでいい。
でも、一つだけ覚えておいてほしい。
君は、一人じゃない。
君は、君のままでいい。
明日、また会おう』
皐月は、スマホを握りしめた。
涙が、止まらない。
家に着く。
部屋に入る。
花束を、花瓶に生ける。
ベッドに倒れ込む。
天井を見上げる。
明日。
Xデー。
告白する、のか。
できる、のか。
わからない。
でも、観測者の言葉が、胸に響く。
君は、一人じゃない。
君は、君のままでいい。
皐月は、目を閉じた。
眠れるわけがない。
でも、不思議と、心は落ち着いていた。
花束の香りが、部屋を満たしている。
優しい香り。
温かい香り。
そして、夜は更けていく。
明日、すべてが決まる。
皐月は、それを、ただ待つしかなかった。
深夜。
皐月は、目を覚ました。
時計を見る。
午前二時。
スマホを手に取る。
掲示板を開く。
カウントダウンスレ。
『【Xデー】あと6時間!』
レスは、五千件を超えていた。
『スレ主、起きてる?』『頑張れ!』『応援してる』
観測者のスレッドにも、新しい投稿。
『スレ主へ。
眠れないよね。
僕も、眠れない。
でも、大丈夫。
君は、君のままでいい。
明日、君がどんな選択をしても、僕は君を受け止める。
だから、安心して。
おやすみ』
皐月は、涙が滲むのを感じた。
この人は、本当に、優しい。
でも、誰?
氷室先輩?
それとも——
答えは、明日、わかる。
皐月は、スマホを置いた。
目を閉じる。
今度こそ、眠る。
花束の香りに包まれて。
優しい夢を見ながら。
そして、朝が来る。
Xデー。
すべてが決まる日。
皐月は、その日を、迎えた。
(第4話 終)
次回予告:第5話「告白の日、全校が見守る中で」
Xデー、到来。
学校は異常な静けさ。
皆が固唾を呑んで見守っている。
皐月が氷室先輩を呼び出す場面、遠巻きに人だかり。
でも誰も近づかない。
暗黙のルール。
告白シーンは静謐に。
皐月の震える声、氷室の優しい目。
そして——
「ありがとう。でも、僕には好きな人がいる」
フラれる。
涙を堪えて歩き出す皐月。
すると背後から、拍手が一つ、二つ。
やがて全校が拍手。
掲示板に観測者の投稿。
「君は本当によく頑張った。君が誰か、最初から知ってたよ」
誰が?
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