第14話「王の力、記憶」
正也は櫻の首筋にそっと傷を付ける。
流れ出る血を宝物を扱うように掬い上げていく。
あの夜飲んだのと同じ、甘美な血が全身を駆け巡る。
心臓が跳ねる。
『この人を、自分の物にしたい』
あのとき湧き出た欲望に、正也が罪悪感を覚えることはもう無い。
恐怖が薄れていく。全能感が脳を支配する。
そのとき、仮面の男の視線に気付き、正也は顔を上げる。
「なっ……」
そして、自分の目の前に広がる光景に絶句した。
「妖木正也、何故お前が」
櫻が流した血がまるで意思を持ったかのように、螺旋を描いて正也の目の前に結集していく。
それはやがて櫻のものよりも大きな太刀を形取り、その赤く輝く刀身を露わにした。
「血契刀、朱落(けっけいとう しゅらく)を……!」
神々しい程に禍々しいそれが、正也の目の前で浮遊する。
「何だ、これ」
『取れ』
そのとき、威圧感を放つ男の声が正也の脳内に響く。
見下すようでも、寄り添うようでもあるその声。
否応なく意識の隙間に入り込まれる。
「取れ」
そして正也は、無意識にそれを掴んでいた。
「ッ!」
瞬間、赤く染まっていく視界。
恐怖で震える手を収めようとする度、意思とは反対に“声”に没入していく。
『振れ』
「振れ」
幻とも現とも取れぬ声が、正也を立ち上がらせる。
「正也君?」
再び、声が聞こえる。
『振るだけで良い』
「殺せ」
仮面の男はその光景を前にわなわなと口を震わせる。
「朱落……何故お前が、それを持っているッ!」
男は立ち上がり、駆け出す。
自分の血で塗れた手を、死に追われた子供のように正也に伸ばす。
「何故、お前が、王の――!」
「正也君ッ!」
――一振り。
「え?」
震えた声は、櫻の口から。
たった一振り。
正也の掠ってすらいないそれで、仮面の男の腕を吹き飛ばした。
直後、宙を舞った腕が床に落ちる。
乾いた笑い声が、正也の耳まで届いた。
「なるほどそうですか。どうりで見つからなかったわけです」
仮面の男は露わになった口角を不器用に吊り上げる。
「そうですか、そうですか。あぁ、こんな感覚は久しぶりです」
グレイヴは笑みを貼り付けたまま、ふらふらと後ずさる。
「感動、しましたよ。面白くなりそうです」
「おい、待て」
グレイヴは正也の制止を聞くことは無く、地面を蹴る。
驚異的な跳躍力によって体育館の二階、窓の前に降り立ち、薄暗い空を眺めた。
「そういえば言ってませんでしたね。私の名はグレイヴ。ヴェイル=グレイヴ」
そして、外へと飛び立つ直前に正也を振り返り、妖しく笑った。
「また会いましょう。王子よ」
「何を、言って」
「では、また」
グレイヴはそう言い、目にも止まらぬ速さで夜空に飛び立つ。
「おい! 待て!」
「正也君! ダメ!」
追おうと駆け出した正也を、櫻に後ろから抱き留める。
「追えば一般人に見られる」
「でもっ!」
次の瞬間、もがく正也の手に握られていた血契刀の形が崩れていく。
それは元の血に戻り、再び床に血溜りを作り上げた。
「私は、ちょっと、疲れたよ」
それを見た櫻は、正也の腕に縋りつく。
「あっ」
正也は反射的に腕を伸ばし、倒れかかる櫻を支える。
そして二人は、そのまま床に崩れ落ちた。
「私たちはこれから、どうなるんだろう」
聞かれ、正也も答えに詰まる。
契約、王の眷属、グレイヴという男。
そして、血契刀と謎の声。
「わからない。けど」
正也は櫻の虚ろな目を真っ直ぐ、しかし優しく見つめた。
「とにかく、一緒にいましょう」
「ふふっ、ああ、そうだ、な」
そのとき、力を失いかけていた櫻の目が徐々に開かれていく。
正也を見上げ、とある疑念に駆られる。
「先輩?」
赤い目の吸血鬼の視線が、櫻の中の奥底、パンドラの箱を激しく叩く。
「先輩⁉」
櫻は忘れていた。そして今、思い出そうとしている。
「あなた、どこかで」
神野櫻が八歳の頃、“全て”は始まった。
第2章「それは、最悪で最強の契約」完
第2章読んでいただきありがとうございます。とうとう最悪の契約が結ばれてしまいましたね。神殿事件、王の眷属、正也の力、そして櫻の過去。
まだまだわからないことだらけですが、この世界を一緒に歩いていただけたら幸いです。
第3章、さらに真相に近づきます。これからもよろしくお願いします。
毎日21時更新です。
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