第3話「匿名の味方」

 翌朝。


 皐月は、スマホのアラームで目を覚ました。


 四時間しか眠れていない。


 頭が重い。体がだるい。


 でも、学校には行かなければならない。


 制服に着替える。鏡を見る。


 目の下のクマが、濃くなっている。


 ため息をつく。


 スマホを手に取る。


 掲示板を、開く。


 あのスレッドは、まだ伸び続けていた。


 レス数、二千件超え。


 『スレ主、今日こそ告白するのかな』『待ってる』『応援してる』


 皐月は、スクロールを続ける。


 そして、目が止まった。


 新しいスレッド。


 タイトルは、『スレ主へ』。


 投稿者のハンドルネームは、"観測者"。


 皐月は、それをタップした。


 本文が表示される。


 『スレ主へ。


 君は今、きっと怖いだろう。


 誰もが応援してくれているのに、その温かさが重荷になっている。


 「一人じゃないよ」なんて言葉、君には響かない。だって、君はずっと一人だったから。急に周りが優しくなっても、信じられるわけがない。


 でも、僕は言う。


 今回だけは、僕が君の味方だ。


 匿名のままでいい。顔を出さなくていい。


 ただ、君が一歩を踏み出すとき、僕は君を見守っている。


 君は、一人じゃない』


 皐月は、息を呑んだ。


 スマホを握る手が、震える。


 なんで。


 なんで、この人は、私の気持ちがわかるの?


 涙が、滲む。


 でも、同時に、怖い。


 この人は、誰?


 なんで、私のことを、こんなに理解している?


 もしかして——


 バレてる?


 皐月は、スマホを握りしめた。


 胸が、苦しい。


 でも、不思議と、少しだけ、温かい。


 この人の言葉は、冷たくない。


 優しい。


 皐月は、そのスレッドのレスを読み始めた。


 『観測者さん、優しい』『スレ主、頑張れ』『このスレ、泣ける』


 百件を超えるレスが、すでについていた。


 皐月は、スマホをポケットにしまった。


 家を出る。


 学校へ向かう。


 道すがら、何度もスマホを取り出しそうになる。


 でも、我慢する。


 学校に着く。


 昇降口。


 生徒たちが、スマホを見ながら話している。


 「観測者のスレ、見た?」


 「見た見た。めっちゃ良いこと言ってる」


 「スレ主、きっと勇気出るよね」


 皐月は、足早に教室へ向かった。


 二階。


 廊下。


 「おはよう」


 誰かが、皐月に声をかけた。


 振り返る。


 クラスメイトの女子。名前は、確か——


 「おはよう、春川さん」


 「……おはよう」


 皐月は、小さく返事をした。


 女子は、微笑んだ。


 「今日もいい天気だね」


 「うん」


 それだけ言って、女子は去っていった。


 皐月は、その場に立ち尽くす。


 今の、なに?


 いつもなら、誰も皐月に声をかけない。


 なのに、今日は——


 教室に入る。


 席に着く。


 周りの生徒たちが、スマホを見ている。


 「観測者、誰だろうね」


 「わかんない。でも、スレ主のこと、すごく理解してるよね」


 「もしかして、スレ主の友達とか?」


 「でも、スレ主って友達いないんじゃないの?」


 「あー、そっか」


 皐月は、机に突っ伏した。


 友達いない。


 その言葉が、胸に刺さる。


 でも、事実だ。


 反論できない。


 一時間目が始まる。


 授業は、まったく頭に入らない。


 二時間目。


 三時間目。


 昼休み。


 校内放送が流れた。


 『生徒会からのお知らせです。本日放課後、体育館にて「スレ主応援イベント」を開催します。皆さん、ぜひご参加ください』


 教室が、どよめいた。


 「応援イベント!?」


 「マジで!?」


 「絶対行く!」


 皐月は、顔を上げた。


 応援イベント。


 何、それ。


 スマホを取り出す。


 掲示板を開く。


 新しいスレッドが立っていた。


 『【速報】スレ主応援イベント、本日開催!』


 本文。


 『生徒会主催。放課後、体育館にて。スレ主を応援するために、みんなで集まろう! スレ主も、もし良かったら来てね。匿名のままでいいから』


 レスは、すでに三百件。


 『絶対行く』『スレ主、来てほしい』『みんなで応援しよう』


 皐月は、息を呑んだ。


 行かなきゃ、ダメ?


