第13話「願い」
血で作られたはずのロングソードは、櫻の二本の短剣をじりじりと押していく。
膝を曲げ、押し返そうと踏ん張る櫻の脚を狙い、両脇から二体の血人形が滑り込む。
「先輩!」
数秒後の最悪の未来を想像した正也の悲鳴の直後、櫻は嘘のように脱力した。
「単純なんだよ」
思いがけずつんのめった血人形を左横にはたくようにいなす。すぐそこまで迫っていた血人形との衝突を目視しないまま、勢いを利用して回転し、右足を振り上げる。
「迷いが無い」
次の瞬間には、櫻の蹴りによってロングソードが宙を舞っている。
正也がそれを無意識に追っている間に、櫻は得物を失った血人形の首を切り飛ばしていた。
「近距離戦において、それは時に弱点にもなる」
櫻はそう言いながら、起き上がろうとする血人形の内の一体を右足で衝撃的な程強く踏みつける。
「正也君、覚えておくと良い」
そして、目下の血人形の首に短剣を突き刺し、切り裂いた。
「……何だよ。それ」
正也の口から思わずそんな言葉が零れた。
今目の前で躍動している女が、自分と同じ高校生とは思えなかった。
彼女の剣技は強力で、頼もしくもある。
しかし、それ以上の感情が正也の心を揺さぶった。
「私の戦いの記憶を元にこいつらを作っているのだろう」
踊るように敵の斬撃をいなしながら、櫻は嗤う。
「まるで勝利の焼き直しだ」
そして、あまりに正確すぎる斬撃で急所を突いていく。
神野櫻。
正也にとって今の彼女は、破壊的で、破滅的だった。
「はっ」
正也は思わず息を呑む。
最後の一体を仕留めた次の瞬間、櫻は振りかぶっていた。
「なっ、に」
――投擲。空気を切り裂く音。
僅かな油断も許さないという意思が、男の仮面を砕く。
「あああああっ!」
仮面の下半分が砕け、破片が地に濡れる。
男は顔を抑えてうずくまり、その青白い肌から噴出する血を何とか受け止めようともがく。
「私の血が、情報がッ……!」
「死ね」
櫻は第二投を振りかぶる。
しかし、狂気は発射されなかった。
少女は、その場にへたりこんでしまった。
「先輩ッ!」
正也は素早く駆け寄り、櫻を後ろから支えるように抱き留める。
同時に、戦場と日常とを隔てていた結界、黒い壁が静かに消えていく。
「怖かった、だろう?」
櫻は呟く。声を震わせた悲哀と後悔が、正也の心をダイレクトに揺らす。
「……怖かった」
「そう、か」
「あなたが死ぬのが」
自分の中の愛情も相手に届けと、正也は願った。
「こんなに綺麗で不器用で、カッコいい人が死ぬのが、怖い」
正也は櫻を抱き締める。
「本当に、綺麗だった」
櫻は荒い呼吸で微笑みながら、制御不能に震える手を伸ばす。
「私だって、君の綺麗なところをずっと見てきた」
そしてその手を、正也の頬に添えた。
「傷つくところも、ずっと」
顔を抑えてうずくまっていた仮面の男が、震えながらゆっくりと顔を上げていく。
「契約について、大事なことを言っていなかったね」
櫻の手が正也の首を撫で、視線が再び櫻に戻る。
「命を担保にするんだ」
櫻の吐く息が、まるで寒さに耐えるかのように小刻みになる。
「破ったら、破った方が死ぬ。つまりこれは、最悪の契約なんだ」
櫻はそう言い、諦めたように正也の首から手を離そうとする。
正也はその手をしっかりと掴んだ。
「望むところだ」
そして、力強く目を開いてそう言い放った。
「俺は、あんたを守りたい」
櫻が正也を見上げるその瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「私も、あなたのために、いつでもこの身を差し出す」
「俺は」
「私は」
「契約を交わす」
正也は口を開け、沈み込む。
牙が櫻の柔肌に触れた瞬間、心臓の辺りが熱く焼け付いていくのを感じた。
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