File10.理科室の怪人の健康不安と、視覚化された筋肉について
「九十九さん、無理です。私、内臓系は本当にダメなんです」
咲耶が観葉植物の陰に隠れ、涙声で訴えている。 彼女の視線の先にいるのは、極めて紳士的な態度でソファに腰掛けた、筋肉と臓器が剥き出しの男性、理科室の人体模型氏だった。
左半身は皮膚があるが、右半身は鮮やかな赤色の筋肉繊維と、青と黄色の血管が露わになっている。彼が動くたび、プラスチックのパーツがカチャカチャと乾いた音を立てるのが妙にシュールだった。
「お嬢さん、そう怖がらないでください。私はただの教材です」
彼は右側の眼球を少し伏せ、申し訳なさそうに言った。
「むしろ、あなた方人間の方が皮一枚の下にこれと同じものを隠し持っているのですから、よほどミステリアスだ」
「座布団一枚」
オサキが真顔で呟きながら茶を出す。
「人体模型氏、ジンさんと呼ばせていただきます」
私は彼に向き直った。
「申請書には『引退後のセカンドキャリア相談』とありますが、具体的には?」
ジン氏は、剥き出しの心臓あたりを右手で押さえた。
「私は長年勤めた小学校をリストラされました。 最近の学校はiPadの3Dアプリで解剖学を学ぶそうです。私たちのような模型は『怖い』『夜中に動き出すという噂が教育上良くない』と、倉庫の奥に追いやられました」
彼は深いため息をついた。その拍子に、肺のパーツがカタりと揺れる。
「昔はよかった。キャーキャーと騒がれるのはスターの証でした。 ですが、倉庫で一人埃を被っているうちに、私は自分の身体について悩み始めましてね」
「悩み、ですか」
「ええ。ご覧の通り、私は常に全開(フルオープン)です。 自分の肝臓の色艶も、腸のねじれ具合も常に直視できる。そうするとですね、気になるんですよ。 『あれ、昨日に比べて胃の位置がズレてないか?』とか『心臓の塗装が剥げてきたな、不整脈か?』とか」
ジン氏は深刻そうに頭を抱えた。
「これは人間でいう『健康不安』というやつです。見えすぎるのも考えものです。 私のような模型には自然治癒力がありません。生徒の悪戯で紛失した膵臓は二度と戻らないし、劣化した血管は詰まる一方だ。 このまま倉庫でバラバラになって朽ちていく恐怖に、私はもう耐えられないのです」
咲耶が植物の陰から顔を出した。
「なんだか、人間ドックの結果に怯えるウチのお父さんみたいです……」
老化と欠損への恐怖。 それは肉体を持つ者なら誰もが抱く普遍的な悩みだ。まして彼は、その「老い」がパーツの欠落として可視化されてしまう。
「なるほど」
私は指を組んだ。
「つまりあなたは、自分の肉体をメンテナンスし若々しく保てる環境を求めている。あるいはその『見えすぎる体』を隠して隠居したいと?」
「いいえ」
ジン氏は剥き出しの歯列を見せて、ニヤリと笑った。
「逆です。私はこの体を活かしたい。 ただの『見世物』として消費されるのではなく、この筋肉、この内臓の美しさを正しく評価し、崇めてくれる世界へ行きたいのです。 そうすれば、私は誇りを持ってこの身を維持できる」
承認欲求と健康志向のハイブリッドか。 現代日本では、彼はただの「グロテスクな備品」だ。だが視点を変えれば、彼は「究極の肉体美」のサンプルでもある。
「オサキ。例の案件はどうなっていますか」
オサキが手元のタブレットを操作し、空中に資料を投影した。
「案件番号108、『死霊王国ネクロポリス』。 住民の九割がスケルトン(骸骨)という、アンデッドの国ですね」
「スケルトン、ですか」
ジン氏が興味深そうに身を乗り出した。
「ええ。この世界のスケルトンたちは生前の記憶を持っています。 彼らの悩みは、肉体がないことによる『アイデンティティの喪失』と『ファッションの欠如』です。 彼らは常に憧れているんですよ。分厚い胸板、隆起した上腕二頭筋、そして健康的な内臓の詰まったボディに」
私はジン氏の右半身(筋肉側)を指差した。
「彼らにとって、あなたはアイドル……いや、『神』です。 骨の上にどう肉がつき、どう機能するのか。その正解を体現しているあなたは、彼らにとっての究極の『ボディビルディングの教本』になれる」
「ボディビル……!」
ジン氏の目が輝いた。
「ええ。あなたはそこでパーソナルトレーナーになりなさい。 骨しかない彼らに、『ここにはこういう筋肉がつくはずだった!』と指導し、理想の肉体をイメージさせるのです。 あなたのその剥き出しの筋肉は、彼らにとって垂涎の的となるでしょう。感謝され崇められれば、国宝級のメンテナンスも受けられるはずです」
「素晴らしい……!」
ジン氏は立ち上がり、カチャカチャと音を立ててポージングをとった(サイドチェストのようなポーズだ)。
「筋肉こそ正義。内臓こそ小宇宙。それをわかってくれる同志がいるとは!」
数日後。 モニターには、薄暗い地下神殿のような場所で、数千体のガイコツたちを前に熱弁を振るうジン氏の姿があった。
『いいですか! 大腿四頭筋(だいたいしとうきん)を意識して! 骨で歩くんじゃない、筋肉のイメージで歩くんです!』
『オオオオオオ!』
地鳴りのような歓声を上げるガイコツたち。 彼らはジン氏の一挙手一投足を、うっとりとした眼窩(がんか)で見つめている。 ジン氏は失われていた膵臓の部分に最高級の宝石を埋め込んでもらい、以前よりも輝いて見えた。
「よかったですねぇ」
咲耶がモニターを見ながらしみじみと言う。
「あっちの世界だと、内臓丸見えが『セクシー』なんですね。文化の違いってすごいです」
「美の基準は環境で変わる。それだけの話です」
オサキが肩をすくめ、報酬の品をテーブルに置いた。 小さなカプセルに入った赤い液体だ。
「九十九さん、今回の報酬です。 クライアントより『活性の血清』を頂きました」
「効果は?」
「これを一滴垂らすだけで、無機物すらも有機的な修復能力を持つようになるそうです。 壊れたコピー機やひび割れた茶碗に垂らせば、傷口が勝手に『治癒』します」
「……家電の修理代が浮くな」
私はそのカプセルを受け取った。
自分の中身をさらけ出すことは勇気がいる。 だが、それを「グロテスク」と笑う場所もあれば、「美しい」と称賛する場所もある。 自分が輝ける場所(マーケット)を見つけることこそが、生存戦略の基本だ。
私はジン氏が置いていった『理科室の鍵』を、引き出しの奥にしまった。
「さて、と」
一息つく間もなく、咲耶が次の書類を持ってくる。
「あの、九十九さん。次はちょっと重たいですよ。 『市松人形』さんです。 髪が伸びすぎて美容院代が払えないから、髪が生えない世界に行きたい、って……」
やれやれ。 あやかしの悩みも案外、人間臭いものだ。 私は新しい茶葉の封を切った。 次のコンサルティングも一筋縄ではいかなそうだ。
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