 でも、行ったら——


 バレる?


 そのとき。


 観測者のスレッドに、新しい投稿があった。


 『スレ主へ。


 今、君は悩んでいるだろう。イベントに行くべきか、行かざるべきか。


 答えは、君が決めればいい。


 でも、一つだけ言わせてほしい。


 君が行っても、行かなくても、僕は君を応援している。


 だから、怖がらなくていい。


 君は、君のままでいい』


 皐月は、スマホを握りしめた。


 涙が、滲む。


 この人は、なんで、こんなに優しいの?


 なんで、私の気持ちが、わかるの?


 昼休みが終わる。


 午後の授業。


 四時間目。


 五時間目。


 六時間目。


 チャイムが鳴る。


 放課後。


 教室の生徒たちが、一斉に立ち上がる。


 「体育館行こう!」


 「うん!」


 皐月は、席を立たない。


 立てない。


 でも、周りの生徒が次々と教室を出ていく。


 やがて、教室は空になる。


 一人になる。


 静寂。


 皐月は、スマホを取り出した。


 掲示板を開く。


 観測者のスレッドに、新しい投稿。


 『スレ主へ。


 今、君は教室にいるだろう。一人で。


 行くか、行かないか、悩んでいる。


 でも、君はきっと、行く。


 なぜなら、君は本当は、孤独から抜け出したいから。


 怖くても、一歩を踏み出したいから。


 だから、行っておいで。


 僕は、君を見守っている』


 皐月は、息を呑んだ。


 なんで。


 なんで、わかるの?


 今、私が教室にいることまで——


 怖い。


 でも、同時に、不思議と安心する。


 この人は、私を見守ってくれている。


 匿名のままで。


 皐月は、立ち上がった。


 教室を出る。


 廊下を歩く。


 階段を下りる。


 一階。


 体育館へ向かう。


 入口に、人だかり。


 生徒たちが、ぞろぞろと入っていく。


 皐月は、立ち止まった。


 息が、苦しい。


 心臓が、うるさい。


 スマホを取り出す。


 掲示板を開く。


 観測者のスレッドに、リアルタイムで投稿があった。


 『スレ主へ。


 今、体育館の入口にいるでしょ。


 深呼吸して。


 大丈夫。君は、君のままでいい。


 入っておいで。僕は、君を見守っている』


 皐月は、周囲を見回した。


 誰?


 誰が、私を見ている?


 入口にいる生徒たち。


 みんな、スマホを見ている。


 誰が、観測者?


 わからない。


 でも、確かに、誰かが、私を見ている。


 皐月は、深呼吸をした。


 一歩、踏み出す。


 体育館に、入る。


 中は、人でごった返していた。


 数百人の生徒が、集まっている。


 ステージには、生徒会のメンバー。


 生徒会長が、マイクを持っている。


 「皆さん、集まってくれてありがとう!」


 拍手。


 「今日は、スレ主を応援するために、このイベントを開催しました!」


 歓声。


 「スレ主、もしここにいたら、前に出てきてください!」


 静寂。


 誰も、動かない。


 皐月は、壁際に立っている。


 動けない。


 生徒会長は、微笑んだ。


 「もちろん、匿名のままでも大丈夫です。ただ、私たちは、あなたを応援しています!」


 拍手。


 歓声。


 「スレ主、頑張れー!」


 体育館中が、拍手と歓声で包まれる。


 皐月は、涙が滲むのを感じた。


 温かい。


 でも、怖い。


 この応援は、私に向けられている。


 でも、誰も、私がスレ主だとは思っていない。


 もし、バレたら——


 きっと、失望される。


 「あの暗い子が、スレ主?」


 そう思われる。


 皐月は、スマホを取り出した。


 掲示板を開く。


 観測者のスレッドに、新しい投稿。


 『スレ主へ。


 今、君は体育館の隅にいる。


 みんなの応援を聞いて、涙を堪えている。


 温かいのに、怖い。


 嬉しいのに、苦しい。


 その気持ち、わかるよ。


 でも、大丈夫。


 君は、君のままでいい。


 前に出なくていい。


 ただ、その場にいるだけで、君は勇気を出している。


 僕は、君を見守っている』


 皐月は、周囲を見回した。


 誰?


 誰が、私を見ている?


