第29話 終焉の先へ
空の亀裂が閉じていく。
世界を覆っていた白亜の光が、急速に薄れていく。
まるで、悪い夢が醒める時のように。
管理者のシステムが、再構築されているのだ。
私たちが引き起こした「バグ」を飲み込んで。
地脈の炉から脱出した私たちは、アルクスの街はずれの丘に立っていた。
眼下には、半壊した都市が広がっている。
だが、そこにはすでに人々の営みが戻りつつあった。
魔術師たちが瓦礫を撤去し、治療師たちが怪我人を癒している。
再生。
破壊の後に訪れる、必然の光景。
「……終わったのか」
カイルが呟いた。
その声は、まだ弱々しい。
魂が戻ったとはいえ、身体の消耗は激しい。
私は、彼の肩を支えていた。
その温もりが、私の左腕の冷たさを際立たせる。
「ああ。終わったわ」
私は答えた。
ヤツの声はしない。
瑕疵の脈動もない。
ただの、古傷のような痕跡だけが、私の腕に残っている。
「……あいつ、言ってたんだ」
カイルが、遠くを見つめて言った。
「消える直前。……俺の中で」
「……何を」
「『ごめんな』って」
私は、何も言えなかった。
謝罪。
最後の最後に、ヤツが残した言葉。
それは、カイルに対するものか。
それとも、私に対するものか。
あるいは、自分自身の惨めな人生に対するものか。
「……あいつは、ずっと泣いてたよ」
カイルが続ける。
「強がってたけど。……本当は、ずっと寂しかったんだって」
「……そう」
私は、短く返した。
同情はしない。
許しもしない。
だが、忘れることもないだろう。
私の左腕に刻まれた傷跡と共に、ヤツの記憶は私の中に残り続ける。
「行こう、カイル」
私は、カイルの手を引いた。
「村へ。……私たちの家に」
「……ああ」
カイルが、私を見て微笑んだ。
かつての、不器用で、優しい笑顔。
私の聖域。
それが、今ここにある。
---
旅路は長かった。
だが、私たちは歩き続けた。
王都を抜け、荒野を超え、森を抜ける。
道中、私たちは多くを語らなかった。
言葉にする必要がなかった。
ただ、互いの存在を確認し合うだけで十分だった。
カイルの「創生魔法」は、消えていなかった。
ヤツが遺した力。
だが、カイルはそれを乱用することはなかった。
必要な時だけ、ささやかに使う。
焚き火を起こしたり、崩れた道を直したり。
それは、「チート」ではなく、生活のための「道具」として。
そして、カイルの中には、ヤツの記憶も残っていた。
「ニホン」という異世界の知識。
料理のレシピや、道具の作り方。
カイルは、それを面白がって試した。
「これ、あいつが好きだった味らしいよ」
そう言って、カイルが作った奇妙な料理を、私たちは笑いながら食べた。
ヤツは、カイルの一部になったのだ。
害虫としてではなく。
記憶という名の、小さな欠片として。
数週間後。
私たちは、始まりの村に辿り着いた。
懐かしい風景。
鍛冶場の煙突。
村人たちの驚く顔。
「英雄」としてではなく、ただの「カイルとエリアナ」として、私たちは迎え入れられた。
村長が、泣きながらカイルを抱きしめた。
私たちは、旅の顛末を話した。
魔王のこと。
管理者のこと。
そして、ヤツのこと。
すべてを話したわけではない。
信じてもらえないだろうし、話す必要もない。
ただ、「長い戦いがあった」とだけ伝えた。
その夜。
私たちは、カイルの家に戻った。
埃を払い、窓を開ける。
夜風が、部屋の空気を入れ替える。
カイルが、鍛冶場に火を入れた。
炉の炎が、赤々と燃え上がる。
鉄を打つ音が、夜の静寂に響く。
カーン、カーンと。
私の知っている、あの音。
私は、台所でスープを作った。
キノコと干し肉のスープ。
ヤツが「美味い」と言って食べた、あのスープ。
一口味見をする。
苦い。
カイルが苦手なキノコは、もう入れていない。
なのに、なぜか苦く感じた。
「……できたぞ」
カイルが、食堂に入ってきた。
煤で汚れた顔。
汗の匂い。
鉄の匂い。
私の愛する匂い。
私たちは、テーブルに向かい合った。
スープと、パン。
質素な食事。
だが、これ以上の馳走はない。
「……いただきます」
カイルが手を合わせる。
ヤツの記憶にある作法。
私も、真似をして手を合わせた。
「いただきます」
スープを飲む。
温かい。
身体の芯まで染み渡る。
カイルが、私を見て言った。
「……美味いな」
「……うん」
涙が出た。
止めどなく溢れてくる。
カイルが、慌てて席を立ち、私の隣に来た。
その手が、私の背中をさする。
優しく。
力強く。
「……おかえり、エリアナ」
カイルが囁く。
「……ただいま、カイル」
私は、カイルの胸に顔を埋めた。
鼓動が聞こえる。
力強い、命の音。
ここにある。
私の求めていた「本物」が。
左腕の傷跡が、微かに疼いた気がした。
それは痛みではない。
ただの、記憶の疼き。
ヤツがそこにいたという、消えない証。
窓の外。
夜空には、満月が輝いていた。
一つだけの、白い月。
イージーモードの夢は終わった。
ここからが、私たちの現実。
ハードモードな、だけど愛おしい、日々の始まり。
私は、カイルの手を握り返した。
もう二度と、離さない。
どんな神が相手でも。
どんな運命が待っていようとも。
私たちは、生きていく。
この世界で。
二人で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます