第6話ひとりぼっちだった私に、居場所ができた日
政宗の屋敷で過ごす日々にも、少しずつ慣れてきた。
朝目覚めると、柔らかな布団の感触と、窓から差し込む薄い光。
今までの八代家では感じられなかった温もりに包まれて、私は小さく伸びをした。
すると――。
「おはようございます、椿様。体調はいかがですか?」
振り返ると、政宗が障子越しに静かに微笑んでいた。
朝日を背にして立つその姿は、どう見ても絵巻物から抜け出した主人公だ。
「えっ……政宗、自分で来るの?」
「当然です。椿様の朝の顔を一番に見る権利は、私にあるでしょう?」
さらりと言うその声に、胸がまた熱くなる。
この人は、どうしてこんなに自然に恥ずかしいことを言うのだろう。
「そ、そんな……私なんて……」
「また私なんてと言いましたね。」
政宗はそっと近づき、私の頬に触れた。
指先が優しくて、抗う気持ちが溶けていく。
「椿様。貴女は、私が選んだ方です。その理由は――誰よりも価値のある心を持っているからですよ。」
そんなふうに言われたのは、生まれて初めてだった。
思わず目を伏せたまま、小さく呟く。
「……ありがとう……政宗。」
すると彼は、満足げに微笑んだ。
「では、朝餉にいたしましょう。椿様の好きそうなものを用意してあります。」
◆◆◆
朝食の席につくと、机いっぱいに料理が並んでいた。
品数の多さに驚いた私が固まっていると、政宗は隣に座りながら言った。
「全部召し上がらなくて大丈夫です。椿様が選ぶという行為を覚えていただきたいのです。」
「選ぶ……?」
「はい。八代家では、貴女に選ぶことを許されなかったでしょう?」
――胸がちくりと痛んだ。
確かに、私はずっと言われる側だった。
自分の意見を口にすれば叱られ、選ぼうとすると「出来損ないが」と嘲られた。
「ここでは違います。椿様の好きと嫌いは、全て尊重されます。」
政宗の穏やかな言葉に、食卓の景色がぼやけた。
涙がこぼれそうで、必死に瞬きをする。
「……ありがとう。本当に……」
「礼を言われるためにしたことではありませんよ。」
政宗は私の手を取って、軽く指先に口づけた。
その瞬間、体がびくりと震えた。
「っ……!」
「椿様、愛おしい反応をしないでください。理性が保てなくなります。」
「な、なに言って……!」
顔が熱くなり、早く食事へ視線を戻す。
政宗は楽しそうに笑っていた。
◆◆◆
朝餉を終え、屋敷の廊下を歩きながら、ふと聞いたことのない音に足が止まった。
――カン、コォン……
どこか遠くから、澄んだ鈴のような響きが流れてくる。
「政宗……この音、なに?」
尋ねると、政宗の表情が少しだけ変わった。
「椿様には、聞こえてしまうのですね。」
「え……?」
「普通の人間には聞こえません。あれは――妖たちが、椿様の存在に反応して鳴らす呼び鈴のようなものです。」
胸がどくん、と大きく脈打った。
「わ、私に……?」
「椿様の中には、あやかしに好かれる“気”があります。昔、私を救ったあの日から――ずっと。」
思わず息を呑んだ。
私はずっと出来損ないだと思っていた。
何も持っていないと、言われ続けてきた。
でも。
「椿様のその心は、誰も真似できません。それを感じた妖たちが……こうして貴女を呼ぶのです。」
政宗の声を聞くだけで、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「……そんなの、初めて聞いた……」
「これから、ゆっくり知っていけば良いのです。貴女には私がついていますから。」
政宗は微笑んで、私の頭を優しく撫でた。
その手つきは、まるで宝物を扱うように丁寧で――思わず目を閉じてしまう。
◆◆◆
その日の夜。
私は政宗に寄り添いながら月を眺めていた。
「ここに居てもいいのかな……って、まだ思っちゃうんだよね。」
ぽつりと呟くと、政宗はすぐに私の肩を抱き寄せた。
「むしろ、貴女のいない私の屋敷など、もう想像できません。」
「そんな大げさな……」
「大げさではありませんよ。椿様を迎えた時から、私の世界は変わったのですから。」
その言葉に、心が温かく満ちていく。
私は――もうひとりじゃない。
この人が、そばにいる。
◆◆◆
その夜。
政宗がそっと私の額に口づけた瞬間、遠くでまた鈴の音が響いた。
――カラン……コォン。
まるで、この出会いを祝福するかのように。
そして私は確信する。
ここが、私の居場所なんだ。
今までは、『出来損ない』と呼ばれていた私に――
初めて、未来を想像してみたいと思える夜だった。
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