第20話 瑕疵の道標

 王都の門が背後で閉じる。

 石が擦れる重い音。

 宿が崩落した黒煙がまだ街の空に渦を巻いている。

 門番がエリアナを見た。

 その炭化した左腕を見る。

 次にヤツを見た。

 カイルの顔をした抜け殻。

 兵士は何も言わず槍の柄で道を示した。

 行け。

 この街から消えろ。


 左腕が重い。

 イヴェッタが巻いた分厚い包帯。

 その下で瑕疵が疼く。

 黒く硬い皮膚。

 ゼノスが遺した「印」

 もう痛みは感じない。

 熱もない。

 ただそこにある「異物」

 エリアナの腕ではない何かがぶら下がっている。


 隣をヤツが歩く。

 カイルの身体で。

 イヴェッタに借りた清潔な服。

 だがその歩みは老人のようにおぼつかない。

 カイルの聖域がヤツの恐怖で内側から歪んでいる。

 土埃が舞うたびカイルの肩が震える。


 ヤツはエリアナの二歩後ろをついてくる。

 影のように。

 エリアナが止まればヤツも止まる。

 カイルの顔で怯えながら。

 エリアナが歩けばヤツもカイルの足を引きずって歩く。

 エリアナに寄生する「抜け殻」

 カイルの魂を「喰った」害虫。


「……エリアナ」

 ヤツがカイルの喉で呟いた。

 乾いた掠れた声。

「……どこへ行くんだ」

「魔導都市アルクス」

「……遠いぞ。街道は危ない」

「……」

「金は。食料は。……俺はもうあの『チカラ』は……」


 エリアナは立ち止まった。

 ヤツもカイルの顔で怯えて立ち止まる。

 エリアナはヤツの前にイヴェッタがくれたギルドの紹介状をかざした。

 羊皮紙に刻まれたギルドの印。

 黒いインクの染み。


「これがある」

「……ギルドの。……ああイヴェッタが。……俺は嫌いだ。あいつら俺を笑った」

「……」

「アルクスに行けば。……『マホウ』が戻るかも」


 ヤツはカイルの碧い瞳でまだ自分の「物語」の続きを夢見ている。

 カイルの魂(カケラ)をその内側に閉じ込めたまま。

 エリアナはヤツに背を向けた。

 街道の土埃が舞う。

 エリアナの「狩場」は王都からこの世界に広がった。


 ---


 街道は痩せた馬車と疲弊した商人だけが通り過ぎる。

 エリアナたちは歩く。

 ヤツの足では一日で村一つ分も進めない。

 夜。

 街道脇の冷たい岩陰で火を熾す。

 動かない左腕。

 エリアナは右腕一本で火打石を打つ。

 不器用な動作。

 火花が三度空を切る。

 四度目。

 乾いた枝に火が移った。


 ヤツがカイルの身体で震えている。

 カイルの聖域が夜の冷気に無様に晒される。

 エリアナはイヴェッタが持たせてくれた固い黒パンをヤツに投げた。

 ヤツはカイルの手でそれを慌てて受け止める。

 乾いた土がパンに付着する。

 ヤツはその泥を払うこともしない。

 カイルの口にそれを詰め込む。

 獣。

 エリアナの「飼育」する害虫。


 エリアナは火を見ていた。

 左腕の動かない指先。

 その黒い皮膚を炎が照らす。

 瑕疵が脈打つ。

 ゼノスではない。

 エリアナの新しい「力」

 カイルのナイフ。

 黒く変色したあの刃。

 それがエリアナの腰で静かに熱を帯びている。

 炎の熱とは違う。

 内側からの冷たい熱。


「……エリアナ」

 ヤツがパンを飲み込んで言った。

「……寒い」

「……」

「火にもっと近づきたい。……そっちへ行ってもいいか」


 ヤツがエリアナに許可を求めている。

 カイルの聖域がエリアナに寄生している。

 エリアナは火の向こう側を顎で示した。

 ヤツはカイルの身体で這うように移動する。

 エリアナと火を挟んだ対岸。

 そこがヤツの「領域」

 ヤツはカイルの顔で安堵して火に手をかざしている。

 その目に炎の光が揺れている。


 カイルの魂(カケラ)