 体育館の入口。


 ステージ。


 観客席。


 みんな、スマホを見ている。


 誰が、観測者?


 皐月は、目を凝らす。


 でも、わからない。


 そのとき。


 ステージに、氷室先輩が上がった。


 皐月の心臓が、跳ねる。


 氷室先輩は、マイクを受け取る。


 「皆さん、こんにちは」


 優しい声。


 「僕も、スレ主を応援しています」


 拍手。


 「もし、スレ主がここにいたら、伝えたいことがあります」


 静寂。


 全員が、息を呑む。


 氷室先輩は、微笑んだ。


 「君が誰であろうと、君の勇気は素晴らしい。だから、逃げないでほしい。君の気持ちを、ちゃんと受け止めたいから」


 歓声。


 拍手。


 皐月は、涙が溢れるのを止められなかった。


 氷室先輩の言葉が、胸に響く。


 でも、同時に、怖い。


 私が、スレ主だと知ったら——


 彼は、失望する。


 皐月は、体育館を出ようとした。


 でも、出口は人でごった返している。


 動けない。


 スマホを取り出す。


 掲示板を開く。


 観測者のスレッドに、新しい投稿。


 『スレ主へ。


 今、君は逃げたいと思っている。


 でも、逃げなくていい。


 深呼吸して。


 氷室先輩の言葉を、もう一度聞いて。


 彼は、君を受け止めてくれる。


 君が誰であろうと。


 信じて』


 皐月は、氷室先輩を見た。


 彼は、ステージから降りている。


 生徒たちに囲まれて、笑顔で話している。


 優しい人。


 でも、私には、届かない。


 皐月は、壁に背を預けた。


 膝から、力が抜ける。


 そのとき。


 隣に、誰かが立った。


 振り返る。


 クラスメイトの男子。


 名前は、知らない。


 彼は、スマホを見ている。


 そして、小声で呟いた。


 「スレ主、頑張れ」


 皐月は、息を呑んだ。


 彼は、皐月に気づいていない。


 ただ、スマホを見ながら、呟いている。


 「観測者さん、すごいよな。スレ主のこと、すごく理解してる」


 そして、彼は去っていった。


 皐月は、その場に立ち尽くす。


 周りの生徒たちも、スマホを見ている。


 みんな、掲示板を見ている。


 観測者のスレッドを。


 誰が、観測者?


 氷室先輩?


 それとも、別の誰か?


 皐月は、体育館を出た。


 廊下を歩く。


 夕日が差し込んでいる。


 校舎が、オレンジ色に染まっている。


 綺麗だ。


 でも、胸は、ざわついている。


 スマホを取り出す。


 掲示板を開く。


 観測者のスレッドに、新しい投稿。


 『スレ主へ。


 今日は、よく頑張った。


 君は、一歩を踏み出した。


 それだけで、十分だ。


 明日、また会おう。


 僕は、君を見守っている。


 君は、一人じゃない』


 皐月は、スマホを握りしめた。


 涙が、止まらない。


 この人は、誰?


 なんで、こんなに優しいの?


 なんで、私のことを、見守ってくれるの?


 答えは、わからない。


 でも、不思議と、温かい。


 怖いけど、温かい。


 監視されているような、不安。


 でも、見守られているような、安心。


 矛盾した感情が、皐月を包む。


 そして、夕日が、沈んでいく。


 皐月は、校門を出た。


 家路につく。


 スマホを握りしめたまま。


 観測者の言葉を、何度も読み返しながら。


 誰?


 誰が、私を見ている?


 答えは、まだ、わからない。


 でも、明日、また会える。


 その期待と、不安が、皐月の胸を満たしていく。


(第3話 終)


次回予告:第4話「告白前夜、学園が止まる」


告白決行日が、掲示板で「Xデー」と呼ばれ始めた。


カウントダウンスレが乱立し、学園中が浮き足立つ。


皐月は、プレッシャーで吐きそうになる。


でも、観測者のメッセージが届く。


「逃げてもいい。でも君は本当は、彼に気持ちを伝えたいんだろ?」


前夜、学校の屋上に忍び込むと——


観測者が「ここで待ってる」と書き込んでいた。


行くと、誰もいない。


ただ、花束が一つ。


カードには「明日、君は君のままでいい」。


帰宅中、背後から足音。


振り返ると——氷室先輩。


「明日、待ってる」


意味深な笑顔。


誰が、観測者?

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