第3話 ☆ 霊界航空・魂回収便 ①

——ぱきん、と世界が割れた。


 音も色も失われ、光だけが静かに沈んでいく。


 ゴ……ッ。

 機械的で硬質な音が闇の奥で響いた。

 次いで、何かに引かれるような感覚がかすかに走る。浮遊するような気配が、身体の輪郭だけを確かめるようにそっと通り抜けていった。


(終わったんだな)


 涙の温度が消え、声も悲鳴も呼びかけも遠のいていく。

 そして——

 ほんのりとした“香り”だけが残った。

(この香りは……ラベンダー?)


 甘い香りが鼻先をくすぐり、意識がふっと浮上する。

 薄暗い天井が、霧の向こうからゆっくりと現れた。

 凝った身体を伸ばし、うーんと声を漏らす。涙で滲んだ目をこすりながら、周囲を見渡した。


——ここは、霊界航空・魂回収機の客室。

行き先は、いつものサンズリバー空港。


 三列シートには、それぞれの人生を終えた乗客たちが静かに眠っている。

 どの顔も穏やかで、天寿を全うした者だけが浮かべる安らぎがあった。


 窓の外には幽界の空。

 暁の光が薄桃色のベールとなって、雲海に滲んでいる。


 すっかり見慣れた死後定期便の景色。

 だけど。


(……はぁ。こればかりは何度経験しても慣れないや。それに……)


 左腕をそっと撫でる。深手の痕は、もうどこにもない。

 それでも——


(やっぱり、思い出しちゃうな……)


 まぶたを閉じると、あの光景が鋭い痛みとなって浮かび上がってくる。

 胸の奥のどこかが、まだズキズキと疼いていた。


 姫さまがさらわれた夜。平凡な人生が瓦解した夜。

——そして、最後に聞いたあの“泣き声”。



     ◇ ◆ ◇



 姫さま誕生から半年。

 古いしきたりに従い、ルアト王国では『1/2誕生祭』が三日間にわたって開催されていた。事件が起きたのは、最終日の夜。

 フィナーレを飾る花火が夜空に咲き、人々が息を呑む。

 その一瞬、国王も護衛も同じ方向を見上げた。

——わずかに、警備の目が緩んだ。


 その隙を、闇は逃さない。


 甲高い悲鳴が夜を切り裂く。


「まさか——!」


 振り返った瞬間、思考が固まった。


——落ちた。


 二階のバルコニーからだった。

 侍女が姫さまを放り投げていた。

 花火の炸裂音と群衆の悲鳴が重なる中、

 地上で待ち構えていた教団員が小さな体を受け止め、そのまま人混みへ消えていく。


 ほんの数秒。

 手際が良すぎた——内通者がいると悟った。


 侍女は取り押さえられた。

 だが、問い質す間もなく、仕込み毒で自害。

 捕らえた教団員もいたが、姫さまはすでに別ルートへ渡された後だった。


「九年に一度の〈大召喚〉! 姫は栄えある贄だ!」


 捕縛された教団員が恍惚と叫んだ瞬間、

 胸の底から、焼けるような怒りが突き上げた。


 裏切りがどこまで及んでいるかは分からない。

 だが、炙り出している暇はなかった。遅れれば取り返しがつかない。

 副団長ヴァリターに指揮を託し、単身で姫さま奪還へ向かう。


——そして、間に合った。その時はそう思った。


 だが敵の抵抗は激しく、想像以上にしつこかった。

 姫さまを抱えて部屋を出た瞬間に浴びた焼け付く衝撃。

 密林に逃げ込んでも止まない矢羽の雨。

 全身を貫かれながら、なんとか砦までたどり着き——そこで膝が崩れ落ちた。


 後はヴァリターたちに託したが、胸の不安は拭えない。


 あの子、大丈夫かな。

 次の召喚は——そう、確か。


「逆算すると……九年後、か」


 溜息まじりに呟くと、姫さまの笑顔が思い浮かんだ。


 保護の魔術は十年。召喚は九年後。

 ギリギリ——守れる。


 あの時、ボクは世界の理を少し踏み越えてしまった。

 本来魔法のない世界で魔法を使った。


(使わない、という選択肢はなかったけど……)


 “異質な力”を残したことが少しだけ気がかりだ。

 けれど、もう介入はできない。

 後は、あの世界の人達に託すしかない。


(……ヴァリターたちの泣き声、まだ耳に残ってるな)


 湿っぽい空気は苦手だ。

 でも、あれだけ泣かれたら……胸が、痛む。


 深呼吸して、背筋を伸ばす。


(……戻ってこられた。ちゃんと終われた。それでいい)


——そう、思うことにした。

その想いが、胸の中の小さな光をそっと揺らした。


「……さて。今回の経験値は、っと」

(こういう時は数字を見るに限る。現実逃避だけど)


 前方座席のタブレットを手に取る。

 画面には『今世獲得経験・簡易値測定器』の文字。


 善行を数値化し、魂の強化を促す——天界政府の“大改革”。通称、Lv化政策。


 正直、最初はふざけてるのかと思った。

 でも——

(これがあるから、なんとかやってこられた)


 レベルは転生後も引き継がれるが、

 “記憶を持ち越せる者”は、ほとんどいない。

 夢物語のように受け止められている制度。


 孤独な旅の中で、この制度はボクの心の支えでもあった。


 魂認証が通り、

 今世の集計が表示される。


 今回獲得経験値

 体力:+3000 筋力:+2350

 攻撃:+2350 防御:+1150

 魔力:+20

 運:+15

 その他:器用さ・素早さ・知能——


「物理寄りの世界だけあって、体力の伸びはいいな。

 魔力が……あ、『完全防御パーフェクトバリア』の分か。

 運は、相変わらず低いなぁ」


 わざと明るい声を出す。

 空元気でも、黙っていると沈んでしまいそうで。


——その時、胸の奥で小さな熱が瞬いた。


(今日は、空港に着く前に呼んじゃおうかな)


 胸の前で手を重ね、そっと囁く。


「アル。終わったよ。出ておいで」


 胸の奥が、柔らかく温かくなる。

 この温度だけは——変わらない。


 手のひらに淡い光がふわりと生まれ、

 子どもの拳ほどの輝きが、心臓の鼓動のように明滅する。


 その光を見つめ、微笑む。


「……ただいま、アル」


 呼びかけた瞬間、光が小さく跳ねて応えた。

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