 ヤツが「喰った」というエリアナの「信仰」

 それをどう引き剥がすか。

 アルクス。

 ヤツの「異世界知識」

 それだけがエリアナの道標。


 ---


 三日目の昼。

 森が途切れた。

 広い街道。

 その中央に「それ」は立っていた。


 風が止まった。

 鳥の声が消えた。

 空気が圧迫される。

 ヤツがカイルの喉で息を呑む。

 カイルの足が震えその場に膝をついた。


 女。

 黒いドレス。

 陽光を吸い込むような漆黒の布地。

 銀色の長い髪。

 その銀髪の女が街道の真ん中でエリアナを見ていた。

 カイルの身体ではない。

 エリアナを。

 その左腕の瑕疵を。


「……見つけた」

 女の声。

 鈴が割れるような甲高い音。

 それは声ではない。

 エリアナの頭蓋に直接響く。

 耳を塞いでも意味がない。


「……誰だ」

 ヤツがカイルの身体で震えながら呟く。

「……魔族だ。あいつ魔族だ。ゼノスと同じだ」


 女は一歩踏み出した。

 地面に足が触れていない。

 滑るように距離が詰まる。

 フィーネ。

 ゼノスとは違う「格」

 ゼノスが「澱み」ならこいつは「真空」

 周囲の音も光も熱も全てを吸い取っていく。


「……ゼノスの残り香。……いいえ。もっと濃い。……『虚無』そのもの」

 フィーネがエリアナの左腕を見た。

 黒く炭化したエリアナの腕。

「……素晴らしい。魔王様の新しい『器』の候補」


 フィーネの手が上がる。

 白い陶器のような指先。

 その指がエリアナに向けられる。

 ヤツがカイルの顔で悲鳴を上げた。

「いやだ! 逃げろ! エリアナ!」


 遅い。

 フィーネの指先から黒い「槍」が放たれる。

 空間そのものがねじれ槍となって飛んでくる。

 空気が歪む。

 景色が歪む。


 エリアナの右手が動く。

 黒く変色したカイルのナイフ。

 それを抜く。

 ゼノスを貫いたあのナイフ。

 槍を迎え撃つ。


 金属音。

 いや。

 音が消えた。

 ナイフが黒い槍に触れた瞬間。

 空間のねじれ。

 ゼノスの残り香。

 エリアナの左腕の瑕疵。

 その三つが共鳴する。


 ナイフが黒い槍を切り裂くのではない。

 喰らっている。

 ゼノスの「虚無」を喰らったあの瑕疵が。

 フィーネの「静寂」を喰らおうとしている。

 ナイフが黒い光を放つ。

 槍の歪みがナイフに吸い込まれていく。


「……!」

 フィーネの顔が歪む。

 驚愕。

 あるいは歓喜。


「……『瑕疵』が喰らう。……ゼノスの無駄死にがこんな『エラー』を」

 黒い槍が霧散する。

 エリアナのナイフ。

 その黒い変色がさらに濃くなっている。

 左腕の瑕疵が熱い。

 焼けるように熱い。

 死んだはずの腕が脈打っている。


 フィーネが微笑む。

 カイルの顔ではない。

 本物の魔族の冷たい笑み。

 歪んだ空間が元に戻る。


「……惜しい。まだ熟れていない」

 フィーネがエリアナに背を向けた。

「アルクスで待つ」

「……」

「その『器』。魔王様にふさわしいか。……私が見定めてあげる」


 女の姿が陽炎のように消えた。

 残されたのは街道の土埃。

 そしてエリアナの左腕の熱。


 ヤツがカイルの身体で腰を抜かしていた。

 カイルの聖域がまた汚されていく。

「……今のはなんだ。……『カンブ』だ。あいつも幹部だ」

「……」

「なんで俺を狙わない。……お前を狙った。……なんで」


 ヤツがカイルの碧い瞳でエリアナを見た。

 怯え。

 混乱。

 そして新しい「疑念」

 ヤツは気づき始めた。

 自分の「物語」の主人公が自分ではないことに。


 エリアナはナイフを鞘に収めた。

 熱い。

 左腕が瑕疵がカイルのナイフがまだ熱い。

 ゼノスの「虚無」

 フィーネの「静寂」

 エリアナのこの瑕疵。

 魔導都市アルクス。

 そこがエリアナの次の「狩場」


 エリアナはヤツをカイルの聖域を無視して歩き出した。

 ヤツはカイルの顔で慌てて立ち上がる。

 エリアナの三歩後ろを必死でついてくる。

 害虫がその「宿主」を追うように。

 アルクスへ。

 カイルの魂(カケラ)を取り戻すために。

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