第3章「始まった2人、忍び寄る影」

第15話「黒い鉄格子①」

 短剣と手の平にべったりと付着した血を、八歳の櫻は無表情で見下ろした。


 神野一家。それは代々、政府要人の警護を務めるような祓魔師を輩出してきた名家である。


 一家の子供には物心がつく前から武器を握らせ、術の使い方と血の匂いを叩きこむ。


 将来は祓魔師。しかも指導力と支配力を備えた、エリート。


「お父様、私、上手く出来た?」


 しなやかな身体と明晰な頭脳を持って生まれた櫻も例外ではなく、すぐに格闘術を刷り込まれた。


「ああ、良く殺せたな。櫻」


 吸血鬼を捕えていた地下牢の中、呆然と佇む櫻の頭を、長身の男が撫でる。


 櫻は既に、父の手の平と吸血鬼の肌の手触りとを区別出来なくなっていた。


「お前には才能がある」


 ハイライトが消えた目で父を見上げる。


 いつも、逆光で顔が見えなかった。


「お前は神野家の次期当主となるのだ」


 それは何度も、何度も繰り返される。


「全体の奉仕者となって国に貢献するのだ」


 何度も何度も、言い聞かされる。


「期待を、裏切らないでくれよ」


 櫻が夢を見ているとき、いつもそれらの言葉が反響して頭を叩く。

 

 吸血鬼を殺すこと。知識を身に付けること。


 正しい振る舞いをすること。父の期待に応えること。


 それが神野櫻の人生だった。


「櫻」


 夢の中、遠くから、父の囁くような声が聞こえる。


 耳を塞ぎ、赤子のように丸まった。


「櫻っ」


 聞こえない。聞こえないまま、まだ幼い櫻は願い続ける。


 自由が欲しい、と。


「櫻ッ!」


 そのとき、父の鋭い怒声が頭の中に響き、幼い櫻は目を開ける。


 そこは、大理石の床が広がる薄暗い空間。


 目の前には、巨大な棺。


 櫻は直感する。


「そこに、いるの?」


 心臓の鼓動が速くなっていく。


「閉じ込められてるの?」


 手を添える。その冷たさを噛み締める。


「私と、同じだね」


 呟くと、この小さい手でも簡単に開く気がした。


「今、出してあげる」


 ――この夢を見るとき、櫻はいつも思うことがある。


 それは、手触りや光景があまりにリアル過ぎるということと、


「――感謝する。まだ幼く、才能ある祓魔師よ」


 目の前の煙とも悪魔ともつかぬ禍々しい存在に、何故こんなにも惹かれてしまうのだろう、ということ。


「貴様、我に力を貸せ」


 強く、自由で、高圧的。その赤く輝く目に、吸い込まれる。


「そうすれば、その願い、叶えてやろう」


 幼い櫻は、導かれるままその男に手を伸ばす。


「櫻ッ! ダメだッ!」


 直後、父の怒声と共に無数の悲鳴が耳をつんざいた。

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