舌骨の祭壇編【4話】
渦室の影の裂け目の向こうから、澪は真帆の泣き声 を確かに聞いた。
「おねえちゃん……助けて…………
わたし、舌……取られちゃう……」
澪は胸が張り裂けそうになりながら、声を出さずに前へ進んだ。
背後で《声の返す間》の扉がずうん……と閉じる。
閉じた瞬間、空気が重くなり、まるで世界ごと沈黙の肺に吸い込まれたようだった。
「祭壇……。」
喉の印が脈を打つ。
皮膚の下で綾音の囁きが震える。
「澪……行って……
真帆を……助けて……
でも……声を出さないで……
出したら……死ぬよ……」
それは綾音の優しさであり、呪いでもあった。
暗闇の奥には階段があった。
階段は石で造られているが――
踏むたびに、石の裏側から“舌”のような影が湿った音を立てる。
澪は喉を押さえた。
(声を……出すな……)
下へ行くほど空気が重くなる。
静けさではなく、静けさが“圧迫”になって襲ってくる。
絞められる。
押しつぶされる。
黙らされる。
この沈黙そのものが、舌切りの呪いの本質。
そして――
階段の終わりに光が見えた。
光は赤い。
血と火と祈りの色。
澪が最後の段を降りた瞬間――
視界に広がった空間は、地獄そのものだった。
天井のない巨大な石室。
壁一面に“舌袋”が吊るされ、
赤い液体がゆっくり滴っている。
中央には巨大な石の祭壇。
表面には古い文字と儀式の痕跡が彫り込まれ、中央に深い窪みがある。
その窪みは――
人の喉の形。
窪みの縁には、乾いた血と新しい血が重なり、過去何十人、何百人がここで声を返した痕跡があった。
澪は震えた。
(ここで……綾女も……)
祭壇の端には小さな骨が置かれていた。
舌骨。
同じ形。
同じ大きさ。
澪の胸が締めつけられた。
目の前で、影が揺れた。
「——澪。」
真帆の声だった。
澪は走った。
声を堪えたまま、必死に走った。
祭壇の裏側。
そこに――
真帆がいた。
石に縛られ、膝を抱え、震えながら泣いていた。
目は赤く腫れ、口はうまく開かず、喉からは時折、影のような吐息が漏れる。
だが――
舌はまだある。
澪は胸を撫で下ろした。
(間に合った……!)
真帆が澪の姿を見て、目を見開く。
涙があふれた。
「おねえちゃん……!
来ちゃだめなのに……
来たら……終わりなのに……!」
声が震えている。
“呼び声”になってはいけない。
強い声は森に拾われる。
澪は急いで真帆の口元へ指を当てた。
(だめ……声を出さないで……!)
真帆は泣きながら声を殺した。
その瞬間――
天井の闇が震えた。
澪が真帆を抱き寄せた瞬間、天井の奥から低い唸り声が響いた。
石室全体が脈打つ。
影がうねり、袋が一斉に震え、その中央で——
巨大な“喉”が降りてくる。
肉でも石でもない。
生きているのか死んでいるのかも分からない、
声の集合体でできた化け物。
形は曖昧。
けれど明確に分かる。
鳥の喉。
雀の喉。
舌切り“雀”の正体。
人の声を食べ、舌を落とし、沈黙を強いる怪異。
鳥などではない。
声の怪。
喉の神。
沈黙の妖。
その中心に、少女の影のようなものが揺れている。
綾音の影だった。
綾音が喉の中から囁いた。
「おねえちゃん……
返して……
声を返して……
森に……」
澪の喉が焼けるように痛む。
喉の印が開きかけている。
森は待っている。
澪が“沈黙を破る”のを。
少しでも声を出せば——
喉が開き、
声が吸われ、
舌が落ちる。
真帆も同時に落とされる。
そして森の囀りが響く。
「返せ……
返せ……
返せ……
澪の声……
綾音の声……
真帆の声……」
声が波となって押し寄せ、石室全体を震わせた。
真帆が耳を塞ぐ。
澪も喉を押さえる。
しかし声は止まない。
「返さなければ……
二人とも……
ここで喉を喰われる……」
澪は真帆を強く抱き寄せた。
そして心の中で叫んだ。
(綾音……
おばあちゃん……
ごめん……
私だけは、この呪いに従わない!!)
その瞬間、綾音の影が大きく揺れた。
「澪……やめて……
呪いが……連鎖が……
崩れる……!」
澪は震えながらも、声を出さずに首を振った。
(崩れていい……
終わらせる……
私たちの代で……)
喉の印が焼け、皮膚の下で“声の卵”が割れるような痛みが走った。
森が怒り、舌袋が一斉に破れ、影が澪へ襲いかかった。
真帆が叫ぶ。
「おねえちゃん!!」
その叫びは“呼び声”になりかけた。
澪は真帆の口を覆い、涙をこぼしながら目で訴えた。
「声を出さないで……!!!」
言葉は声にならない。
だが伝わった。
真帆は泣きながら頷き、息を震わせて声を殺した。
澪は振り返った。
《舌を返す祭壇》には、喉の窪みが光っている。
そこへ——
声を返せと囁く。
綾音の声が震える。
「澪……
返さなきゃ……
死ぬよ……」
澪は叫んだ。
声にならずに叫んだ。
(死なない……
絶対に……
真帆を救う……!!)
喉の奥の印が裂ける。
沈黙の中で血が滲む。
声を返すか。
声を奪われるか。
澪は、どちらも選ばない決意をした。
巨大な喉の影が澪の前へ降りてきた。
形が揺れる。
少女の影。
鳥の影。
舌の影。
それらが混ざり合い、ひとつの怪物として優しく囁く。
「澪……
声を返して……
返せば楽になるよ……?」
綾音の声。
綾女の声。
真帆の声。
母の声。
自分の声。
全部が重なった“究極の囁き”。
澪の喉は割れそうだった。
しかし――
澪は前に進んだ。
“声を返せ”と囁く怪物の喉へ、真っ直ぐ手を伸ばした。
そして。
喉を返さず、喉を奪う側へ回った。
呪いのルールを破った。
森が震え、舌袋が破裂し、影が暴れた。
真帆が叫び声を殺しながら震える。
澪は叫んだ。
「私の妹を……真帆を…!!!ただで済むと思うなよ!!!!お前なんかの好きにさせてたまるか!!私が終わらせてやる!!」
石室が悲鳴を上げた。
影が吹き飛び、祭壇が割れ、森が怒り狂った。
舌の影が澪の喉を奪おうと一斉に飛びかかった。
真帆の涙。
綾音の声。
綾女の呪い。
澪は祖母の舌骨を強く握りしめ怪物の喉元へ突き立てた。そして怪物の喉の奥へ深く差し込まれた。
これが呪いの崩壊の第一歩になる。
その少女、舌禍につき 然々 @tanakojp
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