第28話 煉獄の鍛冶場
アルクスに到着した時には、夜が明けていた。
だが、魔導都市の空は、白亜の光に覆われていた。
管理者の亀裂が、ここにも及んでいる。
街の機能は麻痺していた。
人々は地下シェルターへ避難し、地上は廃墟のように静まり返っている。
だが、その静寂を破るように、魔術の炸裂音が断続的に響いていた。
街の中央。
巨大な魔導炉がある場所。
そこから、異様な熱気と、黒い煙が立ち昇っている。
魔王軍が、そこを占拠しようとしているのだ。
「……地脈の炉」
私は呟いた。
背中のカイルを降ろす。
もう、動けない。
疲労で足が鉛のようだ。
だが、ここが最後の場所。
カイルの魂を、取り戻す場所。
『……おい、エリアナ』
ヤツの声が、震えている。
『あそこに行けば……俺、どうなるんだ?』
「……消える」
私は、ヤツの質問を遮った。
「それ以外の答えはない」
『……だよな』
ヤツの声が、諦念に染まる。
『でもさ。……カイルが戻ったら、少しは俺のこと、思い出してくれるかな?』
「……さあな」
私は、カイルの身体を再び背負った。
「お前は、異物だ。……記憶に残る価値もない」
冷たい言葉。
だが、それが私の本心だった。
ヤツに対する情けは、カイルへの裏切りだ。
そう自分に言い聞かせながら、私は炉へと向かった。
炉の入り口には、魔王軍の兵士が群がっていた。
だが、彼らは私たちに気づかない。
空からの光と戦うのに必死だからだ。
管理者の攻撃は、無差別に降り注いでいる。
魔族も、人間も、等しく「削除」されていく。
私は、その混乱に乗じて、炉の内部へと侵入した。
熱い。
溶岩のような熱気が、肌を焼く。
巨大な魔導炉が、唸りを上げて回転している。
その中心に、青白い光の奔流が見えた。
地脈。
この星の血液。
私は、カイルの身体を炉の縁に寝かせた。
そして、左腕の包帯を解く。
瑕疵が、熱狂的に脈打っている。
地脈の魔力に反応して、共鳴している。
「……始めるぞ」
私は、ヤツに告げた。
『……ああ』
ヤツの声が、小さく震える。
『やってくれ。……俺も、覚悟は決めた』
私は、左腕を炉にかざした。
瑕疵から、黒い霧が噴き出す。
それが、カイルの身体を包み込む。
そして、ヤツの魂を、無理やり引きずり出そうとする。
『ぐ、ああああああ!』
ヤツの絶叫が、脳内で響く。
魂が引き裂かれる痛み。
私自身も、同じ痛みを共有している。
だが、止めない。
カイルの魂が、そこにある。
ヤツの奥底に、微かに輝く碧い光が。
その時。
背後で、空間が裂ける音がした。
フィーネ。
そして、もう一人。
魔王。
金髪の少年が、優雅に現れた。
「……見つけたよ」
少年が微笑む。
「ここが、君たちの墓場かい?」
「……邪魔をするな」
私は、振り返らずに言った。
左腕の作業を止めない。
「邪魔? 違うよ」
少年が、一歩踏み出す。
「僕も、その炉が欲しかったんだ。……この世界のシステムを書き換えるためにね」
少年の手が、炉に向けられる。
魔力が、炉に干渉する。
地脈の流れが、乱れる。
「やめろ!」
私は叫んだ。
このままでは、カイルの魂ごと、全てが消し飛ぶ。
私は、左腕の力を解放した。
瑕疵が、魔王の魔力を喰らおうとする。
だが、容量オーバーだ。
地脈と、魔王の力。
二つの巨大なエネルギーを受け止めきれない。
「……無茶だ」
フィーネが、冷ややかに言う。
「その腕、弾け飛ぶわよ」
「……構わない!」
私は、叫んだ。
「カイルが戻るなら、腕一本くらい!」
私の左腕が、音を立ててひび割れた。
黒い血液が、噴き出す。
激痛。
だが、意識は冴え渡っている。
カイルの魂が、呼んでいる。
近くにいる。
その時。
炉の天井が崩落した。
白い光。
管理者の攻撃が、ここにも到達したのだ。
光の柱が、炉を貫く。
魔王が、舌打ちして後退する。
フィーネが、障壁を展開する。
私は、動けなかった。
カイルの身体を守るように、覆いかぶさる。
光が、迫る。
消える。
全てが、無になる。
『……させねえよ!』
ヤツの声が、響いた。
私の脳内ではない。
空間そのものに。
カイルの身体から、灰色の影が飛び出した。
ヤツの魂。
それが、光の柱に向かって特攻する。
「……何をしている!」
私は叫んだ。
ヤツの魂が、光に触れる。
消滅する。
はずだった。
だが、光が歪んだ。
ヤツの魂が、バグとして作用している。
管理者のシステムに、ノイズを走らせている。
『エリアナ! 今だ!』
ヤツの声が、遠くなる。
『カイルを……連れて行け!』
私は、カイルの身体を抱き上げた。
炉の裂け目。
そこから、地脈の光が漏れている。
あそこなら、逃げられるかもしれない。
私は、走った。
背後で、ヤツの魂が砕け散る音がした。
そして、白い光が爆発した。
---
気がつくと、私は暗い洞窟の中にいた。
地脈の支流。
青白い光が、岩肌を照らしている。
カイルは、私の腕の中で眠っていた。
そして、その胸が、力強く脈打っていた。
魂の鼓動。
戻ったのだ。
カイルが。
「……カイル」
私は、涙を流した。
初めて流す、安堵の涙。
カイルの瞼が、震える。
ゆっくりと、開かれる。
碧い瞳。
そこには、私を知る光が宿っていた。
「……エリアナ?」
カイルの声。
優しく、懐かしい声。
「……ここは?」
「……戻ったのよ。カイル」
私は、カイルを抱きしめた。
温かい。
本当に、温かい。
だが、私の左腕は冷たかった。
瑕疵が、消えていた。
黒い痣だけを残して、あの熱も、脈動も、消え失せていた。
そして、ヤツの声も。
聞こえない。
完全に、静かだった。
「……あいつは」
カイルが、呟いた。
「僕の中にいた、あいつは……」
「……消えたわ」
私は答えた。
「お前の代わりに、消滅した」
カイルの目に、涙が浮かんだ。
「……そうか。……あいつ、最後に……」
「……何も言うな」
私は、カイルの唇に指を当てた。
「終わったことだ。……帰ろう、カイル」
私たちは、洞窟を出た。
外は、夜だった。
空の亀裂は、消えていた。
星が瞬いている。
世界は、静けさを取り戻していた。
まるで、何もなかったかのように。
だが、私の左腕には、消えない傷跡が残った。
そして、私の心にも。
あの害虫が遺した、微かな痛みが。
それは、一生消えないだろう。
私が、カイルと共に生きていく限り。
私たちは、歩き出した。
手をつないで。
二つの影が、月明かりの下で一つに重なる。
長い、長い悪夢の終わり。
そして、新しい日常の始まり。
それは、きっと、イージーモードではない。
ハードモードな現実だ。
だが、私はそれでいい。
カイルがいれば、それでいい。
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