第5話朝の迎えと、揺れる心

柔らかな陽の光が、障子を透かして部屋に差し込んでくる。


 政宗の屋敷で迎える、二度目の朝だった。


 ふわりと漂う香は、清らかな白檀。

 聞こえるのは、どこかで水が流れる静かな音。


 目を開けると同時に、胸が少しだけきゅっとする。


(……夢じゃ、ないんだよね)


 昨日、政宗に抱きしめられた温もりが、まだ残っている気がした。


 そのとき――


「椿様、起きられましたか?」


 襖の外から、優しい声がかかる。


 政宗ではない。女性の声だ。


「ど、どうぞ……!」


 慌てて身を起こすと、ゆっくり襖が開いた。

 現れたのは、銀髪の女性。白い着物を纏い、どこか気品を感じさせる。


「はじめまして。わたくし、白狐のゆきと申します。政宗様の側近をしております」


 整った顔立ちと穏やかな物腰。

 けれど瞳の奥には、あやかし特有の気配がしっかりと宿っていた。


「あ、あの……よろしくお願いします」


 私がぎこちなく頭を下げると、雪さんはふっと柔らかく笑う。


「政宗様から、椿様のお世話を仰せつかっております。今朝は政宗様が早くにお出かけでして……まずはお食事を、お部屋までお持ちいたしました」


「政宗が……?」


 胸の奥がじん、と熱くなる。


 出かける前に顔を見せてくれなかったことに、少しだけ寂しさを感じた。

 ……会いたかったのに。


(いやいや、何を期待してるの私……)


 自分で自分にツッコんでいると、雪さんが小さく首をかしげた。


「椿様は、政宗様がお好きなのですね?」


「っ、ち、違っ……!」


 勢いよく否定したのに、雪さんはとても優しい目をする。


「嘘が苦手な方ですね。あの方が気に入られるのも分かります」


「な、なんでそうなるの……!」


「ふふ……朝餉を運びますね」


 恥ずかしさで胸がいっぱいになったまま、私は雪さんの後ろに続いた。


 用意された朝餉は、簡素だけど丁寧で、どれも優しい味だった。

 私が料理を口に運ぶたびに、雪さんはどこか楽しそうに見守っている。


(なんか、家族みたい……)


 両親と姉から邪魔者扱いされて育った私にとって、

 こうして誰かが気にしてくれるだけで胸が熱くなる。



「それで、政宗はどこに……?」


 食後、お茶をいただきながら尋ねると、雪さんは少しだけ表情を曇らせた。


「……椿様を、正式にこの屋敷へお迎えするための準備かと」


「準備?」


「人間の世界と、あやかしの世界は違います。

 政宗様が伴侶を得るというのは――大変、大きなことなのです」


 雪さんの声が、ほんの少しだけ重みを帯びる。


「政宗様は強いお方です。ですが……力ある九尾を妬む存在もまた、多い」


 その瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。


(……私が来たことで、政宗に迷惑がかかる?)


 そんな不安がよぎる。

 すると雪さんは、私の考えを読み取ったように微笑んだ。


「心配されなくても大丈夫ですよ。政宗様は、貴女を守る覚悟を決めておられます」


「……覚悟、なんて」


「ええ。椿様が幼い頃、政宗様の暴走を止めてくださった。

 その時から、あの方の心は貴女に向いていたのです」


 ……そんなことを真っ直ぐ言われると、どう反応していいか分からない。


 頬がかぁっと熱くなる。


(政宗……早く帰ってきてほしい)


 無意識に、そんな言葉が胸に生まれる。



 ――夕刻


 部屋の窓辺に座り、外の庭を眺めながら政宗の帰りを待っていた。


 ほんの少しでも顔が見られたらいい。

 声が聞けたら嬉しい。


(会いたい、なんて……。おかしいよね)


 だけど、あの優しい手の温もりを知ってしまったから。


 あの目で見つめられたら、もう後戻りなんてできない。


 そのとき――。


 ふっと、あたたかい風が私の頬をなでた。


「椿」


「――!」


 声を聞いた瞬間、胸が跳ねた。


 振り返ると、月を背にした政宗が立っていた。


 金の瞳が、私を見つけた途端に柔らかく細められる。


「戻りました。……会いたかった」


 その言葉は、まるで私の心の声そのままだった。


 頬が熱くなる。ほんの数歩、彼に近づく。


「お、おかえり……。私も……少しだけ、会いたかった」


 言うと、政宗はわずかに驚いたあと――

 まるで堪えきれない、というように私をそっと抱きしめた。


「少しでは足りません。私は……ずっと恋しかった」


「政宗……」


 鼓動がうるさい。

 触れられるたび、心が深く満たされていく。


 その腕の中、私ははっきりと理解した。


 ――もう、戻れない。


 政宗の傍にいたい。

 この人の隣で、笑っていたい。


 そんな気持ちが、静かに確かな形をとっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る